『二重生活』(2016)
監督:岸善幸
脚本:岸善幸
原作:小池真理子
白石珠:門脇麦
石坂史郎:長谷川博己
鈴木卓也:菅田将暉
篠原:リリー・フランキー
【作品概要】
大学院の哲学科に通う珠は、担当教授のすすめから、対象を追いかけて生活や行動を記録する「哲学的尾行」を実践することとなる。最初は尾行という行為に戸惑いを感じる珠だったが、たまたま近所に住む石坂の姿を目にし、なんとなく、石坂の後を追ってしまう。そこから、一軒家に美しい妻と娘と暮らす石坂を、珠が尾行する日々が始まったが…。(ヒューマックスシネマ渋谷HPより)
【感想レビュー】@theater
“哲学的尾行”。気持ち悪い(‼)ながらも発想は面白いので、観ることに。長谷川博己さんが出てるし、うんうん…。原作が、ソフィ・カルの「文学的・哲学的尾行」をモチーフしているとのことで、映画にもそのくだりが出てきます。
主人公が、尾行をしているうちに出会う人達、またひいては日常で既に出会っている人達すべてが、ピースとして生きてくる仕組みになっていました。
伏線があちこちに仕掛けられているので、観終わった後も、“あれもそうか…!こっちもそうかも!”のような楽しみ方ができます
(ただ、余計な間やシーンが多くて少し辛かったです…。もしかしたら、あえて役を演じている感を出すための演出かもしれませんが、それにしても…。)
長谷川さんはどの作品でも無駄な間がないイメージがあるけど、彼のシーンでホッとするような感じでした
でも面白いのは作品に仕掛けられたあれこれですメモ風に…。
監視カメラ⇒在るものをただ映す装置
(限定された範囲を映しているだけの空間に入ってきた人物が、他の物と同様に否応無しにただ存在する容れ物として意識される)
映画のカメラ⇒演じている役者を撮る装置(役を演じている役者という人物もまた、容れ物として意識される)
人が自分の役割を演じる事⇒父として、母として、娘として、息子として。夫として、妻として。彼氏として、彼女として。または愛人として。
仕事上の役を演じる事⇒マンションの管理人として、編集者として、町内会の一員として、小説家として、漫画家として、役者として、大学教授として、大学院生として。
一人で居る時の素の状態⇒無意識。
洗車中、郵便受けをチェックする時、ゴミ出しする時など。
生徒や彼女としての役を演じている時の主人公は空虚ながらもまだ自分を保っている…が、その役にはしっくりきていない。
尾行する役を演じた時、彼女は彼女を生きた。夫という役からつかの間解放された人物を尾行する事で、それまでの自分の役に新たに加わったその新鮮な役を生きた。
結局、人は人生で様々な役を演じていく。その事と、俳優が舞台やドラマや映画で役を演じる事との共通性を描いていて、その二つをつなぐのに教授のエピソードがありました。
それらが説明的ではなく映像的だったのが良かったです
監督:岸善幸
脚本:岸善幸
原作:小池真理子
白石珠:門脇麦
石坂史郎:長谷川博己
鈴木卓也:菅田将暉
篠原:リリー・フランキー
【作品概要】
大学院の哲学科に通う珠は、担当教授のすすめから、対象を追いかけて生活や行動を記録する「哲学的尾行」を実践することとなる。最初は尾行という行為に戸惑いを感じる珠だったが、たまたま近所に住む石坂の姿を目にし、なんとなく、石坂の後を追ってしまう。そこから、一軒家に美しい妻と娘と暮らす石坂を、珠が尾行する日々が始まったが…。(ヒューマックスシネマ渋谷HPより)
【感想レビュー】@theater
“哲学的尾行”。気持ち悪い(‼)ながらも発想は面白いので、観ることに。長谷川博己さんが出てるし、うんうん…。原作が、ソフィ・カルの「文学的・哲学的尾行」をモチーフしているとのことで、映画にもそのくだりが出てきます。
主人公が、尾行をしているうちに出会う人達、またひいては日常で既に出会っている人達すべてが、ピースとして生きてくる仕組みになっていました。
伏線があちこちに仕掛けられているので、観終わった後も、“あれもそうか…!こっちもそうかも!”のような楽しみ方ができます
(ただ、余計な間やシーンが多くて少し辛かったです…。もしかしたら、あえて役を演じている感を出すための演出かもしれませんが、それにしても…。)
長谷川さんはどの作品でも無駄な間がないイメージがあるけど、彼のシーンでホッとするような感じでした
でも面白いのは作品に仕掛けられたあれこれですメモ風に…。
監視カメラ⇒在るものをただ映す装置
(限定された範囲を映しているだけの空間に入ってきた人物が、他の物と同様に否応無しにただ存在する容れ物として意識される)
映画のカメラ⇒演じている役者を撮る装置(役を演じている役者という人物もまた、容れ物として意識される)
人が自分の役割を演じる事⇒父として、母として、娘として、息子として。夫として、妻として。彼氏として、彼女として。または愛人として。
仕事上の役を演じる事⇒マンションの管理人として、編集者として、町内会の一員として、小説家として、漫画家として、役者として、大学教授として、大学院生として。
一人で居る時の素の状態⇒無意識。
洗車中、郵便受けをチェックする時、ゴミ出しする時など。
生徒や彼女としての役を演じている時の主人公は空虚ながらもまだ自分を保っている…が、その役にはしっくりきていない。
尾行する役を演じた時、彼女は彼女を生きた。夫という役からつかの間解放された人物を尾行する事で、それまでの自分の役に新たに加わったその新鮮な役を生きた。
結局、人は人生で様々な役を演じていく。その事と、俳優が舞台やドラマや映画で役を演じる事との共通性を描いていて、その二つをつなぐのに教授のエピソードがありました。
それらが説明的ではなく映像的だったのが良かったです