『それでも僕は帰る ~シリア 若者たちが求め続けたふるさと~』(2013)
監督:タラール・デルキ
【作品概要】
サッカーボールを銃に持ち替えた青年。非暴力を貫きカメラで記録し続ける青年。戦争のなかに生きるシリアの若者たちを追ったドキュメンタリー。
2011年に始まった「アラブの春」と呼ばれる民主化運動の波。その影響を受け、シリアでも2人の青年が立ち上がった。サッカーのユース代表チームでゴールキーパーとして活躍していた当時19歳の青年バセットは、そのカリスマ性から若者を惹きつけ、平和を訴えるシンガーとして民主化運動のリーダーになっていく。彼の友人で、有名な市民カメラマンである24歳のオサマは、デモの様子を撮影し、インターネットで公開することで、民主化運動を広げようとする。バセットは歌で、オサマは映像で、それぞれ非暴力の抵抗運動を先導していたものの、2012年2月、政府軍の容赦ない攻撃によってホムスで170人もの市民が殺害されたのを機に、バセットと仲間たちは武器を持って戦い始める。彼らはなぜ戦い続けるのか、生きることとは、戦争とは、ふるさととは……。シリアの民主化運動の中で生きている人々の“リアル”を映し出した作品。(アップリンクHPより引用)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/e8/9c7dbb338eef1affceac377a8ea033ae.jpg)
【感想レビュー】@theater
ずっと観なければと思っていた作品にようやく行って参りました!
シリア内戦を少しでも知ることができたら…。
始め…アラブの春の頃、立ち上がった若者たちはキラキラしていた。熱をもった群衆は肩を組んで輪になっては大声で合唱していた。
民主化リーダーのバセットという若者は、アジアでも二番目のキーパーで有望な選手だったそうだ。彼は扇動がうまい。コーラン調の即興のような自作の歌も、うまい。そして見た目の美しい青年だ。そんなバセットの類まれなるリーダーぶりは、若者達をさらに熱狂させたのだろうと感じた。
若者達はアサド政権を倒して自由を手に入れると、固く信じている。一方、そんな若者達に年長者たちは言ったそうだ。アサド政権をあまくみてはいけない…と。年長者たちはアサド政権の怖さを知っているが、若者達はよく知らなかったのだ、と振り返るナレーション。
そして、バセットが民主化リーダーをするのも、始めの二、三ヶ月であれば元に戻れたという。アサド政権がバセットに取り引きをもちかけたのだ。国営放送(確か)で、自分が間違っていたと謝罪すれば、またサッカー選手に戻してやるよ、人気になれるよ、と。
でも彼は、冗談じゃない、そんなものなら自分のやり方で手に入れられる、と突っぱねる。
政府が、戦車を出して国民を爆撃する。反撃をした若者だけではなく、平和の言葉を掲げるカードを持って訴えた若者も、撃たれて亡くなった。
死者がたくさん出る。若者達が応戦する。平和の為の集会や歌は、いつしか武器に取って変わっていった…。その変化は自然な成り行きのようであり、しかし結局は民主化や平和を望む意志と相反することでもある…。
彼らのグループの中に、武器ではなくカメラを手に記録し発信する事で闘う青年オサマがいた。彼のような選択をできるだろうか。
このような状況下で、自分だったらどうするのか?どういう行動をとるのか?とるべきなのか?心では違うと思っていても、鳴り止まぬ爆撃音の中で、恐怖心から武器を手に取りはしないだろうか?
身につまされる思いがする…。
街はアラブの春の頃とは様変わりし、破壊につぐ破壊によって、瓦礫の山が広がる。とても人が住めたものではない。市民が通りに出ると、政府の狙撃手や戦車からの攻撃を受けるので、連なった家々の壁を壊して中を通って移動する。 ここに暮らしていた人々はいったいどこへ行ったのか…。
爆撃に巻き込まれて命をおとした人もたくさんいるだろう…。命からがら逃げ出した人々は今どこにいるのだろう。国を脱出し難民となって新地を求めている人もいるだろう。シリアで息を潜めて暮らしている人もいるのだろう。留まるにしろ脱出するにしろ、深刻な状況である事にはかわりない。
これは対岸の火事なんかではない。すべてはとっくに繋がってしまっているのだから。
難民に対してできることを考えたい。こういった映画を観て知ることやたとえ僅かな寄付だったとしても…。
89分の作品。爆撃音のしない時間の方が少なかった…。
監督:タラール・デルキ
【作品概要】
サッカーボールを銃に持ち替えた青年。非暴力を貫きカメラで記録し続ける青年。戦争のなかに生きるシリアの若者たちを追ったドキュメンタリー。
2011年に始まった「アラブの春」と呼ばれる民主化運動の波。その影響を受け、シリアでも2人の青年が立ち上がった。サッカーのユース代表チームでゴールキーパーとして活躍していた当時19歳の青年バセットは、そのカリスマ性から若者を惹きつけ、平和を訴えるシンガーとして民主化運動のリーダーになっていく。彼の友人で、有名な市民カメラマンである24歳のオサマは、デモの様子を撮影し、インターネットで公開することで、民主化運動を広げようとする。バセットは歌で、オサマは映像で、それぞれ非暴力の抵抗運動を先導していたものの、2012年2月、政府軍の容赦ない攻撃によってホムスで170人もの市民が殺害されたのを機に、バセットと仲間たちは武器を持って戦い始める。彼らはなぜ戦い続けるのか、生きることとは、戦争とは、ふるさととは……。シリアの民主化運動の中で生きている人々の“リアル”を映し出した作品。(アップリンクHPより引用)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/e8/9c7dbb338eef1affceac377a8ea033ae.jpg)
【感想レビュー】@theater
ずっと観なければと思っていた作品にようやく行って参りました!
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始め…アラブの春の頃、立ち上がった若者たちはキラキラしていた。熱をもった群衆は肩を組んで輪になっては大声で合唱していた。
民主化リーダーのバセットという若者は、アジアでも二番目のキーパーで有望な選手だったそうだ。彼は扇動がうまい。コーラン調の即興のような自作の歌も、うまい。そして見た目の美しい青年だ。そんなバセットの類まれなるリーダーぶりは、若者達をさらに熱狂させたのだろうと感じた。
若者達はアサド政権を倒して自由を手に入れると、固く信じている。一方、そんな若者達に年長者たちは言ったそうだ。アサド政権をあまくみてはいけない…と。年長者たちはアサド政権の怖さを知っているが、若者達はよく知らなかったのだ、と振り返るナレーション。
そして、バセットが民主化リーダーをするのも、始めの二、三ヶ月であれば元に戻れたという。アサド政権がバセットに取り引きをもちかけたのだ。国営放送(確か)で、自分が間違っていたと謝罪すれば、またサッカー選手に戻してやるよ、人気になれるよ、と。
でも彼は、冗談じゃない、そんなものなら自分のやり方で手に入れられる、と突っぱねる。
政府が、戦車を出して国民を爆撃する。反撃をした若者だけではなく、平和の言葉を掲げるカードを持って訴えた若者も、撃たれて亡くなった。
死者がたくさん出る。若者達が応戦する。平和の為の集会や歌は、いつしか武器に取って変わっていった…。その変化は自然な成り行きのようであり、しかし結局は民主化や平和を望む意志と相反することでもある…。
彼らのグループの中に、武器ではなくカメラを手に記録し発信する事で闘う青年オサマがいた。彼のような選択をできるだろうか。
このような状況下で、自分だったらどうするのか?どういう行動をとるのか?とるべきなのか?心では違うと思っていても、鳴り止まぬ爆撃音の中で、恐怖心から武器を手に取りはしないだろうか?
身につまされる思いがする…。
街はアラブの春の頃とは様変わりし、破壊につぐ破壊によって、瓦礫の山が広がる。とても人が住めたものではない。市民が通りに出ると、政府の狙撃手や戦車からの攻撃を受けるので、連なった家々の壁を壊して中を通って移動する。 ここに暮らしていた人々はいったいどこへ行ったのか…。
爆撃に巻き込まれて命をおとした人もたくさんいるだろう…。命からがら逃げ出した人々は今どこにいるのだろう。国を脱出し難民となって新地を求めている人もいるだろう。シリアで息を潜めて暮らしている人もいるのだろう。留まるにしろ脱出するにしろ、深刻な状況である事にはかわりない。
これは対岸の火事なんかではない。すべてはとっくに繋がってしまっているのだから。
難民に対してできることを考えたい。こういった映画を観て知ることやたとえ僅かな寄付だったとしても…。
89分の作品。爆撃音のしない時間の方が少なかった…。