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■消費税撤廃、アジア版列島改造、そして格差是正……ニッポン経済復活へ、田中角栄ならこうする 週刊現代 2016.06.01

2022-05-28 05:33:34 | 日記

 

■消費税撤廃、アジア版列島改造、そして格差是正……ニッポン経済復活へ、田中角栄ならこうする

週刊現代 2016.06.01

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/48754


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・アジア版列島改造論をぶち上げる


まず多くの識者が指摘したのが、「日本の売り込み」を、アジア中心で一気に進めていくだろうということである。


「田中角栄さんがいま生きていたら、安倍政権とはまったく逆のことをするでしょう。安倍政権は中国を脅威と捉えて対立していますが、田中さんならばうまく取り込んでいく。

なにせ中国は13億人以上の人口を抱える巨大マーケット。


日本国内の内需が人口減少で縮んでいくのなら、中国、さらにこれから中国をも上回ってくる巨大市場のインドを取り込もうと考えるのが田中流です。

1972年に田中さんは中国の周恩来首相と会談し、歴史的な日中国交正常化を実現させました。


いまならば田中さんは訪中して習近平国家主席と握手をし、そこで『日本列島改造論』に代わって、『アジア列島改造論』をぶち上げるでしょう」


そう語るのはジャーナリストの田原総一朗氏。

聞くだけでワクワクするような構想だが、『アジア列島改造論』とはどのようなものなのか。


田原氏が続ける。

「田中さんが日本列島改造論で提唱していたのは、日本中が一つの都市のように結びついて、北海道から九州までが一日で往復できる『一日経済圏』『一日生活圏』となることで日本全体が発展するというもの。


そのために新幹線と高速道路をめぐらせ、各地に地方空港を作り、さらに日本の4つの島をトンネルと橋で結ぶことが不可欠だと彼は説いた。

『アジア列島改造論』は、同じことを中国やインドまで含めたアジアのスケールでやるものになる。


アジア全体を巨大なマーケットとして結びつけるために、最新鋭の空運、海運、陸運の交通網が莫大なスケールで整備される。

ヨーロッパがEU(欧州連合)や共通通貨のユーロを作ったように、アジア共同体やアジア版ユーロのような共通通貨も新しく生まれてくる」


田中角栄の外交力は、グローバル時代のいまであればなおさら、存分に発揮される。

実際、「現代の田中角栄」が政府専用機に乗って地球全体を飛び回り、世界の首脳たちとのトップ外交で次々と商談をまとめていく姿は容易に想像できる。


田中の首相秘書官を務めた木内昭胤氏も言う。

「田中さんは『人気絶頂の時にこそ、一番難しいことにチャレンジする』と言って日中国交正常化を実現させたので、現在のように官邸が強い政治状況のときこそ、最も難しいとされる中国との関係改善に動くでしょう。


習近平国家主席は日本に強硬姿勢ですが、そういう相手にも田中さんは言うべきことは言う。

そして、気がついた時には笑顔で握手をする関係を作ってしまうのです。


田中さんは旧ソ連との間でも、ブレジネフ書記長と初対面にもかかわらず丁々発止でやって、切った張ったの外交を展開しました。

そのうえで北方四島の領土問題を確認し、シベリア開発の道筋を固めた。


そんな資源外交を展開した田中さんですから、いまならプーチン大統領とトップ交渉をして、新しい石油・ガス田開発の権益を日本に持ってくる。

ロシアからパイプラインを日本に引いてくるくらいのこともやるでしょう」


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消費税撤廃、アジア版列島改造、そして格差是正……ニッポン経済復活へ、田中角栄ならこうする
週刊現代 2016.06.01
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/48754


■コロナ禍に田中角栄が首相だったら――元側近ら語る「マスク2枚は配らない」 週刊新潮 2020年6月4日

2022-05-28 05:33:11 | 日記


■コロナ禍に田中角栄が首相だったら――元側近ら語る「マスク2枚は配らない」

週刊新潮 2020年6月4日

https://www.dailyshincho.jp/article/2020/06060601/?all=1&page=1


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全国でマスクが出回り始めた今になってようやく届き始めた「アベノマスク」。

466億円もかけてそれを配ったおかげで市中にマスクが流通し、価格も下がったと詭弁を弄する安倍晋三総理にはため息しか出ない。


無論、初めて経験する災禍だから誰がリーダーであったとしてもミスが起こるのは仕方なかろう。

しかし、混迷を極める政府への不信感が日本中を支配するにつれ、政財界の一部からこんな声が聞こえてくるようになった。


田中角栄ならもっとうまくやったのではないか――。


「布マスクを配布するなんてね、田中先生だったらそんなバカみたいなことはやるはずがない。秘書官に言われるがまま実行に移すなんて、国のリーダーとしてあり得ません。田中先生なら経済活動と国民の命を同時に守る、バランスの取れた政策を取ったはずです」


鉄の結束を誇った角栄の後援会「越山会」元幹部の馬場潤一郎氏はそう語る。


「田中先生が議員時代に道路整備に力を入れたのは、工業生産が増える中でトラックが通る道路が必要だったから。実は、そういった経済的な面だけではなく、それは人々の生活を守る政策でもあった。田中先生の地元の新潟では、冬になると豪雪で道路が使えなくなり、急病になっても病院に行けないことがある。無雪道路がないと、人々の命、生活が危ないと考えて道路整備を進めたのです」


角栄の元番記者で新潟日報社長の小田敏三氏も、


「角栄さんならマスク2枚配布は絶対にしないだろうな、と安倍さんの発表を聞いた時に思いました。角栄さんならまず、自分が泥を被ってでも大型の財政出動を最優先したはずです」


小田氏が思い起こすのは、最終的に角栄が決着させた「日米繊維交渉」である。


「1971年、第3次佐藤栄作改造内閣で角栄さんは通商産業大臣に任命されました。当時、アメリカのニクソン大統領は自国の繊維工業を守るため、日本に繊維輸出の自主規制を求めていました。が、それまでの通産大臣は自主規制に反対の立場を取り、アメリカとの交渉は難航。そこで佐藤総理が角栄さんに白羽の矢を立てたのです」


角栄は当時のことを、“あえて火中の栗を拾った”と言っていたそうだが、「それは決してウソではなく、交渉に失敗すれば国民の猛反発を受け、政治家生命が終わってしまう可能性が実際にあった」と、小田氏。


「当時、アメリカはベトナム戦争やインフレによって国際収支が赤字となり、深刻な経済不況に陥っていた。繊維業界の救済はアメリカ全体の不況政策の一つだったのです。角栄さんはそうしたアメリカの交渉背景を汲み取り、さらに佐藤総理が、沖縄返還交渉を成功させるためにも、日米繊維交渉を早期に決着させたいと考えていることも理解していました」


しかし、繊維輸出を自主規制すれば概算にして2千億円余りの損失が出ると言われていた。
そこで角栄は佐藤総理などを説き伏せて繊維業界の救済対策費用、約1300億円を確保。


「繊維業界の損失は丸ごと国が補償するという角栄さんの戦略で、見事日米繊維交渉は決着。その後、『縄と糸の交換』と言われたように沖縄が日本に返還されました。日本のお家芸である繊維業で自主規制をするのは難題だったに違いない。だから今回、もし角栄さんなら自分が泥を被ってでも思い切った財政出動をして、本当に困っている人への補償に当てたのではないかと私は思います」(同)


・庶民視点で対応


安倍総理は紆余曲折の挙句、国民1人当たり一律10万円の給付を決めたが、「田中先生なら一律の給付ではなく、明日食べられない人にお金を渡すような政策にしたでしょう。雪国に育った田中先生、オヤジさんは、冬になると収入がなくなったり、家族を置いて出稼ぎに行く人を間近で見てきた。だから新型コロナで職を失い、命を絶つ人がいるということもすぐに想像できるのです」


そう語るのは、角栄の元秘書の朝賀昭氏である。


「オヤジさんは『政治家というのは、人の痛みが分からないといけない』と常々言っていました。若い政治家を前にすると、『困っている人が目の前にいる時に助けようと思えない人間は選挙に出たらダメだ』と。当選1、2回の頃の小沢一郎にもそう話していました。そして、ただ言うだけではなく、オヤジさんは常に人のためになることを第一に政策を実行していました」


角栄なら庶民視点で対応に当たったに違いない。角栄を知る人たちはそう口を揃えるのだ。

角栄がロッキード事件で逮捕された後、初めてのインタビューに成功したモンゴル日刊紙東京特派員の佐藤修氏はこう話す。


「角栄さんが政治家としての最初の演説で、『国民に住宅を与えられないで何が政治だ!』と言ったのは有名な話です。庶民が何に困っているかいち早く気づき、その解決に向けて全力で動く方でした」


自民党の石破茂元防衛大臣も、「角栄先生の真骨頂というのは、困っている人を見捨てないところでしょう。何に困っているのか、誰が一番困っているのかを見抜く目をお持ちでした」として、こう語る。


「何が国民の心に響くのかということを角栄先生が分かっておられたのは、新潟の貧しい家庭に生まれて苦労されたことも関係していたのでしょう。弱い立場の人の気持ちが角栄先生には自分のこととして感じられる。今回のコロナ関連で言えば、テナントが家賃の支払いに困っている、といったことにもすぐに対応されたでしょう」


また、角栄には金の配り方にも哲学があり、常々、金は受け取る側が実は一番つらい。

だから、くれてやるという姿勢は間違っても見せるな」と、話していた。


それ故、「今回のような支援策でも、角栄先生なら、『政府がみなさんにお金をあげますよ』という姿勢ではなく、苦しい思いをさせてすまない、どうぞ受け取って下さい、という姿勢を徹底されたと思います」(同)


次々に出てくる「角栄なら」の声。

元側近や元番記者、そして現職の国会議員の談話から見えてきた角栄の決断力や実行力、人を思いやる庶民感覚はコロナ禍の今こそ必要とされるに違いない。


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コロナ禍に田中角栄が首相だったら――元側近ら語る「マスク2枚は配らない」
週刊新潮 2020年6月4日
https://www.dailyshincho.jp/article/2020/06060601/?all=1&page=1

 

 

 

 

 

■「田中角栄に今の日本を任せたい」

角川SSC新書 (角川新書)

著者 大下英治

発売日:2011年11月10日

https://www.kadokawa.co.jp/product/201105000506/


■「日本は政治的“ピグミー”だ」ロッキード事件の裏側で田中角栄への侮蔑を重ねたリチャード・ニクソン 文藝春秋 2020/10/30

2022-05-28 05:31:58 | 日記

 

■「日本は政治的“ピグミー”だ」ロッキード事件の裏側で田中角栄への侮蔑を重ねたリチャード・ニクソン

文藝春秋 2020/10/30

『ロッキード疑獄 角栄ヲ葬リ巨悪ヲ逃ス』(春名幹男)より

https://bunshun.jp/articles/-/40998


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・「日本は良き同盟国ではない」

 

1973年1月31日、ニクソンは首相を退任した佐藤のために、秘書の楠田實(くすだみのる)や外務省高官らもホワイトハウスに招き、夕食会を開いた。

佐藤をもてなす合間の同日夕、ニクソンは午後5時前から1時間余り、前財務長官のジョン・コナリーらと懇談した。

コナリーはジョン・F・ケネディ大統領暗殺時にテキサス州知事で、ケネディの前の助手席に座っていて、重傷を負った人物として知られている。

ニクソンは、野党民主党員の彼を財務長官に抜擢(ばってき)。

前年の大統領選挙で、コナリーはニクソンを支持する民主党員票の掘り起こしに協力した。

そのコナリーとの懇談の席で、ニクソンは田中のことを、次のように非難した*2。

コナリー「いま佐藤が来ていますか」

ニクソン「彼は日本で今も尊敬され、われわれの友人だ。彼が首相の時、現在の田中首相の時よりずっとうまくやれていた。田中は非常に生意気で強硬だ。佐藤は岸と同じように米国を助けてくれた」

それから約半月後の1973年2月16日、ニクソン大統領は閣僚らと国際貿易・通貨問題を議論した。

その際、ニクソンは日本経済に対する強い不信感をぶちまけている。

「日本の大商社がすべて政府と共同所有されていることはみんな知っている」

「基本的な問題は、貿易分野で日本が良きパートナーではないことだ」

「田中に関して言えば、日本は良き同盟国ではない」

 


・ニクソンの感情的な発言

 

以上、1973年1月と2月のニクソンの生の発言を紹介した。

いずれも、国務省歴史室が地域・年代別に発行する「米国の外交関係(FRUS)」シリーズの「1973~1976年東・東南アジア編」「日本」の項に、掲載されていた。

原典は、両方とも録音テープだった。

ニクソン大統領はホワイトハウスでの会話を録音していたので、今も録音テープが残されている。

上記二件の発言は、国務省歴史室の「ヒストリアン(歴史記録者)」が重要性に注目してFRUSに収録したものだ。

日本関係のFRUSで生の声を記録したものは珍しい。

これらの大統領の発言が、米国の対日外交の重要な部分を成すとみて、取り上げたのである。

しかし、その内容はひどい。

日本には国が保有する大手商社などない。

比喩(ひゆ)的な言い方かもしれないが、感情的な発言には驚く。

 


・日米関係見直しを二度指示した大統領

 

ニクソン政権は、日本に対してどう対応すべきか、分からなくなっていたようだ。

田中政権の日中国交正常化は米国側にしこりを残した。

対日外交は何とかならんか、という気持ちになったのだろう。

ニクソン政権は「対日政策」の見直しを指示する、同じテーマの「国家安全保障検討メモ(NSSM)」を1971年4月15日、さらに約2年後の73年3月7日、と続けて発出した。

前者(NSSM122「対日政策*4」)では、「日本の国際的役割に関する日本の態度変化」「米中関係の展開の影響」など、国際環境の変化をテーマにしていた。

後者(NSSM172「米国の対日政策*5」)では、「対日関係をめぐる米国の基本的国益の特定」「向こう5年間の日本の関心と目標の特定」といった基本的な課題に関心が移っている。大統領は日米関係の基本を見直そうとしていた。

同年3月27日、愛知揆一蔵相とジョージ・シュルツ財務長官の会談が、ホワイトハウスのキッシンジャーの部屋で行われた。

その会談の途中でニクソンが顔を出し、心にもないことを口にした。

「あなたに知ってもらいたいのは、私が良き日米関係に意を強くしたということだ。米国と欧州の協議は多々あるが、日本が加わらないと取引はできないことを知ってほしい。日米は二大経済大国で、対等だ。日本を外した米欧の取り決めなどない*6」

続けて、同席したキッシンジャーに「首相の訪米の時間はとれるよね」と尋ねた。

キッシンジャーはこれに、「イエス。8月初めです」と答えると、「いいことだ。首相と天皇にも会いたい。そして来年は私が日本を訪問する」とニクソンは言っている。

翌年、自分がウォーターゲート事件で辞任し、思い通りに訪日は実現しなかった。

ニクソンは、5月12日には、訪米した大平正芳外相と大統領執務室で会った。

大平は田中より先に、ホワイトハウスで大統領を表敬訪問する栄誉に浴した。

大平への米国側の期待が強いことを態度で示したのだ。

 

(中略)

 

・日本人は「裸で立っているピグミー」か


その後、ニクソンは次のように、計三回、日本をアフリカの「ピグミー族」にたとえる差別的な発言をした。

ニクソン 「 自分の基本的な見方だと、経済大国は政治的なピグミーにとどまることができないということだ。それは自然の法則に反する。経済大国は政治的ピグミーにとどまれない……首相は日本が将来歩むべき道をどう考えるのか」

田中 「 すべての日本国民は米国が過去四半世紀、日本に与えた援助に感謝している。それによって、日本は全面的敗北から復興するまれな成果を挙げた。日本国民の基本的な願いは、米国と緊密に協議し、永久に自由諸国とともに地位を維持することだ」

ニクソン 「 中国、ソ連、日本、米国を見ると、一つの事実が際立っている。日本は近隣諸国の中でソ連などとは対照的に、経済大国ながら軍事的かつ政治的にはピグミーとして裸で立っている。……現在の安保関係の取り決めは、それら諸国が熟れたスモモのような日本を見ても、むしり取ろうと思わないよう、最良の保障となっている」

田中 「 大統領の見方と同感です。米国と日本の固い結合が他のあらゆる関係にとっても重要です。それなしに日本は中国と国交正常化できなかった」(太字部筆者)

 

・侮蔑を受け止めた田中角栄

 

田中はニクソンから「ピグミー」と侮辱されても、反発することなく、戦後米国から受けた支援に感謝し、安保条約のおかげで日本は守られていると認めた。

そして、日米安保があったから日中国交正常化ができた、とも主張した。

論理的には、のれんに腕押しのような反論だ。

では、「五年後の世界」はどうなるか。

ニクソンは「日米安保条約が廃棄され、日本で支持されなくなったら、多くのアメリカ人は喜んで出て行く。韓国から米軍も撤退する」と言った。

言うことを聞かなければ米軍を撤退させる、というカードをここで見せた。

それにしても、日本と日本人に対して、これほど侮辱的な言葉を使った米大統領がいただろうか。

日本側の会談記録はどうなっているのか。

外務省に情報公開請求して入手した。

外務省の会談記録では、ピグミーを訳さず「政治的な小人(political pygmy)」とカッコ付き、あるいはカッコなしで英文のまま記していた。

「田中総理・ニクソン大統領会談の模様」と題する1973年8月23日付9ページの文書は、こうした刺激的な発言を省いていた。

この会談が外交問題化しないよう配慮した形だ。

「ピグミー」は、『リーダーズ英和辞典』(研究社)によると、「アフリカ赤道森林地帯の矮小黒人種」とある。

それが転じて「こびと」「知力の劣った人」という意味もあるとしていて、差別的に使用され得る言葉であることが分かる。


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■「日本は政治的“ピグミー”だ」ロッキード事件の裏側で田中角栄への侮蔑を重ねたリチャード・ニクソン
『ロッキード疑獄 角栄ヲ葬リ巨悪ヲ逃ス』(春名幹男)より
文藝春秋 2020/10/30
https://bunshun.jp/articles/-/40998