かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

母の死に方は幸せな死に方だったかもしれない

2019-02-01 19:49:23 | ブログ記事

さきほど、ブロ友さんのブログを読ませてもらうと、

「最期を看取る」という記事を書かれていた。

ブロ友さんは、これからホスピスボランティアを目指されるそう。

えらいなあ。

私よりは若いと言っても、60歳を超えて、お孫さんも4人もいる人なのに。

それで、その記事に書かれてあることは、

これから、老人ホームなどで、亡くなりゆく人を看取るボランティアをすることに
なりそうだということである。

人の看取りが大事なことだということはよくわかる。

が、なかなか誰にでもできることではないとも思う。

そんな記事を読ませてもらっていると、
昨年亡くなった私の母は、幸せな死に方をしたのかもしれないと気づいた。

入院中であったにも関わらず、外泊許可をもらって、
娘の私とホテルに宿泊中に亡くなったのだから。

しかも、亡兄の長男も北海道から帰省中で、
亡くなった前の日は、ひ孫のピアノ演奏を聴き、夜はホテルの夕食を食べてから、
娘の私の隣のベッドで夜中に亡くなったのだから。

亡くなる前々日は頭にパーマもかけて綺麗にしていた。

本人は、まだ死ぬつもりはなかったかもしれないが、
もう心臓がボロボロだったから、早晩亡くなる運命だった。

それなら、娘の私の横で死ねたことは幸運だったと言えるだろう。

ブロ友さんの記事を読ませてもらいながら、そんなことを思った。

*

★いつか死ぬ命であればあの時に死ねてよかつた今さう思ふ

★惜しみても永久の命はあらざればあつと死にたる人の幸せ

★病院のベッドで一人死ぬよりもよかつたと今しみじみ思ふ

★残されしわれはいまだに立ち直れないが母にはあれでよかつた

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