さきほど、ブロ友さんのブログを読ませてもらうと、
「最期を看取る」という記事を書かれていた。
ブロ友さんは、これからホスピスボランティアを目指されるそう。
えらいなあ。
私よりは若いと言っても、60歳を超えて、お孫さんも4人もいる人なのに。
それで、その記事に書かれてあることは、
これから、老人ホームなどで、亡くなりゆく人を看取るボランティアをすることに
なりそうだということである。
人の看取りが大事なことだということはよくわかる。
が、なかなか誰にでもできることではないとも思う。
そんな記事を読ませてもらっていると、
昨年亡くなった私の母は、幸せな死に方をしたのかもしれないと気づいた。
入院中であったにも関わらず、外泊許可をもらって、
娘の私とホテルに宿泊中に亡くなったのだから。
しかも、亡兄の長男も北海道から帰省中で、
亡くなった前の日は、ひ孫のピアノ演奏を聴き、夜はホテルの夕食を食べてから、
娘の私の隣のベッドで夜中に亡くなったのだから。
亡くなる前々日は頭にパーマもかけて綺麗にしていた。
本人は、まだ死ぬつもりはなかったかもしれないが、
もう心臓がボロボロだったから、早晩亡くなる運命だった。
それなら、娘の私の横で死ねたことは幸運だったと言えるだろう。
ブロ友さんの記事を読ませてもらいながら、そんなことを思った。
*
★いつか死ぬ命であればあの時に死ねてよかつた今さう思ふ
★惜しみても永久の命はあらざればあつと死にたる人の幸せ
★病院のベッドで一人死ぬよりもよかつたと今しみじみ思ふ
★残されしわれはいまだに立ち直れないが母にはあれでよかつた