続けて書こうと思っていたけれど、イギリス旅行に続けての帰省のため、疲れによる睡魔に襲われ寝込んでしまっていました。
コッツウォルズ地方の次はシェークスピアの生家の残るストラットフォード・アポン・エイボン。
まず、シェークスピアの生家を外から見て、
シェークスピアの子供の頃の部屋はこの写真の三階のように見える屋根裏部屋だったようです。
その後、シェークスピア一家の眠る墓地へ、かなり歩きました。
このあと他の人たちは墓地のある教会に入ったのですが、私達は皆から離れて街の横を流れる川沿いを歩きました。
これが大正解でした。
白鳥が固まって休んでいる場所も見られたし、
地元の人たちの憩う姿も見られました。
ロイヤル・シェークスピア劇場も
ここまではよかったのでしたが、この日は朝から歩く観光が続いたため、このあとシェークスピアの生家に戻って家の中も見学する予定だったのに、私が歩けなくなってしまったのです。
公園の階段に座り込んだ私を見て夫は「ここで動かずにおれ。僕は一人で観光を続けるから」と言うのです。
「え、こんなところに一人でほっとかれるのはいやよ。少し休めばまた歩けると思うから、一緒に休んでくれない?」と頼む私に夫は「時間がもったいない」と言います。
が、結局、少し待ってもらってから一緒に集合場所の近くまで移動した後、夫は一人でシェークスピアの街の観光を続けました。
私も、もちろんシェークスピアの生家の中も見たかったけれども、この日はもう歩くのは無理でした。
このことが発端になり、夕食後、大喧嘩になり、夫は私を殴りました。
たぶん私が夫が私に合わせてくれないことをなじったのだと思います。
それに怒った夫が私をなぐったという図式だったと思いますが、細かいことはもう忘れてしまいました。
連日の強行軍のせいで、お互い気が立っていたのでしょう。
次の日からは、仲直りとまではいかなかったけれども、また普通に旅を続けました。
夫の目一杯たのしみたい気持ちは理解するものの、連れ合いの妻を思いやらない態度には我慢がならなかったのです。それでつい昔はこうではなかったのにと夫に文句を言ってしまったのでしょう。
コッツウォルズ地方の次はシェークスピアの生家の残るストラットフォード・アポン・エイボン。
まず、シェークスピアの生家を外から見て、
シェークスピアの子供の頃の部屋はこの写真の三階のように見える屋根裏部屋だったようです。
その後、シェークスピア一家の眠る墓地へ、かなり歩きました。
このあと他の人たちは墓地のある教会に入ったのですが、私達は皆から離れて街の横を流れる川沿いを歩きました。
これが大正解でした。
白鳥が固まって休んでいる場所も見られたし、
地元の人たちの憩う姿も見られました。
ロイヤル・シェークスピア劇場も
ここまではよかったのでしたが、この日は朝から歩く観光が続いたため、このあとシェークスピアの生家に戻って家の中も見学する予定だったのに、私が歩けなくなってしまったのです。
公園の階段に座り込んだ私を見て夫は「ここで動かずにおれ。僕は一人で観光を続けるから」と言うのです。
「え、こんなところに一人でほっとかれるのはいやよ。少し休めばまた歩けると思うから、一緒に休んでくれない?」と頼む私に夫は「時間がもったいない」と言います。
が、結局、少し待ってもらってから一緒に集合場所の近くまで移動した後、夫は一人でシェークスピアの街の観光を続けました。
私も、もちろんシェークスピアの生家の中も見たかったけれども、この日はもう歩くのは無理でした。
このことが発端になり、夕食後、大喧嘩になり、夫は私を殴りました。
たぶん私が夫が私に合わせてくれないことをなじったのだと思います。
それに怒った夫が私をなぐったという図式だったと思いますが、細かいことはもう忘れてしまいました。
連日の強行軍のせいで、お互い気が立っていたのでしょう。
次の日からは、仲直りとまではいかなかったけれども、また普通に旅を続けました。
夫の目一杯たのしみたい気持ちは理解するものの、連れ合いの妻を思いやらない態度には我慢がならなかったのです。それでつい昔はこうではなかったのにと夫に文句を言ってしまったのでしょう。
70歳の人が、妻を殴るなんて怖すぎるし
酷いよ。
大丈夫でしたか?殴られたとこは?
私なら、呆れるし怖さと旅は続けられないと
思います。
その後、普通に戻ったんですか。
白鳥綺麗ですね!
白鳥は、最初は綺麗と感激したのでしたが、あまりにも数が多すぎて、最後のほうは、夫と「白鳥もよく見ると、あまり人相(鳥相?)がよくないね」などと言い合いました。
アメリカと比べると、まだまだ日本は人権的に遅れていると思います。特に高知県という辺鄙な地域は遅れています。
夫は都会で育っていますが、両親が高知県で育っていますから、いまだに封建的な考えをもっています。
それでも、そんな夫でも、もっと封建的な嫁いびりをした義母からかばってくれた人ですので、その点は感謝しています。
私自身、もっと人権に目覚めなければならないと思いますが、実際問題として、難聴ではあるし、心臓も悪いですから、強く出られない面があります。
70歳をまだまだと思う気持ちもありますが、これも実際問題として、なかなか自分の権利を守るところまではいきません。
でも、今回、こうして、ままさんにご助言いただいたことで、なにがしかの勇気をいただけました。
これからも、折に触れ、力づけていただけると幸いです。ありがとうございました。