感覚の間隔

家族、仕事、友人、知人から街中での知っている人、知らない人・・・そこでの自分の、自分との「カンカク」はどうなんだろう

新しい夢ーこれからの触れ合いってなんだろう

2021-01-16 08:00:28 | 日記
新年が明けてからもうすぐ半月。

といっても、年末年始はいつもと違った過ごし方だったので、「年が終わった」「年が始まった」という感覚は今一つピンとこない。

そうした中で、周りの人との接点は、この1年でかなり変わったわけで。

それは直接的なタッチの激減。

いまや、握手後も手荒い

ソーシャルディスタンス(フィジカルディスタンス)をとるから、相手とも距離があり、そもそも触れ合いが存在しにくくなる。

この前ラジオを聴いていたら、握手すると感染するからと露骨に言われたっていうことも聴きました。

それで思うのが、十年後くらいの世の中。

幼少期から触れることになれていない、触れることはリスクがあることって、心と身体に染み付いている子どもたちが増えている世界。

そこでは触れ合いによる安心感や共感を得る、相手を愛おしむということが難しい関係性が普通になっていて、表情(これも鼻から上)やことば、IT授業が盛んになって、テキスト上でのやり取りからえる感性で生じる自己感覚で判断・処理するする人が当たり前になってしまうじゃないかってこと。

身体から伝わる感覚じゃなくって、心や情報から伝わってというか判断して得る感覚。擬似感覚って言っても良いのかもしれない。

そうなると、今まで以上に感性の世代間格差が広がっているだろうなって予想します。

今考えられるのは、人と接することに新たな価値観や方法を探って、結果起こるであろう孤立や自己判断や自己感性だけに依拠した状況を減らす術を考えることじゃないかな。

生物的には、触れ合いが減っていけば存在することさえ難しいことに繋がるだろうし。

これが良いとは今自分も言えないけれど、そこを考えて探っていく努力は大切なことじゃないかなって思うのです。

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