感覚の間隔

家族、仕事、友人、知人から街中での知っている人、知らない人・・・そこでの自分の、自分との「カンカク」はどうなんだろう

声をかけるまで

2021-08-02 22:10:54 | 日記
先日子どもの定期診察に一緒に行っていたときのこと

待ち合いにいる、バギーに乗った肢体不自由児の女の子とお父さんがいました

小学生くらいの女の子は、頻繁に声をあげて苦しそうな感じ
ねじれて反り返って、座っているというより、ベルトや座幅に引っ掛かっているという状態でした

お父さんはその子に対して有効な手段をあまりもっていない感じで、
時々胸をとんとんしたり
あまりに泣いていると、姿勢を直してあげるのですが
3分もたたずに、反り返って、ねじれて
そしてしばらくしたらまた苦しくなって、泣いてしまう

そんな光景を、何回か見ていた自分

子育てに困っている子連れの親子がいたらもっと早くに声をかけているだろう

でもそのとき、どう声をかけるか、そのあとにその子の苦しさが少しでも解消される方法が話せるか

そこをずーっと考えてしまった

結果、声をかけたのは自分の子の会計が終わった1時間くらいした帰り間際

自分の関わっている仕事を話して、苦しいのが多そうだからこうしたら楽になるかもと、お父さんへ話して、許可もらってちょっとだけ手伝って
そうしているときに、その子が診察に呼ばれたからそこでわかれました。

あの女の子のお父さんには、うまく伝わらなかったなぁという感覚と
あの女の子にも、もっと自然に関われなかったなぁという感覚

全てが自然に動けてなかった自分の時間

普通に困っている人に声をかけることから始められればよかったのに

その先をどうするかっていう、シュミレーションばかりして、普通に声がかけられなかった

病院を出たあとも、もしあの2人に街中でばったり会ったら、、、

自然に、自分のそのときの気持ちで声をかけられるように

今度会う人にはそうありたいと思った感覚がいつまでものこった



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