感覚の間隔

家族、仕事、友人、知人から街中での知っている人、知らない人・・・そこでの自分の、自分との「カンカク」はどうなんだろう

あたらしいときをもとめて

2020-05-31 08:23:18 | 日記
明日は6月です。
今日は5月最終日。

もうすぐ入梅だから、また環境的に引きこもり生活に入るような気はするけれど。

昨日、厚生労働省から例のもの第1弾が届きました。
給付金申請書なんてまだ先だなぁと思ってしまう、例の四角い白いもの。






いまは、蒸れにくく、でも防御性に優れたサージカルを使いたいですよね。

日中の気温上昇に、布マスクはちょっと無理で、今後湿度も上がるから、それに対応するものを揃えなきゃという感じです。

で、送られたものを見て今更感を大多数の人が思うように自分も感じたわけですが、加えて時間の流れについても考えました。

失われた時間をどう取り戻すかに力を入れているように感じる社会の雰囲気。

失われたときを求めて

プルーストの小説みたいだけれど。

新しい生活様式を推奨されている一方で、この3ヶ月あまりの失われたときをいかにとりもどすか。
経済も、教育も、人間関係も、その他もろもろ

過去と未来を共存する現実時間をを進む事ってできないですよね。

昨年「時間の非実在性」(ジョン・エリス・マクタガート)を読んだこともあるからだろうけど。

これからは現実世界の捉え方も変わらなきゃいけない。

with coronavirus
以上に
with new time

を作っていかないといけないと思いました。

新しい時間感覚

考えるのにちょうどいい時かもしれない。


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