≪予期せぬ節目となった高野山参り≫
先日、高野山案内犬ゴンの追悼コンサートが開かれました。その様子は
行かれた方のブログなどで見させていただいております。お山に行く
予定はまったくありませんが、同じく先日、ぶっちゃけ寺というテレビ
番組で特別に奥の院の撮影が許され、初めて空海さんがどのあたりに
いるのか具体的な説明つきで紹介される様子を見ながら、ゴンは本当に
正確に案内してたなと改めて関心しました。
お坊様は空海さんのおられる位置をあからさまに指さして説明するなど
恐れおおくて絶対しないでしょうし。2度とない機会でした。
そもそも高野山訪問は私にとって予定外の出来事でした。
昔、新潟から移り住んで能登で百姓を始めた先祖を持つことを知り、
それが越後長尾氏だとわかったとき、祖先を調べてみたい気持ちが
起きました。望んで百姓になったわけではなかったでしょうし
ある意味、先祖供養をしたかったのです。
新潟の上越で長尾氏と関わりのある建物や場所はご存知のとおり
けっこうな観光スポット。上越市の各史跡は観光向けに整備されて
おり、歴史や戦国武将マニアは満足するでしょうが、そこで
先祖調べを行うことは困難でした。
そこで、長尾氏が越後に移る前、坂東八平氏として住んでた場所を調
べてみることとし、神奈川県立図書館に行きました。しかし図書館
で半日調べてもこれといった資料は見つかりません。
あきらめて、前にネットで紹介されてた 長尾神社 のある場所に
いちかばちか行くこととしました。
果たして、到着したところ、確かに長尾氏が住んでた場所とわかり、
土地勘も無かったのに、その裏の長尾城跡という史跡も見つけました。
見たところ、竹におおわれた小山なのですが、私はそこに立って
驚きました。小山いっぱいに人がいて私によくきたと感謝したり、
これからも応援するぞと、歓声に近いものを浴びてる感じがした
からです。
これは上越のゆかりの場所を訪問してた際には出会わなかったもの
で、長尾神社から城跡まで誘導された感じもあって本当にびっくり
したのです。
私もそれほど暇をもてあましておらず、へたな探偵のまねごと
はしんどいしこれっきりにしようと思ってましたが、長尾城跡の
皆さんになかば励まされるかたちで、残るゆかりの地、山形県
米沢市行きを決心しました。
米沢の長尾家ゆかりの史跡、謙信公がまつられてる上杉神社、家臣
だったみなさんのお墓をめぐりました。長尾の戦国大名としての
歴史の最後の部分、関が原の後の運命を駆け足ながら自分の目で見て
めぐれて充足したし、なにより、上杉家墓所でこれまでのことを
報告できてうれしかったです。
上越、米沢、そして坂東八平氏時代にいた場所まで巡り、供養の
旅は完了しました。
もう行くべきところはないだろうと思ったとき、謙信公が激闘の
合間をぬってわざわざ訪れた高野山というなんか変な寺。
そこにはなぜだか謙信公の墓もあるらしい。密教に興味あるし、
先祖の墓参りを目的とした以上これは行っておくべきという
気持ちが固まり訪問しました。
結局、最初の訪問が夕刻の到着ですぐに日が暮れてしまい、
暗闇でなにもわからなり、奥の院をめぐることしかできず、
次の訪問でやっと謙信公の墓に参拝できたのです。
あの墓は木造で変わってますが、米沢の上杉家墓所を知る人には
違和感ありません。
先日、高野山案内犬ゴンの追悼コンサートが開かれました。その様子は
行かれた方のブログなどで見させていただいております。お山に行く
予定はまったくありませんが、同じく先日、ぶっちゃけ寺というテレビ
番組で特別に奥の院の撮影が許され、初めて空海さんがどのあたりに
いるのか具体的な説明つきで紹介される様子を見ながら、ゴンは本当に
正確に案内してたなと改めて関心しました。
お坊様は空海さんのおられる位置をあからさまに指さして説明するなど
恐れおおくて絶対しないでしょうし。2度とない機会でした。
そもそも高野山訪問は私にとって予定外の出来事でした。
昔、新潟から移り住んで能登で百姓を始めた先祖を持つことを知り、
それが越後長尾氏だとわかったとき、祖先を調べてみたい気持ちが
起きました。望んで百姓になったわけではなかったでしょうし
ある意味、先祖供養をしたかったのです。
新潟の上越で長尾氏と関わりのある建物や場所はご存知のとおり
けっこうな観光スポット。上越市の各史跡は観光向けに整備されて
おり、歴史や戦国武将マニアは満足するでしょうが、そこで
先祖調べを行うことは困難でした。
そこで、長尾氏が越後に移る前、坂東八平氏として住んでた場所を調
べてみることとし、神奈川県立図書館に行きました。しかし図書館
で半日調べてもこれといった資料は見つかりません。
あきらめて、前にネットで紹介されてた 長尾神社 のある場所に
いちかばちか行くこととしました。
果たして、到着したところ、確かに長尾氏が住んでた場所とわかり、
土地勘も無かったのに、その裏の長尾城跡という史跡も見つけました。
見たところ、竹におおわれた小山なのですが、私はそこに立って
驚きました。小山いっぱいに人がいて私によくきたと感謝したり、
これからも応援するぞと、歓声に近いものを浴びてる感じがした
からです。
これは上越のゆかりの場所を訪問してた際には出会わなかったもの
で、長尾神社から城跡まで誘導された感じもあって本当にびっくり
したのです。
私もそれほど暇をもてあましておらず、へたな探偵のまねごと
はしんどいしこれっきりにしようと思ってましたが、長尾城跡の
皆さんになかば励まされるかたちで、残るゆかりの地、山形県
米沢市行きを決心しました。
米沢の長尾家ゆかりの史跡、謙信公がまつられてる上杉神社、家臣
だったみなさんのお墓をめぐりました。長尾の戦国大名としての
歴史の最後の部分、関が原の後の運命を駆け足ながら自分の目で見て
めぐれて充足したし、なにより、上杉家墓所でこれまでのことを
報告できてうれしかったです。
上越、米沢、そして坂東八平氏時代にいた場所まで巡り、供養の
旅は完了しました。
もう行くべきところはないだろうと思ったとき、謙信公が激闘の
合間をぬってわざわざ訪れた高野山というなんか変な寺。
そこにはなぜだか謙信公の墓もあるらしい。密教に興味あるし、
先祖の墓参りを目的とした以上これは行っておくべきという
気持ちが固まり訪問しました。
結局、最初の訪問が夕刻の到着ですぐに日が暮れてしまい、
暗闇でなにもわからなり、奥の院をめぐることしかできず、
次の訪問でやっと謙信公の墓に参拝できたのです。
あの墓は木造で変わってますが、米沢の上杉家墓所を知る人には
違和感ありません。