梅日和 umebiyori

心が動くとき、言葉にします。テーマは、多岐にわたります。

先を読め。

2021-11-25 04:55:47 | エッセイ おや、おや。ー北九州物語ー

マコちゃんによると、曾祖父は、柳川第九十六銀行の前身となる両替商を営んでいた。或る日、工場を火災で失った事業者が曾祖父のもとへやってきて、工場を再建するための資金が必要だと言う。曾祖父は、事情を聴き、再建のための資金額を聴き、事業者に「よく考えろ」とだけ残して会合へと出かけた。事業者は気が気ではない。なにしろ工場がないことにはなにひとつたちゆかない。曾祖父の言葉の意味もいっこうに分からずまま、彼の帰りを待った。

さて、曾祖父は、何を考えろと言ったのか。事業者が提示した資金額では工場再建がやっとの額であった。つまり、中長期の視座、計画を持つことなく、きわめて短期的な資金需要にしか思考がいっていないことに自身で気が付けと、そして、事業者として中長期を踏まえた資金需要を提示しなさい、というメッセージを込めた「考えろ」だった。

娘が物心ついたころから、時折、マコちゃんはこの話をしてくれた。そして、言った。

「先を読め」。

子ども心に、この逸話をことあるごとに思い出した。毎日の暮らしの中で、将来を考える中で、いつしか生きていく指針の一つになっているように思う。先を読むには、情報が要る。そして、想像力が要る。いくつもシナリオを自身のなかで描いていくようになっていた。

娘は、32歳の時、或るベンチャー企業の立ち上げに役員として参加した。当時勤務していた企業の上司、担当していたクライアントの方々、信頼していた5人に相談して5人に反対された。理由は、オーナーの人間性が合わないというものだった。しかし、考えてみると、1990年初め、30歳のそこそこの女性に起業を任すなんていう人が出現するのは珍しいと思えたし、大きな経験値を得ることができると思えた。そのため、自ら3年間と区切って参画することとした。当時国内にはまったく見られない業態だったこともあり、軌道にのるのには苦難がつきまとった。或る時、資金繰りの件でオーナーと話している際、オーナーが怒鳴った。「君は、100円のお金に困ったことがないだろう!甘い!」と。激しい声を聴きながら内心思っていた。売り言葉に、買い言葉である。

「いや、あるはずがない。100円のお金に困るまで、手を打たないなんて考えられないわ。マコちゃん、ひいおじいちゃんの教えに反します」。

 


表彰より、狙うは鯛。

2021-11-24 05:08:42 | エッセイ おや、おや。ー北九州物語ー

 

鍼灸会の役員やら北九州市か福岡県いずれかの技能者へ贈る賞やら、数々の栄誉な事柄に、マコちゃんは一切関心がなかった。役員の話は繰り返しあったようだが、すべて断っていた。

我が家は、少し暇になると釣りへ出かけるマコちゃんのおかげで、魚屋さんというものは、さばききれない大きな魚をさばいてくれるところだとしばらく勘違いして子どもたちが育ったような家であった。幼いころは釣りをしてお小遣いを稼ぎ、若いころは患者さんが少し途絶えると釣り竿とともに消えていたらしい。

マコちゃんが何名もの患者さんに感謝されたものに顔面神経痛の治療法がある。顔面への針治療というのは大変な技術が必要らしく、その点が公的な機関から評価されたことがあった。なにしろ本人興味がないため、詳細な賞の名前など憶えていない。表彰式のその日、マコちゃんは不在であり、あたふたしたスーちゃんの曖昧な記憶によって娘に伝えられたものである。その日、マコちゃんは、仲良しの船頭さんと一緒に海の上に居た。表彰状より、魚拓がとれそうな大物の鯛の方がマコちゃんには価値があった。市の関係者の方は困り、スーちゃんも慌てた。式は、数時間後に迫っていた。結局、格好がつかないため、親族の夫婦とスーちゃんに代わりに表彰式に参加してほしいとの要請があった。計3名。これもまた輪をかけたようにくいしんぼうなひとたちで、会での食事がよかったと嬉しそうに話していた。肝心の賞自体の記憶が、はなはだ心もとない。

思えば、それも自然で良いことだと思う。

承認欲求ばかりが肥大する現代にあって、普通に人の役に立って、喜んでもらう。安心してもらう。それだけで十分なはずなのに、やたらと評価を気にし、そして、評価に頼ろうとする。評価はある時点の結果であり、たくさんあるなかのひとつの指標なのに、いつのまにやら、評価が目的と化す。ときに、誤魔化す。

マコちゃん、スーちゃんの治療院は、その真逆であった。

なお、マコちゃんの名誉のために(本人は、どうでもよいだろうが)、おそらくマコちゃんは表彰式に出席をするとは言っていない。断ったはずである。この騒動の発端は、与える側が「賞=栄誉」「賞を断るはずがない」という何の根拠もない驕りや思い込み。至らぬ計算はなかったか。どこかでも似たようなことが度々ある。


捨てられた父、家督を捨てる。

2021-11-23 06:04:56 | エッセイ おや、おや。ー北九州物語ー

「オトウサンハネ、ステラレタコドモダッタンダヨ」

マコちゃんの出生は、特殊だった。もっとも昔の日本では、あちらこちらにあって、娘たちが知らないだけかもしれない。

北部九州に位置する町、梅の樹々が植えられ今なお地名にも梅の字が入る一帯がある。マコちゃんは、その地を保有する庄屋さんに生まれた祖父と花街の女性との間に生を受けた。祖父が、まがりなりにも法曹界の人だったためだろうか。正式に認めて後、Y家に養子に出されている。

後に祖父は、家督を継ぎ、その地域で、運輸や建設など様々な事業を手掛けていたと聞いた。

「どうして、お父さんの写真があるの?」

娘がそう言ったのは、海軍の軍服を着た父の写真があったからだ。階級章をたくさんつけていた。マコちゃんにそっくりで、黒い縁の額に入っていた。そこは、梅薫る大きな家であり、その日はマコちゃんの実父の葬儀の日だった。

長男を失い、そして、家長を失った家は、母親が異なるもうひとりの息子の参列に戦々恐々とした。なにぶん、認知をしていたため、後継者はマコちゃんとなり、莫大な財産も継ぐことになる。

たくさんの冷たい目線が家族に注がれる。娘のうち一人は、階段の上に居た仁王立ち姿の祖母というひとの冷たく、怖い視線を覚えている。

ところが、親に捨てられたと認識し、障害を抱えながらも自らの知力、体力で自立してきたマコちゃんは、あっさりとその場で相続放棄を宣言した。嘘のような本当の話である。

「重く、しんどい家の歴史、翻弄され捨てられた自分。いまさら、いくらもらったところでやってられるか。そもそも家族が笑えて、そこそこおいしい晩御飯を食べられるならそれで十分ではないか」。マコちゃんの気持ちを代弁するとこういう言葉になるだろうか。とにかく、あっさり、きっぱり、家督を捨てた。

大金よりも自由と自治を選んだとも言える。娘は、この潔さを心からカッコいいと思った。そして、かくありたいと思った。

「お金かひとを選べと言われたら、どっちを選ぶ?たいていのひとは、目の前のお金に動く。でもね、お金は減るけれど、ひとはまた価値を生み出すこともできるよね」そんなことを言っていたマコちゃんは、この時、小さな家族を選びとったのだと思った。


KURAさんのイラスト

2021-11-22 16:27:29 | 読んでくださる方へのお知らせ

11月12日から1日ひとつのエッセイを公開しています。

わずか4名の方にお知らせして開始したエッセイでしたが

1週間で、250名を超える方(累積)が読んでくださっています。

そこで、慌てて、ひとつお伝えすることにしました。

エッセイ「おや、おや。―北九州物語―」には、すべてではないけれど、KURAさんのイラストを一緒に掲載しています。

KURAさんは、東京生まれ、福岡育ちのイラストレータ。

二科展で何度も受賞し、多くの企業のキャラクター開発に携わってきた方です。

EXPO`90国際花と緑の博覧会やアジア太平洋博覧会福岡鴻ろ館マスコットキャラクターも彼女のデザインでした。わたくしは、お仕事で何度かご一緒しましたがいつも、伝えたいことをきちんと踏まえたうえで、ウイットに富むアート作品を見せてくださいます。

今回、エッセイを始めるにあたり、原稿をいくつか読んでいただきました。彼女らしいイラストがおまけでついてきました。これは、愉しい!。ブログを訪問してくださる方にも見てもらいたいと彼女にお願いをして掲載させていただいています。

彼女の作品に関心のある方は、以下のサイトをのぞいてみてください。KURAさんワールドが堪能できます。また、彼女はプロフェッショナルですから

お仕事の依頼があれば、どうぞ直接連絡を入れてみてください。

 

ギャラリー&作品集

 
ひとコマブログ『KURA.氏の手帖』
http://blog.goo.ne.jp/picantekuramae 
 

猫の正月。

2021-11-22 06:02:42 | エッセイ おや、おや。ー北九州物語ー

或る日ともに仕事をしていたデザイナーが顔面神経痛になった。病院に行ってもいっこうに事態は改善しないと言う。売れっ子のデザイナーは、仕事もままならず、ほとほと困り果てていた。たまたま打ち合わせで会う機会があり、事情を知った。

マコちゃんを思い出し、そして、同時に多くの患者さんを思い出した。マコちゃんの針治療で多くの方が完治していた。彼の仕事場から治療院まで行こうとすれば、車で1時間半。距離にして80キロほどの距離がある。さらに、なにせ30代のデザイナーに鍼灸は謎の世界である。

さて、紹介しようかどうしようかと躊躇したものの結局「なんとかしたい」との話に乗り、その場でマコちゃんに電話をいれ、事情を話した。可能な限り、早くに診療の予約を入れてもらい、彼は、1時間半かけて通い始めた。針治療が功を奏したのか、4,5回ほど通院するとほぼ治まったようだった。

この間、彼から数回電話をいただいた。聞けば、治療費をお支払いしようとお尋ねするのだが、マコちゃんからこう言われる。

「猫の正月で良い」。

自分としては、意味が分からず、お尋ねするのだが、「意味を考えなさい」と言われる。どう考えてもわからない。意味を教えてもらえないだろうか。

「猫の正月?」。娘とて、意味不明であった。早速、治療院に電話を入れた。

マコちゃんに替わる。笑いながら、彼は言った。

「猫に正月はあるか?」。

ない。おそらく、寒い暑いは感知して毛づくろいしても、正月行事を認識できるとは思えない。

マコちゃんは、治療を進めながら、彼に小さなお子さんが居ること、そして1時間半もかけて自分で運転をし、通っていることなどを聴いていたために、彼の負担を軽くするように配慮したのだろう。結局、治療費がどうなったのか、詳細は不明のままである。他の患者さんからも、実は帰り際にいつも手を握っていただき、その中には一部お渡しした治療費があって、かえってその手のぬくもりに勇気づけられたといった話もあった。

こうしたあたたかな配慮があった一方で、娘には厳しい一面を見せたことがある。軽い交通事故に遭い、腰を打撲したことがあった。近所の医院に通うものの痛みはとれず芳しくない。ここはマコちゃんに頼ろうと、治療院に電話をした。聞けば、予約でいっぱいだという。

順番は、順番。勘案することはしないと言う。かくして、3日後くらいにようやく鍼灸院に行けた。

娘といえども、患者は、患者であった。