マコちゃんによると、曾祖父は、柳川第九十六銀行の前身となる両替商を営んでいた。或る日、工場を火災で失った事業者が曾祖父のもとへやってきて、工場を再建するための資金が必要だと言う。曾祖父は、事情を聴き、再建のための資金額を聴き、事業者に「よく考えろ」とだけ残して会合へと出かけた。事業者は気が気ではない。なにしろ工場がないことにはなにひとつたちゆかない。曾祖父の言葉の意味もいっこうに分からずまま、彼の帰りを待った。
さて、曾祖父は、何を考えろと言ったのか。事業者が提示した資金額では工場再建がやっとの額であった。つまり、中長期の視座、計画を持つことなく、きわめて短期的な資金需要にしか思考がいっていないことに自身で気が付けと、そして、事業者として中長期を踏まえた資金需要を提示しなさい、というメッセージを込めた「考えろ」だった。
娘が物心ついたころから、時折、マコちゃんはこの話をしてくれた。そして、言った。
「先を読め」。
子ども心に、この逸話をことあるごとに思い出した。毎日の暮らしの中で、将来を考える中で、いつしか生きていく指針の一つになっているように思う。先を読むには、情報が要る。そして、想像力が要る。いくつもシナリオを自身のなかで描いていくようになっていた。
娘は、32歳の時、或るベンチャー企業の立ち上げに役員として参加した。当時勤務していた企業の上司、担当していたクライアントの方々、信頼していた5人に相談して5人に反対された。理由は、オーナーの人間性が合わないというものだった。しかし、考えてみると、1990年初め、30歳のそこそこの女性に起業を任すなんていう人が出現するのは珍しいと思えたし、大きな経験値を得ることができると思えた。そのため、自ら3年間と区切って参画することとした。当時国内にはまったく見られない業態だったこともあり、軌道にのるのには苦難がつきまとった。或る時、資金繰りの件でオーナーと話している際、オーナーが怒鳴った。「君は、100円のお金に困ったことがないだろう!甘い!」と。激しい声を聴きながら内心思っていた。売り言葉に、買い言葉である。
「いや、あるはずがない。100円のお金に困るまで、手を打たないなんて考えられないわ。マコちゃん、ひいおじいちゃんの教えに反します」。