『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

・自己をならうというは……(坐禅の魅力と限界:2)

2011年07月23日 16時20分34秒 | ■禅・仏教

 ≪作務(さむ)≫とは、さまざまな「作業」を意味しています。食事を作ることも掃除をすることも作務であり、「寝ること」も「寝作務(ねざむ)」といって、これも修行の一つです。
 しかし、私たち参禅者の作務のほとんどは「掃除」でした。これについては、不思議なそして感動的な体験があります。それは初めての参禅のときでした(1987年5月)――。
 
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 ……「作務」の時間となりました。指導役の雲水が、『今から掃除をしますのでついて来てください』と言って歩き始めました。すぐに想い浮かんだのが「箒で庭を掃く姿」(※註1)でした。となれば“気晴らし”になると思い、参禅仲間とともに(男性五、六人)ちょっと楽しい気分になりました。
 
 ところが辿り着いた所は「男性用の便所」でした。誰もが戸惑いと落胆の表情で顔を見合わせたものです。自宅以外の掃除それも「便所掃除」など、記憶の片隅にもありません。おそらく中学時代以来ではないでしょうか。ささやかな抵抗感と違和感とが全身をめぐり、“どうなることやら”と言うのが正直な感想でした。

 雑巾を手にした雲水は、淡々とした表情で「小便器の朝顔」を指さしました。そして『まずこれを綺麗にします』と言って、いきなり拭き始めたのです。誰もが呆気にとられて見ているだけでした。普段は墨染めの衣に坊主頭の若き雲水。その彼が黒っぽい作務衣をまとい、剃髪した頭を無地の手拭いで覆っています。

 「小便器」の外側を“すばやく”、しかし“確実に”拭き上げる動作はきびきびしており、結局、ものの二分ほどで一つを拭き終えたのです。手慣れた一連の流れには“無駄”がなく、何よりも、とても“自然”な印象を与えました。『今のような要領です――』。これまた淡々とした表情で雲水はそう結び、私たちに作務を促したのです。

 誰もが拭き始めたもののぎこちなく、無論、私も同様でした。しかし、たった今目にした雲水の“お手本”の印象は強く、私たちは誰しもすぐに“拭き上げる”という作務の世界に入っていけたような気がします。

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 作務を開始してどのくらい時間が経ったでしょうか――。自分ではまったく“時間の経過”についての意識がありませんでした(「参禅生活」のときは、腕時計はいつも外していました)。ふと気づくと、今にも顔や唇が「小便器」に触れんばかりに近づいていたのです。
 
 といって、“危ない”とか“汚い”といった感じは少しもありませんでした。“その一瞬”――私は自分が「便所掃除」をしていることも、「小便器の朝顔」を拭き上げていることも、そして“すんでのところで”顔や唇が小便器に触れていたことにも囚われることなく、今と言うこの時を“ただあるがままに生きている”という、そんな想いで実感していたのです。

 いつもと同じように呼吸し、何かを見つめそして耳にし、四肢を肢体をさまざまに動かせながら“今このとき”の中にいる……。自分の身体であっても自分のものでないような……そんな不思議な感覚に支配されながらも心地よく、何よりも自分と言うものを誇らしく感じることができました。同時に、“もう何もいらない”との満ち足りた想いに包まれてもいました。

 “無我無心”には到底及ばないものの、“ピュアで透明な意識”……そういう表現が相応しいのかもしれません。
 
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 「作務」を終えて「控室」に戻るまでの間、私は「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」(※註2)の「現成公案(げんじょうこうあん)」(※註3)の一節を諳んじていました。大好きな部分です。

 仏道をならふといふは、自己をならふなり。
 自己をならふといふは、自己を忘るるなり。
 自己を忘るるといふは、万法に証せらるるなり。
 ※註4(続く)

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 ※註1:「庭」と言っても半端な広さではありません。永平寺の「敷地面積」は10万坪(330,000㎡)とされています。よく「面積比較」の引き合いに出される「東京ドーム」の敷地面積が約46,000平方メートルですから、その7個分ということになります。「グランド面積」だけであれば13,000平方とのこと。何とその25個分ということに。
 ※註2:道元禅師が20数年をかけて著わしたとされ、全95巻から成っています。
 ※註3:「正法眼蔵」の第一巻として出て来ます。ごく短い文章であるうえに語調のよい文体のため、ついつい惹きこまれて行くようです。
 ※註4:「万法(まんぽう)」とは、“万事万象”といった意味です。