『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

・「照明&音響」の秀逸なコラボ/『桜刀』(九州大学演劇部):上

2014年12月09日 00時02分14秒 | ●演劇鑑賞

 

  「九大演劇部」のワクワク、ドキドキ

   11月1日、九州大学演劇部「海峡演劇祭2014参加作品」の舞台『桜刀(さくらがたな)』を、北九州市まで観に行った。作・演出は森聡太郎氏、助演は山本貴久氏。会場は門司港にある「関門海峡ミュージアム」だった。

   筆者にとって、同大演劇部の舞台を福岡市外で観るのは初めてとなった。それにしても、今回の “舞台化” に当り、「同部」は相当力を入れて臨んだようだ。随所に、この「公演」にかける部員の情熱とレベルの高さが感じられた。

   「関門海峡ミュージアム」という「舞台会場」は、「小舞台の演劇」に適していた。まずはこの選択が大きいと言える。「演劇会場」の形状や大きさに即した独自の「舞台美術」(背景美術や舞台仕組み)をはじめ、小道具、衣装も申し分なかった。そして、それらを充分に活かし切った「照明&音響」の秀逸な “コラボレーション=演出・操作” が、より効果的な感動をもたらしたようだ。それは “光と音と舞台美術” の見事な “融合” を意味した。

      ☆

  今回の舞台の「公演案内」を知ったとき、まず初めに『桜刀』という演目(タイトル)に魅力を感じた。「桜」に「刀」とくれば「花は桜木、人は武士」。すなわち、「桜」と「刀」……。この両者をどのような形、そしてタイミングで舞台(物語の中の展開)に織り込んで行くのだろうか。大いに興味をそそられた。

  と同時に、紹介された「あらすじ」を見ながら、すぐに梶井基次郎の短編『桜の樹の下で』を想い出した。よく知られた「冒頭の一節」は、次のような書き出しになっている――。 

 

 《桜の樹の下には屍体が埋まっている!
 これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。》

 

  優れた“照明&音響&舞台美術”による“美意識”

  以上のイメージを彷彿とさせるオブジェとも言える「桜の樹」に、背景の「赤色照明」が印象的だった。「桜の樹」のオブジェは、これ以上の簡素化は不可能といえる “シンプルさの極致” を示していた。「桜の樹」に当てられた「赤色照明」は、具象としての「満開の桜」を意味するとともに、「桜の精」を抽象化した “” となって、一瞬のうちに観客の心を掴んでしまった。

   その赤色照明の「桜の光」と造形の「桜の樹」が舞台上から消え、背景照明が「青色」に切り変わるシーンは、「桜の樹」も「満開の桜の花」も “儚く消え去った” ということなのだろう。その「赤色照明(光)」から「青色照明(光)」への変移が、“咲き誇った桜” と “一切無の虚空” との対比を際立たせていた。

   まさしく “幻想的な光” であり、この “幻想性” は、前述のように 《照明&音響》による “コラボレーション” によって、いっそう強調されたようだ。そしてそれらが、 “光と音と舞台美術との “融合によるダイナミズム” を生み出したと言える。巧みに雰囲気を醸し出す「音楽」であり、 “微妙な音量の調整” も申し分なかった。ことに「音響操作」は、 “お手本” とも言えるものだ。

   “演劇とは、美術、音楽、光の総合芸術なり” を、あらためて実感することができた。心憎い演出であり、高雅な “美意識” を確信した。

      ☆

  「舞台美術」にも、優れた工夫が凝らされていた。本来の平面の舞台に、1mほどの厚み(高さ)の「大地」を意味する「床」を造り、それを2つに “分断” そして “結合” 可能な構造としたのがそれ。観客席へ向けられた「一面」は、傾斜角度ほぼ45度の斜面となっていた。

  この「造り込まれた床高の可動舞台」と「本来の平面舞台」によって、狭い舞台全体に立体的な広がりと奥行きが生み出された。その両「舞台」を一体となって動き回る演技は、必然、変化と躍動感を増し、迫力ある戦いや疾走感を非常によく表現していた。

   この「大地」を表わす「可動舞台」により、「死者」や「時代を去り逝く者」は、 “分断” された「舞台」の中に吸い込まれ、“結合”によって「大地」に埋もれる。それは、「死者」も「時代を去り逝く者」も、ともに「桜の樹の大地」と一体となって眠りに就くことを意味する。深い哲理に裏付けられた詩情であり、巧みな「仕掛け」と言える。

   その「大地」の中に仕込まれた「深紅の光(照明)」……。それは、戦いによって流した「死者」の「血の精」を、そして、「時代を去り逝く者」の「魂」の象徴のようだ。二つに “分断” された「大地」が、“結合” によって徐々に “閉じられて” 行く際、その「深紅の光」が次第に小さくなりながら消えて行く演出(照明操作)に、この「舞台」最大の感動を覚えた。

   洗練され、研ぎ澄まされた “感性” であり、巧みな “アイディア” の勝利と言える。「九州大学演劇部」の “叡智と伝統のたゆみない継承” と “深い哲学に支えられた芸術の香り” を感じた。どこかの放送局風にいえば、まさに “ワクワク!、ドキドキ!”。 (続く)