あっけない酒宴
柳川の帰り道、かなり遅い「昼食」いや「早い夕食」を「うどんのウエスト」で摂った。この夜、S君は拙宅の小さなアパートに泊まる。となれば久方ぶりに〝杯を傾ける〟こととなる。ともに大好物の「刺身」を仕入れ、帰宅後、さっそく二人して350㎖の缶ビールを1本ずつ飲み始めた。だが何と二人ともそれ以上アルコールを受け付けないまま、話もそこそこに、そそくさと風呂に入って寝入ってしまった。「ジャック・ダニエル」のオンザロックなど影も形もなかった。
★
「ミニミニ旅」も、この3日目(6月11日)が最終日。初日(6/9)、2日(6/10)の訪問先はいずれも「内陸部」だが、この日は佐賀県唐津市の海に面した「呼子町(よぶこちょう)」行となっている。〝日本三大朝市〟の一つとして知られるその《朝市》をのぞこうというわけだ。
この日……といっても午前2時半だった。トイレで目が覚めた後、一向に眠り落ちる気配はなかった。自分でも不思議なほど落ち着きがなく、《呼子朝市》が気になり始めた。座りなおした筆者はパソコンのスイッチを入れ、「呼子町」や「呼子朝市」というワード検索を開始した。
もちろん、当初のプランニングにおいて、何度も検索と検証を繰り返してはいた。だが〈柳川〉と〈呼子町〉だけは〝リハーサル(下見)〟を省いただけに、不安があったのは否めない。その不安は検索と検証が進むにつれて深まり、〝重大な見落とし〟をしているような気がし始めた。
といって、スケジュール面は何も問題はない。《朝市》は7時30分から12時まで。8時に出発すれば、ほぼ10時到着と「googleのルート検索」は弾き出す。どんなに遅れても10時半到着は堅いと踏んだ筆者は、実質1時間半の「朝市巡り」をあらためて確認した。
筆者のシナリオはこうだ。……〈朝市〉を覘きながら、烏賊の一夜干しでも見て回ろう……名物の「イカの活き造り」が安くてうまそうなら……それを昼飯にしよう。きっとSも満足してくれるに違いない。……だが、本当にそんなことでいいのだろうか。先ほど感じた〝重大な見落とし〟はないのだろうか。……という不安は、依然消えることはなかった。
当初の予定では「昼食」を呼子で済ませ、その後、Sを「福岡空港」まで送る途中、時間に余裕があれば海岸に立ち寄る……。うんと余裕があれば、帰路を少し外れるものの「海の中道」から「志賀島」まで一走り……というアレンジも選択肢に挙げてはいた。
真夜中の逡巡と決断
……とそのとき筆者の脳裏に何かが閃き、次の瞬間、あることを即断していた。それは《呼子》に行く前に《海の中道》から《志賀島》の《金印公園》を訪ね、そのあと志賀島(海岸線長11㎞)を一周するというもの。とは言うものの「志賀島を一周」したことなど何十年前のことだろうか。そう思うと、これまた別の不安が頭の中を巡り始めてもいた。
だが筆者はそれらの不安を強引に断ち、車のキーを掴んでいた。つまりは今から「リハーサル(=下見)」に出かけようと、実に簡単な決断だった。そう思って時計を見ると午前3時半であり、Sはぐっすりと眠っていた。
車に乗り込んでからの行動は速かった。何も考えずに《海の中道》を、そして《志賀島》を目指した。途中、1台の車と擦れ違っただけであり、アパートから14.3㎞の志賀島までを、ジャスト15分で駈け抜けた。志賀島到着後は《金印公園》で停車し、ほんの数分間様子を確かめた後、周長10㎞ちょっとの島を多少スピードを落として一周した。
途中、コンビニによってコーヒーを飲み、アパートに戻った。6時前だったろうか。Sは散歩に出ていた。結局、《呼子》行の前に、《海の中道》と《志賀島》一周をコースに組み込むことにした。「リハーサル」は正味45分ですんだが、本番は通勤時間帯にかかるため、30分は余分にみておかなければ。そうなると7時45分には出発したい……。
圧巻の超豪華クルーズ船
8時ちょっと前にアパートを出発、志賀島へと向かう。思ったほどの(通勤)渋滞もなく、良く晴れて見通しの良い《海の中道》を抜け《志賀島》に入った。そして、《金印公園》でしばし休憩を取ることにした。
海上に目をやったSと筆者は、水平線上の素晴らしい光景に魅了された。今まで見たこともない〝どえらい大きさ〟の「豪華クルーズ船」(巡行客船)が、厳とした威容を見せている。スカイブルーと海の紺碧の広がりの中、鮮やかな船体の全景が神々しいまでの朝日に照らされていた。ことに高層マンションのような客室部の白さが眩く輝いており、二人は〝言葉を見出し得ないまま〟しばし見とれていた。
★
呼子無情
志賀島一周後、《呼子》行は順調に進み、予定の11時ちょっとに何とか到着した。しかし、7時30分という《朝市》開始の時間からすれば、店仕舞いのところが多い。当然のことながら売店も来場者も少なく、閑散としている。それに何と言っても「魚に栄螺、昆布、ワカメ」さらに「一夜干し」等の海産物の価格は、残念ながら安くはなかった。
産直・直売の路地売り……もう少し安いと思ったのだが。やはり「観光客」相手の感覚なのだろうか。海産物大好き人間の筆者は、実は大量に買い込むことも念頭に置いていた。しかし、これなら自宅近くのスーパーの方が安いし、干し物の加工管理もしっかりしている。……という程度の「主婦的購買学入門基礎編」は、しっかりマスターしていた。
そう思いながら、二人して「公衆トイレ」に入った。だが次の瞬間、〝衝撃的な或るもの〟を目にした。と言うより、半ば強引に〝見せつけられた〟と言ってよい。何とそこに、紙のガムテープがぐるぐる巻きのように貼り巡らされた男性用便器があったのだ。もちろん、それは使用不可を意味した。
それを見た瞬間、Sと筆者は〝旅人の心を傷つけられた〟かのような哀しいそして寂しい想いでそれを一瞥し、用を足して外へ出た。こよなく〈旅と文学〉を愛し、〈詩情と美意識〉を求めてやまないジジイ二人の感性は、〝かう言ふ所為には耐へられない〟のである。二人の気持ちは暗黙の裡に一致し、一刻も早く「呼子朝市」の「時空」を抜け出さなければならなかった。
そのため、密かに思い描いた「烏賊の活き造り」も、海産物を買うための売り子との戯れも、見事にぶっ飛んだのだ。無論、そのことにいささかの未練も迷いもなかった。
★
《朝市の時空》から抜け出したい二人は、そのあと何度も行きつ戻りつ迷いながら、何とか《名護屋城址》に辿り着いた。一面に広がる海の見晴らしもいいが、城址跡の大きさと、かの国を征伐せんと秀吉が陣を張らせた、戦国大名の陣容を印した碑版に圧倒された。それにしても城の石垣と緑が、抜けるような空の青さと群青の海景を背にした様は雄大だ。
再びの「因幡うどん」
「呼子」で済ませるはずの「昼食」を、結局「福岡空港」で食べることにした。6月9日の到着時と同じ店であり、このたびのS君は〝因幡うどんに始まり、因幡うどんで終わった〝ことになる。[了]