『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

・低声の魅力/NHK女性アナウンサー列伝抄:(1)

2012年12月24日 22時11分30秒 | ■人物小論

  女性アナウンサーの「低声」の魅力

 自分の声が「低音」だからというわけではありませんが、アナウンサーをはじめ、俳優や声優は、昔から「低音の声」の人が好みです。ことに「女性アナウンサーの低音」については、後述のように、かなりのこだわりを持っています。

 ニュースの報道やドキュメンタリ―番組のナレーションは、“声の低さ”がカギのようです。「高音」と比較した場合、「低音」は“落ち着き”や“信頼感”がより感じられ、それはつまりは「報道内容」の“信憑性”や「報道姿勢」の“公平性”に通じるからでしょうか。声の高低や抑揚の付け方次第で、視聴者の受ける印象はかなり異なるような気がします。

 そういう観点から「NHK」と「民放」各局を比較するとき、NHKの女性アナウンサーの声の方が、民放に比べて全般的に「低い」ようです。

 そのように聞こえるのは「声の質」だけの問題ではなく、「話し方」をはじめ「姿形」(髪型、服装、化粧等)や「雰囲気」、そして何よりも「NHKという放送局」の“性格”といったことにあるのでしょう。そしてその“性格”を支えているものは、“報道する側の使命感や倫理観”についての「教育」というものではないでしょうか。

  一方、今や「バラエティ・タレント」化したと言われる民放系の女性アナウンサー。番組を盛り上げるため、不必要に“笑ったり、ボケたり”、ときには「おバカキャラ」を演じたりと、仕事と割り切ってこなしているようです。その際の声は、容易に想像できるように、やはり「高音」が中心となっています。

       ☆

 ……そう。ここまでくればもう「結論」は一つ――。筆者の「NHKの女性アナウンサー贔屓(びいき)」は、仲間内では「定説」となっているようです。ではさっそく、《NHK女性アナウンサー列伝抄》といきましょうか。

 

 日本の女性アナウンサーの原点――加賀美幸子

 まずは何と言っても、「加賀美幸子(かがみさちこ)さん」。この人を語らずして、「NHK」否「日本」の「女性アナウンサー」を語ることなどできないと……不肖、同じkagami(花雅美)には、いささかも疑う余地はありません。

  NHKを退職後、現在フリーで活躍中の加賀美アナ。筆者にとって、彼女は「アナウンサー」と言うよりも、「朗読者」や「ドラマのナレーター」と言った方が適切でしょう。

 “彼女の存在”を強く印象付けたのは、大河ドラマ『峠の群像』(1982年放映)でのナレーションでした。父に勧められて原作(堺屋太一)を読んでいた筆者は、このシリーズについては、結構真面目にテレビを観た記憶があります。

        ☆

 画面に加賀美アナの「ナレーション」が流れます―― 

 『赤穂藩の浪士たちに……』、『内蔵助は……』、『元禄十四年十二月……』

 ……独特の“重厚で低く太い”それでいて“柔らかく包み込むような優しさ”を含んだ声。その“豊かな広がり……奥行きの深さ”……。何とも言えない安らぎを感じさせます。

 女性としての“慎ましさ”や“貞潔感”のようなものを滲ませながらも、同時に“日本のお母さん”といった温(ぬく)もりや“大らかさ”がじんわりと伝わって来ます。それは“日本人のこころの郷愁”といえるものかもしれません。

 その加賀美アナのナレーションは、赤穂浪士たちの先の見えない……見えたにしても、はたしてどのように流れ、また流されていくのか予測できない不安やそれに伴う焦り……。そういったものを受け止めながら、力強く、しかし緩やかに伝えていたように思います。

 筆者の関心は、物語の展開や俳優の演技云々といったものよりも、もっぱら「加賀美ナレーション」の方にありました。それは筆者自身が、業者団体の講師として、「語る」ということにより関心を抱き始めていたからかもしれません。

 加賀美アナの喋り方や間の取り方、息継ぎや抑揚の付け方といったものが、筆者の「講演スピーチ」に大きな影響を与えたことは確かです。これ以降、かなり意識していろいろなアナウンサーの優れた点を吸収しようと、貪欲に観察し始めました。

 ところで、加賀美アナの真骨頂は、「朗読」にあるような気がするのですが……。(続く

 

 



コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。