コンクリート表面の「風合い」
ところで「打ち放しコンクリート」の表面は、“独特の風合い” をしています。
第一に、「型枠」表面の「材質感」や「仕上がり具合」をそのまま見せる「素朴な肌合い」でしょうか。気泡跡を持つ無機質な表面は、コンクリート独特の「重量感」や「艶」を感じさせます。澄ました感じの冷ややかな “手触り” もまたよしです。
第二に、壁面から「数ミリ引っ込んだ丸い窪み」でしょう。これを「Pコン」(プラスティックの円錐形のコーン)と呼ぶ人もあります。これは「型枠」と「型枠」の間にコンクリートを流し込む際に用いられる、「セパレーター」という金具の「痕跡」です。「コンクリート」を流せば、コンクリートを「堰き止める型枠」に重量がかかります。負荷がかかれば、当然「型枠」は「膨れ(孕み)」やすく、コンクリートの精確な「厚み」が確保できないおそれがあるからです。
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ところで、コンクリートが固まった後に「型枠」を取り外します。そのときできた「穴」が「Pコン」(ぴーこん)です。それを「塞(ふさ)ぐ」ために「モルタル」を塗り込むわけですが、そのとき「穴」を完全に塞ぐのではなく、あえて「表面」から少し「引っ込ませる」のです。
……そうして「壁面全体」を眺めるとき、「Pコン」が一定の「間隔」で整然と並んでいることが判ります。これこそ「打ち放しコンクリート」独特のアクセントであり、デザインといえましょう。
「Pコン」について、安藤氏は180cm×90cmの壁パネル1枚につき「6個」と指定し、ピッチすなわち横の間隔は60cmのようです。またその「引っ込み寸法」も「5mm」に指定するとのこと。さすが業界において、『打ち放しの安藤』とか『型枠の安藤』と呼ばれる所以です。
ともあれ、私にとっての「打ち放しコンクリート」は、何かに耐えながら沈思黙考する哲学者のイメージです。さて、みなさんはいかがでしょうか……。
なお「打ち放し」の読み方ですが、辞書・事典などでは「うちはなし」となっています。しかし、実際の現場では「うちっぱなし」と読む人が多く、私もそう呼んでいます。その方が、コンクリートの “重厚感” や剥き出しになった “素朴な表面” の、それでいてちょっと “瀟洒な雰囲気” が伝わって来るような気がします。
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ところで、この “言い回し” は、日常生活にも出て来る言葉ですね。
「○○はなし」よりも、「○○っぱなし」の方が、なんとなく “それ” って感じがしませんか。
★★★ ~っぱなし ★★★
…………旦那ぁ~。あの夜、かみさんに言われたんじゃねえすか? ……出っぱなしに、行きっぱなし、そして、飲みっぱなし……。その後はカラオケのマイクを、握りっぱなし……。で……歌いっぱなし……ってね……。
夜 “外出” すると、何かと言われやすいですよね……。
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あ~ら、夜お外に出ない方でも、いらっしゃるんじゃありません? あたくし、そういう方をよく存じ上げていますの。
…………開けっぱなし……出しっぱなし、……使いっぱなしに……つけっぱなし……。読みっぱなし……散らかしっぱなし……。
それに、あれこれ、やりっぱなし……。脱ぎっぱなし……置きっぱなし……なんてのもあるみたい……。
あなたもごぞんじでしょ? そういう方。 ね~え? でしょ? ねえ? 聞いてる? あれっ? 眠ちゃったの?
永平寺での体験にもありましたね。「叱られるために」という記事でしたか。わたしも喜んで、「叱られっぱなし」になろうと思います。
私は現在、ある事の記録原稿を書くため、まさしく「調べっぱなし」の状態です。調べて行けば行くほど、次から次へと新たに「調べること」が出て来ます。
そのときしみじみと思うことは、この年になっても、何と学ぶことが多いのかを痛感させられることです。「痛感しっぱなし」ということでしょうか。
でもそのようにできる自分の意志と健康な五体とに、「感謝しっぱなし」です。