それは“建築物を前提に緑が存在する”のではなく、“既存の緑の中に建築物が造られた”という考えに集約される。“主役”はあくまでも“緑”すなわち“自然”であり、後から来た“建築物”という“非自然”は目立つべきではない。
つまり“非自然”は“自然”の中にとけこまなければならず、樹木が豊かに繁り、草花がその華やぎを見せるとき、建築物ははじめてそれらの間に隠れるように存在する……というのが安藤さんの「建築学」いや「調和論」なのだろう。
独断的に言いかえれば、「大地」という“母性”が“建築物を宿し”、ゆったりとした“自然”という“愛情”の中で“育(はぐく)んで行く”ということだろうか。そう思うと「建築」の“始まり”が、何やら“受胎告知”のように思えて来た。
ともすれば、「無機質な孤体」としての「打ち放しコンクリート」。だが安藤さんの手にかかると、「有機的で柔らかな調和体」へと変貌する。『安藤忠雄ガールズ』が惹きつけられるのは、そのような“受胎感覚”に通じるものがあるのでは……と勝手に想像してみた。そう考える方が無理がなく、事実「建築物」としてもいっそう映えるような気がする。
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4月下旬、M嬢から『私の履歴書』の切り抜き記事が送られて来た。大きな茶封筒に筆ペンの文字が優しく躍っている。封筒裏には「印判の住所氏名」の押印があり、「黒雲と鈴」のデザインが何とも愛らしい。
「新聞の切り抜き」は何回分か抜けてはいるものの、1回から31回分があった。その束が粗漉きの和紙に赤い紐で留めてあり、別の和紙に手紙が書かれていた。いずれも身近な物をさりげなく利用したものだ。送られて来た「切り抜き」もさることながら、そういう心遣いが嬉しい。
今回の「記事」によって初めて知り得たこともあり、また詳細を知ることもできた。
「記事」によれば、生まれてすぐに祖父母の養子となった安藤さんは、小学校に上がって間もなく祖父を亡くしている。そのため祖母と二人きりの生活を長く経験することとなる。
安藤さんが中学二年生のとき、「平屋」の自宅を「二階建て」に改築することになった。そのときのことを安藤少年は――、
『屋根を解体し、天井にぽっかり大きな穴があいたとき、狭い長屋の薄暗い洞窟のような空間に、光が突然差し込んだ。私は思わず、その光の美しさ、力強さに心を奪われたのである』
他の著作にも見られるこの“くだり”こそ、おそらく“安藤建築”の“原点”であり、“光”に対する“オマージュ”とも言える。私はこの“くだり”に接するたびに、優れた「建築家」にとって、光がいかに神聖なものであるかを感じる。ル・コルビジェ、ルイス・バラガン、そしてルイス・カーンしかり[※註]。さらに彼らと志を同じくするその他の建築家達もまたしかり。
まさしく――、
“建築は光である” そして――、
“建築家は光の奉仕者である”
ということを確信することができた。
再びM嬢の手紙に目を転じた。
『また お茶でもご一緒できますように』との言葉に、「コーヒーカップ」のイラストが添えられている。それを見つめているうちに、無性に彼女と一緒にコーヒーが飲みたくなった。と同時に今度会った時、“建築が光である”ことをどのように伝えたらよいのだろう……。
……そう考えながらも、M嬢以外の『安藤忠雄ガールズ』を想い浮かべてもいた。実は、これまでに登場したA嬢もN嬢も、そしてU子さんもそうなのだ。のみならず、いつしか登場するであろうその他の女性たち……。「建築塾」の教え子達とはいえ、『安藤忠雄ガールズ』は何と多いのだろうか……。(了)
※[註] ●ル・コルビジェ(Le Corbusier)[1887-1965):フランスで主に活躍したスイス生まれの建築家・画家。本名はシャルル=エドゥアール・ジャンヌレ=グリ(Charles-Edouard Jeanneret-Gris)。「フランク・ロイド・ライト」「ミース・ファン・デル・ローエ」と共に「近代建築の三大巨匠」と呼ばれる(「ヴァルター・グロピウス」を加えて「四大巨匠」と言うことも)。「近代建築の5原則」(ピロティ、屋上庭園、自由な平面、水平連続窓、自由な立面)」を提唱し具現化した。
●ルイス・バラガン(Luis Barragan Morfin)[1902-1988]:メキシコ人の建築家・都市計画家。光や水面を採り入れ、幾何学模様のモダニズム建築を得意とした。
●ルイス・カーン(Louis Isadore Kahn)[1901-1974]:エストニア系アメリカ人。建築家・都市計画家。独特の神学的・哲学的色彩の濃い建築論を持ち、ソーク研究所、バングラデシュ国会議事堂、キンベル美術館などを手掛ける。ルイス・バラガンは友人。