2000年に出雲大社境内から3.5メートルの巨木を3本組にして1つの柱とした柱根が出土した時には心底驚きました。
本当に48メートルもの木造巨大神殿が建っていたようだ!すごいっ!!
「天の御子が住むのと同じくらい大きな宮殿を建てる」ことが大国主の国譲りの条件でした。
出雲大社の巨大神殿はその約束を果たすために造られたと考えられています。
高天原がどこであるかは虚構の可能性も高く、邪馬台国を探し当てるよりも困難で永遠の謎だと思われます。
出雲大社は高天原の建物を真似てあるはずですが、出雲大社境内から出た柱跡と類似するような遺物は国内外のどこからも出土していません。
この柱跡が出雲大社境内から出土したとき以降、私は天孫が中国大陸や朝鮮半島からやって来たとは思えなくなりました。
出雲大社の建築と大陸や半島の建築とでは、根本的な発想が違っているように思えてなりません。
海外よりむしろ鳥取県の稲吉角田遺跡から出土した弥生中期の土器の絵のほうが気になります。
柱と梯子が異常に高い建物が描かれています。
この絵に描かれた建物が出雲大社の大神殿の前身だとの説も多くあります。
これがすなわち48メートルもの神殿の絵だとは私も思っていませんが、出雲や鳥取などではこういう柱と梯子が異常に高い建物を伝統的に建てていたのではないのでしょうか。
しかし、高い建物や長い梯子の遺物は山陰からも出土していません。日本列島の他の地域からも出土していません。
どこかから三本組の柱跡、出ませんかね。
場所によってはそここそが高天原だとなりそうですが。
いっそ古代エジプトが高天原でピラミッドの大回廊と出雲大社が類似していると捉えるほうがロマンがありますか…。