少し前の2019年発行の本ですが、ちくま新書の「考古学講義」大変楽しく読ませていただきました。
第7講「青銅器のまつりとは何か」で北島大輔氏が、銅鐸と玉作りとの関連を指摘されています。
玉作りの広域ネットワークと古式銅鐸の分布がほぼ重複しているというのです。
こういうものを読むともう妄想が止まりません。
「ぬ(ぬな)」と「ぬて(ぬりて)」
この「ぬ」がつく祭器、玉と銅鐸が関連しているなんて!!
縄文以来の玉作りの広域ネットワーク「ぬ」の勢力があったに違いない。
青銅が伝わった弥生時代、その「ぬ」の勢力が作った青銅器が「ぬて」。
「ぬ」といえばぬなかわひめ。「ぬ」なかわひめの子、タケミナカタはたけ「ぬ」なかたで、宗像も「ぬ」なかた…。
宗像氏の墓所かと考えられている奴山だって「ぬ」やまだぞ。
この勢力が「ぬ」の勢力?でも銅鐸とも関連する??
また、奴国だって「な」でなく「ぬ」?
それとも2つの奴国のうち1つが「ぬ」?
「ぬ」の勢力の本拠地は一体どこなのか。各地のネットワークであり本拠地なんてものは特にないのか。
・・・と北島氏の話からどんどんかけ離れて・・・
「ぬ」が翡翠を指すものであれば、「ぬ」も「ぬて」も歴史の中で一旦忘れ去られたものです。
忘れ去られた祭器であることも、偶然?