すっかり更新が滞り、気づけば2024年もあと2ヶ月を切ってしまいました。
今日は母の命日。
もう少しで2年前に母が静かに旅立った時刻になります。
父は帰省予定日の数日前に急逝。
母も、私の面会を待たずに逝ってしまい、かっぱばは両親どちらも旅立ちの瞬間を共にすることができませんでした。
これはもしかして、夜、爪を切っていたのが悪かったのでしょうか?
それはそれとして、今日は「法事」の残されたものにとっての意義について、かっぱばの超個人的な考えを書かせていただきます。
実はかっぱば、母の命日を前にし、情緒不安定でいつも以上に失敗の多い日をすごしておりました。
お盆にお参り行けなかったから、命日くらいはちゃんとお参りしてくれというメッセージなのか?(秋のお彼岸には行ったんだけどな)などと考えたりもしましたが、どうやら命日反応というものがあるようなのです。
大切な人の命日など、特別な日が近づくと気分が落ち込んだり体調がすぐれなかったりがあるとか。
去年の一周忌の時は、親戚の人にも来ていただき、一緒に会食も。準備でバタバタしていて、不調を感じることもなかったのですが、今回の3回忌は本当の身内のみ(親戚も高齢になってきており、1周忌、納骨の際に今回で最後とご了承いただいて)。
気が張らない代わりに、ずいぶんと喪失感を感じることになってしまいました。
ひょっとしてですが、3回忌まではしっかりやった方がよいというのは、故人の成仏のためだけでなく、残された側の癒しにとっても、いいことなのかもしれません。
昔からの習わしには、先人の智慧が活かされているのかも。今回、法事の意外な効能の発見です(まあ、あくまでも法事を命日に近い日に設定できれば、ということではありますが)。
さて、そろそろその時刻です。
亡き母を思いながら、合掌。
自分自身の感情については、マッキーが歌われているように、もうしばらく
「悲しみは悲しみのままで」認めてあげたいと思います。