たそがれトンボ

京都福知山市三和町の丹波風景写真、歴史。福知山のイベントや時事。福知山市三和町でタオルを織る三和タオル製織

大原での産屋の利用

2008-08-06 | 観光編、丹波、福知山
大原神社の話

大原神社とその周辺(町垣内)産屋の関係

■産屋の利用

産屋を利用して出産していたのは大正2年の頃までで、
確か話ではありませんが
明治初めの頃までは、お産の度に産屋を建て替えていたようです。



産屋で出産していた頃は
7日7晩こもり

その後自宅で出産しはじめた頃には
産後3日3晩

戦前・戦中には2日1晩

それから産後数時間のみとなり次第にこの習慣はなくなりました。


産屋での出産は陣痛がはじまると
家の者が川に梯子をかけて上に戸板を渡し
夫が先導をして産気づいた妻を産屋に連れて行きました。



このとき普段使っている板橋は使わなかったようで
それは梯子の『コウ:格』にあやかり
子が沢山産まれる様にと祈りを込めたからでした。
※板橋は大原神社と町垣内のイラスト参照

出産は取り上げ婆さん(産婆)が介助し
座産で天井から下がる力綱を利用しました。

産後の後産(あとざん)は、
産屋の隅に積んである小石の下に埋めました。

それは次に産屋の利用者がある頃には綺麗に無くなっていたと言います。
大原神社の使いの狼が処理したと伝えられています。
※狼は大原さんの使いとされ、お守りにも織り込まれています。

■福知山地方の昔の出産

福知山地方の昔の出産について、
大正~昭和初期を思い出して書かれたものを
少しだけ書いておきます。

当時どのように出産が行われていたか伝わるものだと思います。

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お腹が痛くなり、さぁお産だと言うことに成ると
前もって頼んである、取り上げ婆さんと言って
少しはお産に詳しい女の人を頼みに走って貰う。

そして大きな鍋に湯を沸かす。

これはたいてい主人の仕事。

部屋の畳1枚を上げて、そこに藁を敷き油紙かボロ布を敷く。

その上でお産が始まる。

無事出産が終わると取り上げ婆さんがヘソの緒を切る。

翌日から毎日取り上げ婆さんが湯浴びせに来る。

母乳を飲ませる前に子供の体内の毒を出す
為蕗(ふき)の根とカンゾ(かんぞう:甘草)を煎じたのを飲ませる
(注:昭和初期の話)

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『大正初期まで座産をしていた。
いよいよ産まれる時は、立ひざをして腰を浮かせ、
両手をついて後にのけぞるようにして自然に産んだ。

その頃は“とりあげばあさん”という人がいて、
半職業的にお産を取り扱っていた。

大正の中期から産婆さんが衛生的に座産を改善し、
寝てお産をするようになった。』

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