どうぶつを「ごく気軽に」捨てる人が増えている。
その人たちの理論がこまる。昨日のミグノンさんのブログから抜粋する。
「飼えなくなった、という人の相談を受けていると本当に不思議な論理で、自分で欲しくて飼ったんだと思うんだけど、それをどこかで保護してくれるのが当然、しかも病気でも老犬でも良い人に貰ってもらって幸せにしてくれ。
費用はいっさい負担できない、行政か愛護団体がやるべき、それが仕事だろう、と言う。
彼らはたぶんいままで行政の行う動物の譲渡事業にたいして貢献したこともないだろうし、愛護団体に寄付したこともないだろう。
動物にだけその論理を振り回しているのか、人間の高齢者や子供などにもそういう相談が多いのか、ほんとうに不思議。」
車だって免許があるんだから、
どうぶつ飼うのも登録制から免許制にしたらいい。
お金を払えばだれだってどうぶつを飼えます、
というのから、
「あなたには資格がないのでどうぶつを飼えません
手に余ったらいずれ捨てるでしょうからね。
行政はそんな人にサービスする暇はないんですよ」
という審査を行って、合格した人だけ、飼えるの。
とりでもねこでもいぬでも。
受験ですよ、受験。
基礎審査、筆記試験、面接、二次面接、実地試験。
これだけ面倒臭かったら、
気軽に捨てる人たちはチャレンジなんてしないでしょ。
捨てる人がほとんどいなくなる。
愛護センターは、
「近所のおばあちゃんが亡くなったから、
愛犬だったシロに新しい飼い主を見つけてあげようね」
(「配当は「救えたペットの数」!ユニークな株式会社ミグノンプラン始動! ランコントレ・ミグノン代表 友森玲子氏(後編)【file011】 」日経BPより)
ていう仕組みの中のひとつになる。
殺処分に必要な費用を、生かすための費用にまわすことができる。
過酷な生活を強いられている、外の世界のねこたちも、
マルタ島のねこたちのように大切な「環境のひとつ」として、
守られ、支えられながら、安心して生きていけるように。
みんなのお金ってそういうふうに使われてほしい。
気まぐれでわがままな人たちの尻拭いや、
そのフォローをするために使われるのは、ものすごーく、いやだなあ。