なぜ小豆島だったのかというと、ツイッターでもフォローしているんだけど、
この方のインスタの画像を見ていて、ああ、小豆島っていいな、すてき、行ってみたい、が高じて、だったのだ。
長期にわたる自宅の大改装工事でオレコの性格が変わってきているのも気になっていた。
街中で出会う自分より弱そうな子に向かって、吠えて襲いかかろうとする。
弱虫のくせに。
10年ばかりずーっと朝も昼も夜もない生活をしていたのを反省し、オレコを迎えて1年目くらいから、
週2回くらいは在宅で仕事をしながら、のこりの3日は出社して、ていうような生活をしていたんだけれど、
今年の春からまた毎日出社することになって、オレコの生活も変わった。ひとりの時間が増えた。
これはいかん。ストレスがたまってるんだわ。
そんなこんなで小豆島を目指した。
だってここにはオレコの大好きな海も山もある。
なんだかあったかそうだし、オリーブ、そうめん、うどん、しょうゆ、ひしお丼、なんでも美味しそう。
去年の年末年始は12/28~1/4まで長期お休みが可能だったのに、移転の後片付けなどで実質「0日」だった。
(従業員のみなさんはお休みです)その前後含め2週間ちかく一度も自宅に帰れず、オレコも「変だなあ?」そわそわ。
今年は12/27~1/4まで。絶対休む。いや。年末だけでも。でもって家族旅行に行く。オレコをねぎらう。
それが目的の旅だった。
ちなみに今年から来年の年末年始は12/26(土)~1/3(日)の9日間か、12/28(月)~1/3(日)の7日間か。
どっちだろう。12/25が仕事納めってちょっとないような気がするなあ。
そんなこんなで、26日の仕事納めのあと、私は定時で帰ると宣言したのに夜20時ごろやっと会社を出て、
オレコとおじいわんのお世話をして、片づけたりなんだったりバタバタしていたら、2時ごろ夫が帰ってきた。
そのころ、埼玉から岡山(日生からフェリーに乗る)までの渋滞がどのくらいひどいことになるのか予想もつかなくて、
まわりから24時間以上かかるかもしれないくらいの覚悟で挑めとか言われたりしたものだから、
何時に出発していいのかさっぱりわからなかった。通常でもおそらく8~9時間はかかる。
あんまり早く出て、岡山で1泊しないといけない状況というのも嫌だ。
まあとにかく、荷物もできていないし、今日のところは寝て、明日起きて決めよう。
そんなこんなで寝て起きて準備して買い物して、おじいわんを母に託してきて戻ってきて、さあ出発!となったのは、夜8時少し前だった。
自宅近くの首都高に乗り15分後には板橋を通過、ほんの少し混んでた都内を抜けたら、30分で海老名。
オレコを散歩させて、ごはんを食べさせて、私たちもおなかが空いていたので、名物という黒ゴマ担担麺などを食べ、10時前にまた走り出した。
15分後に秦野中井、30分後には足柄を通過、渋滞ゼロで、浜名湖インターについたのは0時少し前だったように思う。
そこからはひたすら西へ。途中運転を代わり、名古屋を抜けてから、わくわくしてきた。
(↑これすごくいいと思う!)
四日市のコンビナートのあたり、子供の頃から大好きなんだけど、夜中に通るのは多分初めてで、それで。
運転してると細かいところを見ることができないけど、まるで宇宙にいるみたいでほんとに素敵だったな~。
(↑説明しないといけない方もいるらしい)
で、しばらくすると猛烈に眠くなってきた(おじいわんと遊びたくて朝5時起きしたのが災い)ので、もうだめ、もうだめ、と言いながら、
京都あたりで運転を変わってもらう。そのすぐあと、気を失ったように眠る。起きたらもうすぐ岡山だった。
どこも渋滞していなかったので、休み休み来たのだけど、朝7時過ぎには港に一番近いところから下りて、フェリーの待つ日生(ひなせ)港へ向かう。
霜なのか雪なのかまっしろにお化粧した、寂しげな町(このあたりは兵庫)を抜けていき、峠を越えるとすぐ日生だった。
一番の船が着いてて、それには乗れないだろうと、係りの人に声をかけたら、7~8分で出航というのに、乗れという。
そちらの方(わたし)は急いでフェリーの往復チケットを買いに行けと言われたので、助手席から飛び出し、
道路を渡って案内所に行って往復チケットを買い、あと1~2分で出航という様子のフェリーに滑り込んで、ボー。
誘導のおじさんよ、ありがとう。この港でただフェリーを2時間以上待つのはきつかった。
そんなこんなで船は出た。当然だが、ブルーベリーでお馴染みの小平市民の細貝さんもあけみちゃんも船内にはいなかった。
あしたにつづく。