そうだった。
その前夜ごはんのあとに控えめに誘われていたのだったが、
録画していた『まほろ駅前狂騒曲』が見たかったので、それとなくお断りして、
こんちゃんの巣からリビングに移動、映画をはんぶん見たのだった。
次の日の夜。
老犬はそのことを根に持っていた。
彼の一大イベントである夜ごはんが終わると、
これまでに見たことがないくらいハイテンションになり、
右へ左へ反復横跳び、まるで猫のように目をランランと光らせて、
(白内障で白く濁っているにも関わらずだね)
「さああそべ、わしとあそべ」
と挑発してきたのだった。
反復横跳びの合間には、わたしの腕をかみかみし、
正坐のももを蹴り、もみじのお手てで、ざっざっ、と、ひっかくのだった。
「ああー。ごめんごめん。昨日のこと怒ってるんだ」
立ち上がりながら、行天晴彦のマネをして答えたら、
最後の「だ」を言う前に体当たりを食らって、のけぞってこけた。
うちにはもうひとり、白い紙に黒い点を描き、虫眼鏡で日光を集めてジリジリと燃やすときのようなアレで熱烈に嫉妬し、いらんストレスを溜め込んでは魑魅魍魎の類いを呼び寄せる予断を許さないねっとりタイプの犬がいるのだが、あっさりタイプと思い込んでいたいまひとりの老犬も負けず劣らず根に持つタイプだったとは。
仕方がないので、お気に入りのひつじのふわふわと、そうでもない青いボールを、
投げたり、とってきたり、投げたり、とってきたり、というあそびを繰り返し、
あとはおからだほぐしマッサージをして眠らせた。
老犬はぶうぶうといびきをかいて寝た。
実に気持ち良さげ。
だれかに必要とされるってことは、だれかの希望になるってことだ
— 行天春彦(bot) (@gyoutenbot) 2015, 10月 18
・・・わたしはこんちゃんの希望になってるのだろうか。
それともひょっとして、便利屋さんのほう?
そして君たちは誰を選ぶのかね