古事記の天照大御神と須佐之男命のウケヒ話について、それは本当にウケヒに当たるのか、研究者の間に疑問とする考えは長らく続いている。本稿では、主に古事記と日本書紀第六段本文の記述によりながら、この説話がウケヒ話の極致であることを明らかにする。
まず、ウケヒとは何かについて定まらなければ議論は始まらないのであるが、記紀に記されている諸相に例外的なものが含まれており、必ずしも一義的にはまとめられない。その例外のひとつが記の天照大御神と須佐之男命のウケヒである。ウケヒの定式については、一般的に次の解説をもって理解されている。大系本の補注に、「ウケフはあらかじめAB二つの事態を予測し、現実にAが起れば神意はA´にあり、Bが起れば神意はB´にあると、前以て定めておき、実際に起ってくる事態を見て、神意の所在を判断すること。つまり、A女が生れれば、A´濁き心ありとする。B男が生れれば、B´清き心ありとするときめておいて、実際に生んでみて、その結果によって神意をうかがう。この所、記には「宇気比而生レ子」とだけあって、細かく条件が示してない。しかし、ウケヒということの意味は前記の通りで、その点では記紀に相違は無い。ウケヒを単にチカフ意と解するのは誤り。」(①347頁)とする。この理解は、折口1996.に、「うけ・ふ【誓ふ】(補)ちかふ(ア)。祈る。願ふ(イ)諾(ウ)くの再活か。(A)事の善悪・成否・吉凶を占ふ時に、神を判者に立てゝ、現在判断に迷うてゐる事が、+(プラス)ならばかく、-(マイナス)ならばかく兆(シルシ)を表し示し給へと予約すること。(B)其から一転して、さういふ約束を立てゝ祈ること。又、(C)若し欲する通りの結果を生ぜしめて下されたら、かくかくの事をすると誓約することにも使ふ。但し此は正しくはちかふで、うけふの本義は、(A)である。」(75頁、傍線は省いた。)とする語義の説明を総括し、詳述したものである。
土橋1988.に、「……ウケヒは過去・現在・未来の知ることのできない「真実」(「神意」ではない)を知るための卜占の方法として、また誓約(約束すること)を「真実」なものにするための方法として、実修される言語呪術であり、「もしAならば、A´ならむ」という形式は、「こう言えば、こうなる」という言霊信仰に基づく呪文の形式にほかならない。従来ウケヒを「真実」でなく、神意を知るための方法と解してきたのは、第一に呪術としての卜占の結果を神意の現われとする偏った宗教観念に災されたためであり、第二に「祈」「禱」などの漢字表記に惑わされたためである。」(55~56頁)と訂正が加えられている(注1)。
「こう言えば、こうなる」といった予言の自己成就は、そのまま“言霊信仰”と呼べるものではないが、ウケヒの本義はそのとおりであろう。ウケヒは、希望的な祈りと、その実現可能性を問う占いとを兼ねている。将来的な予測の側面について、それを「神意」と呼ぶよりも「真実」としたほうがふさわしい。角川古語大辞典に、「うけふ」は、「受(うく)の再活用かという。①神前で口に出して事の実現を祈る。事の吉凶是非をあらかじめ知るために神意を問う。ある事が実現するならば、その兆しとして、ある現象が起ると神前で宣言して、その予兆が現れるか否かによって神意を知るような行為をいう。」(①377頁)とある。こなれた語釈であるが、古代の言霊信仰のもとにあっては、言葉を使うとき事柄と同じであることが志向された。あくまでも比喩的な表現として「言葉の神さま」という言い方を用いるなら、言葉の神さまは遍在しており、必ず禊ぎなど潔斎して執り行っているわけではないから、なにも「神前」と断る必要はないと考えられる。
記紀におけるウケヒの諸例としては、次のようなものがあげられる。木花開耶姫が出産する際に、火中に自分の子が生れても害されずにいたからそれは天孫の子であると証明されたとすること(神代紀第九段本文)、椎根津彦が、国を平定できるかどうかは路が通るどうかで質すこと(神武前紀戊午年九月)、天皇が、水無しに飴(たがね)が造れたら戦わずして天下を平定できるとすることや、厳瓮(いつへ)を川に沈めて魚が酔って流れたら天下を平定できるとすること(神武前紀戊午年九月)、曙立王が、出雲大神を拝みに行くことに効験があるかないかは目の前の池の鷺の落ちるか活きるかでわかることや白檮の木の枯れるか活きるかによる見極め(垂仁記)、麛坂王・忍熊王が、謀反に成功するなら狩りで良い獣を得ることができるはずであるとの判断(神功紀元年二月)などである。
古事記の天照大御神と須佐之男命のウケヒが疑問とされるのは、上にあげたウケヒの定式に合致しないからである。青木2015.は、ウケヒの要件をして、第一に前言で条件を示していないこと、第二に子の帰属が天照大御神の発言で「物実」の論理によって決まっていること、第三に須佐之男命によるスサノヲファースト的な「勝ちさび」の解釈がまかり通ること、の3点にまとめられるとする(236~237頁)(注2)。そして、これら3点はそれぞれ相互にかかわりをもっていて、結局のところ、「記はウケヒの前提条件を除きつつ、それをスサノヲの「勝ちさび」として位置づけた」(240頁)ことで文章が成り立っていると結論づけている。分析的な解釈をすすめていくと、そういう結論に至らざるを得ない。しかし、説話を創る側から考えれば、どうしてそれをウケヒのパターンに落とし込んだのか、という点がクローズアップされよう。中心となる課題は、結果をいかに判定するかという「物実」や「勝ちさび」によるこじつけにあるのではなく、一番最初にしておかねければならない肝心要の前言宣誓がない点である。前言がないから、「物実」や「勝ちさび」によってどのようにでも解釈が可能になっている。まるで、古事記学者が、この個所を好きなように解釈して憚らないのと同じである。前言しておかなければ、結果の判定は覚束ない。
爾くして天照大御神の詔ひしく、「然らば、汝が心の清く明きは、何(いか)にして知らむ」とのりたまひき。是に、速須佐之男命の答へて白ししく、「各(おのおの)うけひて子を生まむ」とまをしき。故、爾くして各(おのおの)天の安の河を中に置きて、うけふ時、天照大御神、先づ建速須佐之男命の佩ける十拳剣を乞ひ度(わた)して、三段(みきだ)に打ち折りて、ぬなとももゆらに天の真名井に振り滌(すす)ぎて、さがみにかみて、吹き棄つる気吹(いふき)の狭霧に成れる神の御名は、多紀理毘売命(たきりひめのみこと)。……速須佐之男命、天照大御神の左の御みづらに纏ける八尺(やさか)の勾璁(まがたま)の五百津(いほつ)のみすまるの珠を乞ひ度して、ぬなとももゆらに、天の真名井に振り滌ぎて、さがみにかみて、於き吹つる気吹の狭霧に成れる神の御名は、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほのみこと)。亦、右の御みづらに纏ける珠を乞ひ度して、さがみにかみて、吹き棄つる気吹の狭霧に成れる神の御名は、天之菩卑能命(あめのほひのみこと)。亦、御𦆅(みかづら)に纏ける珠を乞ひ度して、さがみにかみて、吹き棄つる気吹の狭霧に成れる神の御名は、天津日子根命(あまつひこのみこと)。又、左の御手に纏ける珠を乞ひ度して、さがみにかみて、吹き棄つる気吹の狭霧に成れる神の御名は、活津日子根命(いくつひこねのみこと)。亦、右の御手に纏ける珠を乞ひ度して、さがみにかみて、吹き棄つる気吹の狭霧に成れる神の御名は、熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)。(記上)
時に天照大神、復(また)問ひて曰はく、「若し然らば、将に何を以てか爾(いまし)が赤(きよ)き心を明さむ」とのたまふ。対へて曰はく、「請(こ)ふ、姉(なねのみこと)と共に誓(うけ)はむ。夫れ誓約(うけひ)の中(みなか)に、誓約之中、此には宇気譬能美儺箇(うけひのみなか)と云ふ。必ず当に子(みこ)を生むべし。若し吾(やつかれ)が所生(う)めらむ、是女(たをやめ)ならば、濁(きたな)き心有りと以為(おもほ)せ。若し是男(ますらを)ならば、清き心有りと以為(おもほ)せ」とのたまふ。是に、天照大神、乃ち素戔嗚尊の十握剣(とつかのつるぎ)を索(こ)ひ取りて、打ち折りて三段(みきだ)に為して、天真名井(あまのまない)に濯(ふりすす)ぎて、𪗾然(さがみ)に咀嚼(か)みて、吹き棄(う)つる気噴(いふき)の狭霧(さぎり)に生まるる神を、号けて田心姫(たこりひめ)と曰す。……既にして素戔嗚尊、天照大神の髻鬘(みいなだき)及び腕(たぶさ)に纏かせる、八坂瓊(やさかに)の五百箇(いほつ)の御統(みすまる)を乞ひ取りて、天真名井に濯ぎて、𪗾然に咀嚼みて、吹き棄つる気噴の狭霧に生まるる神を、号けまつりて正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあまのおしほみみのみこと)と曰す。(神代紀第六段本文)
紀本文では、「如吾所生、是女者、則可以三為有二濁心一。若是男者、則可以三為有二清心一。」というのが前言になっている。とはいえ、それもウケヒの判定に誤審を引き起こす要素をはらんでいる。「共誓」しているから、どちらが生んだ子のことを指して言ったものか、厳密な限定になっていない(注3)。複数の扉のあるエレベーターに、「こちら側のドアが開きます」と頭上からアナウンスされても、こちらとはどちらなのかわからないのと状況が似ている。とり上げている「共誓」の事例は、そうやってウケヒの結果を紛らさるために、あえて説話の作者が編み出した方便なのであろう。須佐之男命(素戔嗚尊)が強弁する際のさらなる方便の方法に、「物実」と「勝ちさび」がある。判断材料の後付けである。現代社会で、事件・事故を起した時、罪刑法定主義によってしか裁かれない。後から立法しても、当該事件・事故には適用されない。しかし、スサノヲは後から判断材料を提起している。それはまさに、ウケヒと称しつつ、ウケヒの前言規定主義を覆し、ウケヒの根本を捻じ曲げてしまうことである。悪質な人間(?)、それが須佐之男命(素戔嗚尊)である。それを物語りたくて記に語られているのが、この須佐之男命と天照大御神のウケヒ合戦である(注4)。
ところが、杓子定規に考えたがる現代の古事記学者には、例えば菅野2004.に、「『書紀』を検してみても、この天照大神と素戔嗚尊(=須佐之男命)との子生みの物語は、本来のウケヒとは関係のない語りであったのであろう。」(181頁)、「この物語はウケヒ神話の範疇から外すべきなのである。」(182頁)と解釈されるに及んでいる。本来のウケヒとは関係ない語りが、なにゆえ行われているかについて、突っ込んだ検討は行われていない。それどころか、記の用字に「宇気比」、「宇気布」とあって、紀に「誓」、「誓約」と記されていて別だから、ウケヒの概念自体がそれぞれに別のものであると捉えるべきとする意見まで生まれている(注5)。およそナンセンスな議論である。そんなことを言い出したら、漢字の字義に基づいて記されたものと万葉仮名で記されたものと、すべてのヤマトコトバにおいて別の概念として検討しなければならなくなる。無文字であったヤマトコトバに文字(漢字)を当てて記している。「宇気比」も「誓」もウケヒと訓むなら同じ概念であるに決まっている。そう訓まずに例えばチカヒと訓むのなら、それは別の概念である。無文字時代のヤマトコトバは音でのみできている。事は単純である。詐欺師の須佐之男命がウケヒの中身を蔑ろにした。ただそれだけである(注6)。
この須佐之男命(素戔嗚尊)と天照大御神(天照大神)のウケヒ話は、本来の意味でのウケヒというものが、前言宣誓してA→A´、B→B´とする占いであると周知認定されたうえで語られていると考える。そのうえで、須佐之男命(素戔嗚尊)が、形式的にウケヒであるように偽装したものである。口に出して言ってしまうことが、ウケヒの目に見える行為である。先に言ってしまって、どうなるか見てみて、本題の課題についても写像的に同様になるだろうと占う。条件節のもと、事に先んじて言葉を発している。これは言=事とする言霊信仰下において、言葉の使用法として少しイレギュラーである。仮定的に二律背反的に言葉を発すると、どうしても片方は言≠事となる言葉を口にしてしまっていることになる。それは、言葉が正しくは言っていないこと、言い損なったことと同じである。言い損ないの具体的な現象は、言葉を噛んでしまうことによく示される。つまり、ウケヒの作法に必ず言葉を発する前言宣誓が伴うとき、AであるならA´、AでないならA´でない、という物言いは、実際には二者のうち一方しか起らない。言霊信仰原理主義者にとっていえば、半分は言い違いをしていることになる。それを何と言うか。「噛む」である。
「こち亀連載終了ニュース アナウンサー噛み噛み」(https://www.youtube.com/watch?v=pdJat1CySho)
言葉がうまく話せないことは、現代の口頭語に「噛む」という。アナウンサーが流暢に話せずに何度も言い直すことを「噛む」と表現している。「噛んで含めるように言う」という慣用表現もあるように、言葉を発する器官は口で、それを動かすことによって発音ができているから、食事をするときに同様に使っている「噛む」という言い方でもって話すことの形容に使っている。人類は、その進化の過程で、おしゃべりする能力を得て、むせるリスクを被っている。
そのことは、記紀とも当該ウケヒ話に明記されている。「佐賀美邇迦美而(さがみにかみて)」(記)、「𪗾然咀嚼(さがみにかみ)而(て)」(紀本文)とある。サガミニカムとは、噛みに噛むという意である。十束剣(とつかのつるぎ)を三分割に打ち折るか、八坂瓊(やさかに)の五百箇(いほつ)の御統(みすまる)を手に取って、水で濯いで、噛みに噛んでいる。鉄剣や勾玉を実際に噛むことが可能か、といったナンセンスな問いを発してはならない。レトリックである。その意は、記に明白である。剣の刃(は)を歯(は)で噛んでいる(注7)。どんな事が起っているか。コト(事)のハの話が成立している。コトバ(言葉)に同じである。言葉に代って、事刃(事歯)が用をなしている。したがって、これは、ウケヒの要件とされる前言、すなわち、コトバが先にあるということになっている。コトバが先にあれば、それはウケヒである。なにごとの不思議もない。
この高等テクニックの洒落に、今日の古事記学者はひとたまりもない。この説話のことを、本来のウケヒから外れる、ないし、ウケヒからずれた形として、皇統の確立を語る体系神話のために用いられている(青木2015.)とか、古事記はアマテラスの至高性とスサノヲの清明心とが両立する神話構造を作るために、ウケヒの型を破っている(金井2010.)といった屋上屋を築いた議論は、みな砂上の楼閣であったと知れるのである(注8)。
記紀の説話とはコトバである。そのことを、ウケヒという言葉を前言することが要件であるはずの事柄において、あえて定式を崩して示している。無文字時代における言葉とは、発語された音そのものであった。
(注)
(注1)ウケヒとは何かについて、今日行われていないため、どうしても誤解した議論が行われてしまう。例えば、内田1988.に、「黒雲が広がってきたら雨だ」、「夕焼けがあれば明日は晴れだ」という言い方よりも、「下駄が裏向きになれば雨だ」がウケヒに最も似ているとするが、経験を越えた原理であるかどうかとウケヒの論理とは交点を持たない。また、中川2009.に、「実際にウケヒを行った人々にとって、AであるかBであるか、どちらが真実かを知るには、やはり人知を越えた霊力というものを考慮に入れざるを得ないと思う。」(298頁)として、「現代人ですら、決断しかねる大問題がある時、占ないやおみくじに頼るが、それは人知を越えた霊力の存在を信じていなければおこりえない行為である。」(329頁、傍点は省いた。)と注している。人生観はいろいろで、「凶」のおみくじを珍しがって喜ぶ人がいる。言葉にしているから事柄になるという言霊信仰が底流にあり、その発展敷衍形がウケヒである。
なお、スサノヲとアマテラスのウケヒ話について、一部の論者に、ウケヒとは何かを括弧に入れてしまい、どちらが勝ったことになるのか、また、次のスサノヲの乱行話へ導くために物語上の装置としてウケヒは持ち出されているにすぎないとする妄言が見られる。話(咄・噺・譚)として聞くとき、別に意味はないけれど占いの一法を引き合いに出してみたとして、誰に聞き入れられようか。なるほどと思わないままに暗記されるほど、受験科目として古事記はあったのであろうか。でたらめ話が横行して、しかもそれが伝承されるところまで、上代の言語活動はカオスに陥っていたと主張したいのであろうか。(注6)も参照のこと。
(注2)山田2001.に、スサノヲのウケヒ神話で問題となるであろう点を8点指摘する。「(1)ウケヒの前提の言葉の有無(なぜ古事記にのみないのか)。(2)物実とその交換の意味。また、子が生まれたのは物実からか否か。(3)アマテラスとスサノヲは近親婚か否か。(4)子神の男女いずれを以て勝ちとするか(なぜ古事記だけ女神で勝ちなのか)。(5)子神を交換することの意味。および兄弟関係について。(6)スサノヲは本当に勝ったのか。あるいは、「勝ちさび」の意味について。(7)アマテラスの「詔(の)り別(わ)き」「詔(の)り直(なほ)し」とは何か。(8)六伝[記、神代紀第六段本文、同一書第一、同一書第二、同一書第三、神代紀第七段一書第三]のうち本来の伝承はどれか。」(181~182頁)とある。言=事とする言霊信仰下において、中心的な問題は前言である。「詔り別き」、「詔り直し」は、言葉を発することで事柄を確定させる所作になっている。
(注3)神代紀第六段本文以外の諸伝でも、それぞれに後講釈のこじつけが可能な、含みをもった前言が行われている。「於是、日神共二素戔嗚尊一、相対而立誓曰、「若汝心明浄、不レ有二凌奪之意一者、汝所生児、必当男矣。」」(神代紀第六段一書第一)、「対曰、「請吾与レ姉、共立二誓約一。誓約之間、生レ女為二黒心一。生レ男為二赤心一。」」(同第二)、「日神与二素戔嗚尊一、隔二天安河一、而相対乃立誓約曰、「汝若不レ有二姧賊之心一者、汝所生子、必男矣。如生レ男者、予以為レ子、而令レ治二天原一也。」」(同第三)、「於是、素戔嗚尊、誓之曰、「吾若懐二不善一、而復上来者、吾今囓レ玉生児、必当為レ女矣。如此則可三以降二女於葦原中国一。如有二清心一者、必当生レ男矣、如此則可四以使三男御二天上一。且姉之所生、亦同二此誓一。」於是、日神先囓二十握剣一、云々。」(神代紀第七段一書第三)。いずれが生んだ児のことを前言していたのか定かでないし、対立する両者に一人の弁護人が立ってもぞもぞ言っているように聞こえる。
(注4)新編全集本古事記に、「「うけひ」は、言立てのもとになされる言語呪術と認められる。しかし、前提となるはずの言立てがここには明示されない。女子(あるいは男子)を生むならば清く明き心を持つ、という言立てのもとに、清明を証明しようとしてなされたはずだが、「うけひ」そのものは関心の対象となっていないから、このような語り方となっている。なお、須佐之男命の問題なのに「各」といって天照大御神まで子を生むのは普通の「うけひ」とは異なる。」(58頁頭注)とある。お人好しの解釈である。須佐之男命によって、ウケヒの枠組そのものをぶち壊してしまう諸行為が語られている。憲法が“解釈”によって骨抜きにされていくことが参考になろうか。一緒にウケヒをしている点も、悪辣な詐欺師が、とても素敵なことだから一緒にセミナーを受講しましょうと言って会費を払う偽装行為に似ている。
(注5)岸根2014.にも、「そもそもウケヒというものをどのように捉えるかという点について、古事記神話と日本書紀神話のあいだに理解の違いがある可能性が想定できるのである。」(405頁)とある。
(注6)今日の古事記研究はある病を抱えている。古事記は天皇制の正統性を論ずるために創作されたものであるとして、すべての説話をその一義に収斂させようと努めている。しかし、古事記は、稗田阿礼が読み習わしていたものを太安万侶が文字に起こしたものである。無文字時代に語り継がれてきたということは、聞いただけで周囲の人が理解でき、次の人へ語り継ぐことが可能でなければならない。理屈をこねまわした話を聞いても、聞き手は細部まで腑に落ちなければ覚える気にさえならない。ウケヒを崩した形の話になっているのは、話としておもしろいと思われたからである。天皇制の正しさを伝えようと小役人がこぞって棒暗記に努めたわけではないし、受験科目に加えられていたこともない。文字時代に突入して律令制が敷かれると、古事記はお蔵入りしてしまっている。日本書紀も、奈良時代の養老五年(721)から平安時代の康和二年(1100)まで、7回にわたって講書という勉強会が開かれてはチンプンカンプンで、珍奇な質問が繰り返され、講師がそれなりに答えていっている。無文字時代にお話としてスサノヲのウケヒが変な形であるにもかかわらず理解されたのは、スサノヲが嘘つきであるという設定が周知に認識されていたからである。その前段の、スサノヲが命じられた海原の国を治めずに、「八拳須(やつかひげ)心前(こころさき)に至るまで、啼きいさちき。」(記上)と伝わるのも、嘘泣きをして同情を買おうとしていると皆わかっていたからである。平気で嘘をつくこと、嘘をついて罪悪感を感じないこととはどういうことか、契約書のない時代の詐欺とはどういうものか、よくよく熟知していたからであろう。拙稿「スサノヲはなぜ泣くのか」参照。
言葉を事柄と一致させることが規範であって、それを基に社会は成り立っていた。言葉の側から言えば、言=事とする言霊信仰というに当たる。その秩序の基盤を根本から覆してしまう代表例として、スサノヲは造形されている。価値観の違いではなく、道徳の欠如である。これは、政治学や歴史学、文学、神話学の知見によって読み解こうとするよりむしろ、社会学的視座によって明瞭になるものである。社会の規範が内面化されていない相手には、何を言っても無駄である。
(注7)サガミニカミテとする対象物は、記に、「十拳剣(とつかのつるぎ)」、紀本文に、「八坂瓊(やさかに)の五百箇(いほつ)の御統(みすまる)」と異なっている。他にサガミニカミテの叙述はなく、神代紀第六段一書第一では、「食(を)して生(な)す児(こ)」、同第二では、「囓(く)ひ断ちて」、同第三では、「食(を)して化生(あ)れます児(みこ)」と変奏している。第三に、日神は十握剣を「食して」いるが、素戔嗚尊は五百箇の統(みすまる)の瓊を「含(ふふ)みて」といったまろやかな表現になっている。紀では前言があるから、ウケヒの記述に、サガミニカミテという表現は必ずしも必要なわけではない。紀の本文が記に近いのは、どのようにウケヒの条件要素を入れるかにおいて、折衷、混淆があって、前言を完全に省略するという先鋭的な記の作例に用いられた詞章表現を援用したからであると考えられる。
(注8)辻褄を合わせることで何とかこのウケヒ神話を解読しようとする試みは、他にも、毛利1992.、山田2001.にも見られる。
(引用文献)
青木2015.『青木周平著作集 上巻ー古事記の文学研究ー』おうふう、平成27年。
内田1988.内田賢徳「ウケヒの論理とその周辺」『萬葉』第128号、昭和63年2月。
折口1996.折口信夫全集刊行会編『折口信夫全集11』中央公論社、1996年(大正8年初出)。
金井2010.金井清一「古事記、天の安の河のウケヒ再考」万葉七曜会編『論集上代文学』第32号、笠間書院、2010年。
角川古語大辞典 中村幸彦・岡見正雄・阪倉篤義編『角川古語大辞典 第一巻』角川書店、昭和57年。
岸根2014.岸根敏幸「古事記神話と日本書紀神話の比較研究」『福岡大学人文論叢』第46巻第2号(通号第181号)、平成26年9月。
新編全集本古事記 山口佳紀・神野志隆光校注・訳『古事記』小学館、1997年。
菅野2002.『菅野雅雄著作集 第二巻ー古事記論叢Ⅱ説話ー』おうふう、平成16年。
大系本 坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注『日本書紀(1)』岩波書店(ワイド版岩波文庫)、2003年(1967年初出)。
土橋1988.土橋寛『日本古代の呪禱と説話―土橋寛論文集 下―』塙書房、平成元年。
中川2009.中川ゆかり『上代散文 その表現の試み』塙書房、2009年。
毛利1992.毛利正守「アマテラスとスサノヲの誓約」『記紀萬葉論叢』塙書房、平成4年。
山田2001.山田永『古事記スサノヲの研究』新典社、平成13年。
まず、ウケヒとは何かについて定まらなければ議論は始まらないのであるが、記紀に記されている諸相に例外的なものが含まれており、必ずしも一義的にはまとめられない。その例外のひとつが記の天照大御神と須佐之男命のウケヒである。ウケヒの定式については、一般的に次の解説をもって理解されている。大系本の補注に、「ウケフはあらかじめAB二つの事態を予測し、現実にAが起れば神意はA´にあり、Bが起れば神意はB´にあると、前以て定めておき、実際に起ってくる事態を見て、神意の所在を判断すること。つまり、A女が生れれば、A´濁き心ありとする。B男が生れれば、B´清き心ありとするときめておいて、実際に生んでみて、その結果によって神意をうかがう。この所、記には「宇気比而生レ子」とだけあって、細かく条件が示してない。しかし、ウケヒということの意味は前記の通りで、その点では記紀に相違は無い。ウケヒを単にチカフ意と解するのは誤り。」(①347頁)とする。この理解は、折口1996.に、「うけ・ふ【誓ふ】(補)ちかふ(ア)。祈る。願ふ(イ)諾(ウ)くの再活か。(A)事の善悪・成否・吉凶を占ふ時に、神を判者に立てゝ、現在判断に迷うてゐる事が、+(プラス)ならばかく、-(マイナス)ならばかく兆(シルシ)を表し示し給へと予約すること。(B)其から一転して、さういふ約束を立てゝ祈ること。又、(C)若し欲する通りの結果を生ぜしめて下されたら、かくかくの事をすると誓約することにも使ふ。但し此は正しくはちかふで、うけふの本義は、(A)である。」(75頁、傍線は省いた。)とする語義の説明を総括し、詳述したものである。
土橋1988.に、「……ウケヒは過去・現在・未来の知ることのできない「真実」(「神意」ではない)を知るための卜占の方法として、また誓約(約束すること)を「真実」なものにするための方法として、実修される言語呪術であり、「もしAならば、A´ならむ」という形式は、「こう言えば、こうなる」という言霊信仰に基づく呪文の形式にほかならない。従来ウケヒを「真実」でなく、神意を知るための方法と解してきたのは、第一に呪術としての卜占の結果を神意の現われとする偏った宗教観念に災されたためであり、第二に「祈」「禱」などの漢字表記に惑わされたためである。」(55~56頁)と訂正が加えられている(注1)。
「こう言えば、こうなる」といった予言の自己成就は、そのまま“言霊信仰”と呼べるものではないが、ウケヒの本義はそのとおりであろう。ウケヒは、希望的な祈りと、その実現可能性を問う占いとを兼ねている。将来的な予測の側面について、それを「神意」と呼ぶよりも「真実」としたほうがふさわしい。角川古語大辞典に、「うけふ」は、「受(うく)の再活用かという。①神前で口に出して事の実現を祈る。事の吉凶是非をあらかじめ知るために神意を問う。ある事が実現するならば、その兆しとして、ある現象が起ると神前で宣言して、その予兆が現れるか否かによって神意を知るような行為をいう。」(①377頁)とある。こなれた語釈であるが、古代の言霊信仰のもとにあっては、言葉を使うとき事柄と同じであることが志向された。あくまでも比喩的な表現として「言葉の神さま」という言い方を用いるなら、言葉の神さまは遍在しており、必ず禊ぎなど潔斎して執り行っているわけではないから、なにも「神前」と断る必要はないと考えられる。
記紀におけるウケヒの諸例としては、次のようなものがあげられる。木花開耶姫が出産する際に、火中に自分の子が生れても害されずにいたからそれは天孫の子であると証明されたとすること(神代紀第九段本文)、椎根津彦が、国を平定できるかどうかは路が通るどうかで質すこと(神武前紀戊午年九月)、天皇が、水無しに飴(たがね)が造れたら戦わずして天下を平定できるとすることや、厳瓮(いつへ)を川に沈めて魚が酔って流れたら天下を平定できるとすること(神武前紀戊午年九月)、曙立王が、出雲大神を拝みに行くことに効験があるかないかは目の前の池の鷺の落ちるか活きるかでわかることや白檮の木の枯れるか活きるかによる見極め(垂仁記)、麛坂王・忍熊王が、謀反に成功するなら狩りで良い獣を得ることができるはずであるとの判断(神功紀元年二月)などである。
古事記の天照大御神と須佐之男命のウケヒが疑問とされるのは、上にあげたウケヒの定式に合致しないからである。青木2015.は、ウケヒの要件をして、第一に前言で条件を示していないこと、第二に子の帰属が天照大御神の発言で「物実」の論理によって決まっていること、第三に須佐之男命によるスサノヲファースト的な「勝ちさび」の解釈がまかり通ること、の3点にまとめられるとする(236~237頁)(注2)。そして、これら3点はそれぞれ相互にかかわりをもっていて、結局のところ、「記はウケヒの前提条件を除きつつ、それをスサノヲの「勝ちさび」として位置づけた」(240頁)ことで文章が成り立っていると結論づけている。分析的な解釈をすすめていくと、そういう結論に至らざるを得ない。しかし、説話を創る側から考えれば、どうしてそれをウケヒのパターンに落とし込んだのか、という点がクローズアップされよう。中心となる課題は、結果をいかに判定するかという「物実」や「勝ちさび」によるこじつけにあるのではなく、一番最初にしておかねければならない肝心要の前言宣誓がない点である。前言がないから、「物実」や「勝ちさび」によってどのようにでも解釈が可能になっている。まるで、古事記学者が、この個所を好きなように解釈して憚らないのと同じである。前言しておかなければ、結果の判定は覚束ない。
爾くして天照大御神の詔ひしく、「然らば、汝が心の清く明きは、何(いか)にして知らむ」とのりたまひき。是に、速須佐之男命の答へて白ししく、「各(おのおの)うけひて子を生まむ」とまをしき。故、爾くして各(おのおの)天の安の河を中に置きて、うけふ時、天照大御神、先づ建速須佐之男命の佩ける十拳剣を乞ひ度(わた)して、三段(みきだ)に打ち折りて、ぬなとももゆらに天の真名井に振り滌(すす)ぎて、さがみにかみて、吹き棄つる気吹(いふき)の狭霧に成れる神の御名は、多紀理毘売命(たきりひめのみこと)。……速須佐之男命、天照大御神の左の御みづらに纏ける八尺(やさか)の勾璁(まがたま)の五百津(いほつ)のみすまるの珠を乞ひ度して、ぬなとももゆらに、天の真名井に振り滌ぎて、さがみにかみて、於き吹つる気吹の狭霧に成れる神の御名は、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほのみこと)。亦、右の御みづらに纏ける珠を乞ひ度して、さがみにかみて、吹き棄つる気吹の狭霧に成れる神の御名は、天之菩卑能命(あめのほひのみこと)。亦、御𦆅(みかづら)に纏ける珠を乞ひ度して、さがみにかみて、吹き棄つる気吹の狭霧に成れる神の御名は、天津日子根命(あまつひこのみこと)。又、左の御手に纏ける珠を乞ひ度して、さがみにかみて、吹き棄つる気吹の狭霧に成れる神の御名は、活津日子根命(いくつひこねのみこと)。亦、右の御手に纏ける珠を乞ひ度して、さがみにかみて、吹き棄つる気吹の狭霧に成れる神の御名は、熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)。(記上)
時に天照大神、復(また)問ひて曰はく、「若し然らば、将に何を以てか爾(いまし)が赤(きよ)き心を明さむ」とのたまふ。対へて曰はく、「請(こ)ふ、姉(なねのみこと)と共に誓(うけ)はむ。夫れ誓約(うけひ)の中(みなか)に、誓約之中、此には宇気譬能美儺箇(うけひのみなか)と云ふ。必ず当に子(みこ)を生むべし。若し吾(やつかれ)が所生(う)めらむ、是女(たをやめ)ならば、濁(きたな)き心有りと以為(おもほ)せ。若し是男(ますらを)ならば、清き心有りと以為(おもほ)せ」とのたまふ。是に、天照大神、乃ち素戔嗚尊の十握剣(とつかのつるぎ)を索(こ)ひ取りて、打ち折りて三段(みきだ)に為して、天真名井(あまのまない)に濯(ふりすす)ぎて、𪗾然(さがみ)に咀嚼(か)みて、吹き棄(う)つる気噴(いふき)の狭霧(さぎり)に生まるる神を、号けて田心姫(たこりひめ)と曰す。……既にして素戔嗚尊、天照大神の髻鬘(みいなだき)及び腕(たぶさ)に纏かせる、八坂瓊(やさかに)の五百箇(いほつ)の御統(みすまる)を乞ひ取りて、天真名井に濯ぎて、𪗾然に咀嚼みて、吹き棄つる気噴の狭霧に生まるる神を、号けまつりて正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあまのおしほみみのみこと)と曰す。(神代紀第六段本文)
紀本文では、「如吾所生、是女者、則可以三為有二濁心一。若是男者、則可以三為有二清心一。」というのが前言になっている。とはいえ、それもウケヒの判定に誤審を引き起こす要素をはらんでいる。「共誓」しているから、どちらが生んだ子のことを指して言ったものか、厳密な限定になっていない(注3)。複数の扉のあるエレベーターに、「こちら側のドアが開きます」と頭上からアナウンスされても、こちらとはどちらなのかわからないのと状況が似ている。とり上げている「共誓」の事例は、そうやってウケヒの結果を紛らさるために、あえて説話の作者が編み出した方便なのであろう。須佐之男命(素戔嗚尊)が強弁する際のさらなる方便の方法に、「物実」と「勝ちさび」がある。判断材料の後付けである。現代社会で、事件・事故を起した時、罪刑法定主義によってしか裁かれない。後から立法しても、当該事件・事故には適用されない。しかし、スサノヲは後から判断材料を提起している。それはまさに、ウケヒと称しつつ、ウケヒの前言規定主義を覆し、ウケヒの根本を捻じ曲げてしまうことである。悪質な人間(?)、それが須佐之男命(素戔嗚尊)である。それを物語りたくて記に語られているのが、この須佐之男命と天照大御神のウケヒ合戦である(注4)。
ところが、杓子定規に考えたがる現代の古事記学者には、例えば菅野2004.に、「『書紀』を検してみても、この天照大神と素戔嗚尊(=須佐之男命)との子生みの物語は、本来のウケヒとは関係のない語りであったのであろう。」(181頁)、「この物語はウケヒ神話の範疇から外すべきなのである。」(182頁)と解釈されるに及んでいる。本来のウケヒとは関係ない語りが、なにゆえ行われているかについて、突っ込んだ検討は行われていない。それどころか、記の用字に「宇気比」、「宇気布」とあって、紀に「誓」、「誓約」と記されていて別だから、ウケヒの概念自体がそれぞれに別のものであると捉えるべきとする意見まで生まれている(注5)。およそナンセンスな議論である。そんなことを言い出したら、漢字の字義に基づいて記されたものと万葉仮名で記されたものと、すべてのヤマトコトバにおいて別の概念として検討しなければならなくなる。無文字であったヤマトコトバに文字(漢字)を当てて記している。「宇気比」も「誓」もウケヒと訓むなら同じ概念であるに決まっている。そう訓まずに例えばチカヒと訓むのなら、それは別の概念である。無文字時代のヤマトコトバは音でのみできている。事は単純である。詐欺師の須佐之男命がウケヒの中身を蔑ろにした。ただそれだけである(注6)。
この須佐之男命(素戔嗚尊)と天照大御神(天照大神)のウケヒ話は、本来の意味でのウケヒというものが、前言宣誓してA→A´、B→B´とする占いであると周知認定されたうえで語られていると考える。そのうえで、須佐之男命(素戔嗚尊)が、形式的にウケヒであるように偽装したものである。口に出して言ってしまうことが、ウケヒの目に見える行為である。先に言ってしまって、どうなるか見てみて、本題の課題についても写像的に同様になるだろうと占う。条件節のもと、事に先んじて言葉を発している。これは言=事とする言霊信仰下において、言葉の使用法として少しイレギュラーである。仮定的に二律背反的に言葉を発すると、どうしても片方は言≠事となる言葉を口にしてしまっていることになる。それは、言葉が正しくは言っていないこと、言い損なったことと同じである。言い損ないの具体的な現象は、言葉を噛んでしまうことによく示される。つまり、ウケヒの作法に必ず言葉を発する前言宣誓が伴うとき、AであるならA´、AでないならA´でない、という物言いは、実際には二者のうち一方しか起らない。言霊信仰原理主義者にとっていえば、半分は言い違いをしていることになる。それを何と言うか。「噛む」である。
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言葉がうまく話せないことは、現代の口頭語に「噛む」という。アナウンサーが流暢に話せずに何度も言い直すことを「噛む」と表現している。「噛んで含めるように言う」という慣用表現もあるように、言葉を発する器官は口で、それを動かすことによって発音ができているから、食事をするときに同様に使っている「噛む」という言い方でもって話すことの形容に使っている。人類は、その進化の過程で、おしゃべりする能力を得て、むせるリスクを被っている。
そのことは、記紀とも当該ウケヒ話に明記されている。「佐賀美邇迦美而(さがみにかみて)」(記)、「𪗾然咀嚼(さがみにかみ)而(て)」(紀本文)とある。サガミニカムとは、噛みに噛むという意である。十束剣(とつかのつるぎ)を三分割に打ち折るか、八坂瓊(やさかに)の五百箇(いほつ)の御統(みすまる)を手に取って、水で濯いで、噛みに噛んでいる。鉄剣や勾玉を実際に噛むことが可能か、といったナンセンスな問いを発してはならない。レトリックである。その意は、記に明白である。剣の刃(は)を歯(は)で噛んでいる(注7)。どんな事が起っているか。コト(事)のハの話が成立している。コトバ(言葉)に同じである。言葉に代って、事刃(事歯)が用をなしている。したがって、これは、ウケヒの要件とされる前言、すなわち、コトバが先にあるということになっている。コトバが先にあれば、それはウケヒである。なにごとの不思議もない。
この高等テクニックの洒落に、今日の古事記学者はひとたまりもない。この説話のことを、本来のウケヒから外れる、ないし、ウケヒからずれた形として、皇統の確立を語る体系神話のために用いられている(青木2015.)とか、古事記はアマテラスの至高性とスサノヲの清明心とが両立する神話構造を作るために、ウケヒの型を破っている(金井2010.)といった屋上屋を築いた議論は、みな砂上の楼閣であったと知れるのである(注8)。
記紀の説話とはコトバである。そのことを、ウケヒという言葉を前言することが要件であるはずの事柄において、あえて定式を崩して示している。無文字時代における言葉とは、発語された音そのものであった。
(注)
(注1)ウケヒとは何かについて、今日行われていないため、どうしても誤解した議論が行われてしまう。例えば、内田1988.に、「黒雲が広がってきたら雨だ」、「夕焼けがあれば明日は晴れだ」という言い方よりも、「下駄が裏向きになれば雨だ」がウケヒに最も似ているとするが、経験を越えた原理であるかどうかとウケヒの論理とは交点を持たない。また、中川2009.に、「実際にウケヒを行った人々にとって、AであるかBであるか、どちらが真実かを知るには、やはり人知を越えた霊力というものを考慮に入れざるを得ないと思う。」(298頁)として、「現代人ですら、決断しかねる大問題がある時、占ないやおみくじに頼るが、それは人知を越えた霊力の存在を信じていなければおこりえない行為である。」(329頁、傍点は省いた。)と注している。人生観はいろいろで、「凶」のおみくじを珍しがって喜ぶ人がいる。言葉にしているから事柄になるという言霊信仰が底流にあり、その発展敷衍形がウケヒである。
なお、スサノヲとアマテラスのウケヒ話について、一部の論者に、ウケヒとは何かを括弧に入れてしまい、どちらが勝ったことになるのか、また、次のスサノヲの乱行話へ導くために物語上の装置としてウケヒは持ち出されているにすぎないとする妄言が見られる。話(咄・噺・譚)として聞くとき、別に意味はないけれど占いの一法を引き合いに出してみたとして、誰に聞き入れられようか。なるほどと思わないままに暗記されるほど、受験科目として古事記はあったのであろうか。でたらめ話が横行して、しかもそれが伝承されるところまで、上代の言語活動はカオスに陥っていたと主張したいのであろうか。(注6)も参照のこと。
(注2)山田2001.に、スサノヲのウケヒ神話で問題となるであろう点を8点指摘する。「(1)ウケヒの前提の言葉の有無(なぜ古事記にのみないのか)。(2)物実とその交換の意味。また、子が生まれたのは物実からか否か。(3)アマテラスとスサノヲは近親婚か否か。(4)子神の男女いずれを以て勝ちとするか(なぜ古事記だけ女神で勝ちなのか)。(5)子神を交換することの意味。および兄弟関係について。(6)スサノヲは本当に勝ったのか。あるいは、「勝ちさび」の意味について。(7)アマテラスの「詔(の)り別(わ)き」「詔(の)り直(なほ)し」とは何か。(8)六伝[記、神代紀第六段本文、同一書第一、同一書第二、同一書第三、神代紀第七段一書第三]のうち本来の伝承はどれか。」(181~182頁)とある。言=事とする言霊信仰下において、中心的な問題は前言である。「詔り別き」、「詔り直し」は、言葉を発することで事柄を確定させる所作になっている。
(注3)神代紀第六段本文以外の諸伝でも、それぞれに後講釈のこじつけが可能な、含みをもった前言が行われている。「於是、日神共二素戔嗚尊一、相対而立誓曰、「若汝心明浄、不レ有二凌奪之意一者、汝所生児、必当男矣。」」(神代紀第六段一書第一)、「対曰、「請吾与レ姉、共立二誓約一。誓約之間、生レ女為二黒心一。生レ男為二赤心一。」」(同第二)、「日神与二素戔嗚尊一、隔二天安河一、而相対乃立誓約曰、「汝若不レ有二姧賊之心一者、汝所生子、必男矣。如生レ男者、予以為レ子、而令レ治二天原一也。」」(同第三)、「於是、素戔嗚尊、誓之曰、「吾若懐二不善一、而復上来者、吾今囓レ玉生児、必当為レ女矣。如此則可三以降二女於葦原中国一。如有二清心一者、必当生レ男矣、如此則可四以使三男御二天上一。且姉之所生、亦同二此誓一。」於是、日神先囓二十握剣一、云々。」(神代紀第七段一書第三)。いずれが生んだ児のことを前言していたのか定かでないし、対立する両者に一人の弁護人が立ってもぞもぞ言っているように聞こえる。
(注4)新編全集本古事記に、「「うけひ」は、言立てのもとになされる言語呪術と認められる。しかし、前提となるはずの言立てがここには明示されない。女子(あるいは男子)を生むならば清く明き心を持つ、という言立てのもとに、清明を証明しようとしてなされたはずだが、「うけひ」そのものは関心の対象となっていないから、このような語り方となっている。なお、須佐之男命の問題なのに「各」といって天照大御神まで子を生むのは普通の「うけひ」とは異なる。」(58頁頭注)とある。お人好しの解釈である。須佐之男命によって、ウケヒの枠組そのものをぶち壊してしまう諸行為が語られている。憲法が“解釈”によって骨抜きにされていくことが参考になろうか。一緒にウケヒをしている点も、悪辣な詐欺師が、とても素敵なことだから一緒にセミナーを受講しましょうと言って会費を払う偽装行為に似ている。
(注5)岸根2014.にも、「そもそもウケヒというものをどのように捉えるかという点について、古事記神話と日本書紀神話のあいだに理解の違いがある可能性が想定できるのである。」(405頁)とある。
(注6)今日の古事記研究はある病を抱えている。古事記は天皇制の正統性を論ずるために創作されたものであるとして、すべての説話をその一義に収斂させようと努めている。しかし、古事記は、稗田阿礼が読み習わしていたものを太安万侶が文字に起こしたものである。無文字時代に語り継がれてきたということは、聞いただけで周囲の人が理解でき、次の人へ語り継ぐことが可能でなければならない。理屈をこねまわした話を聞いても、聞き手は細部まで腑に落ちなければ覚える気にさえならない。ウケヒを崩した形の話になっているのは、話としておもしろいと思われたからである。天皇制の正しさを伝えようと小役人がこぞって棒暗記に努めたわけではないし、受験科目に加えられていたこともない。文字時代に突入して律令制が敷かれると、古事記はお蔵入りしてしまっている。日本書紀も、奈良時代の養老五年(721)から平安時代の康和二年(1100)まで、7回にわたって講書という勉強会が開かれてはチンプンカンプンで、珍奇な質問が繰り返され、講師がそれなりに答えていっている。無文字時代にお話としてスサノヲのウケヒが変な形であるにもかかわらず理解されたのは、スサノヲが嘘つきであるという設定が周知に認識されていたからである。その前段の、スサノヲが命じられた海原の国を治めずに、「八拳須(やつかひげ)心前(こころさき)に至るまで、啼きいさちき。」(記上)と伝わるのも、嘘泣きをして同情を買おうとしていると皆わかっていたからである。平気で嘘をつくこと、嘘をついて罪悪感を感じないこととはどういうことか、契約書のない時代の詐欺とはどういうものか、よくよく熟知していたからであろう。拙稿「スサノヲはなぜ泣くのか」参照。
言葉を事柄と一致させることが規範であって、それを基に社会は成り立っていた。言葉の側から言えば、言=事とする言霊信仰というに当たる。その秩序の基盤を根本から覆してしまう代表例として、スサノヲは造形されている。価値観の違いではなく、道徳の欠如である。これは、政治学や歴史学、文学、神話学の知見によって読み解こうとするよりむしろ、社会学的視座によって明瞭になるものである。社会の規範が内面化されていない相手には、何を言っても無駄である。
(注7)サガミニカミテとする対象物は、記に、「十拳剣(とつかのつるぎ)」、紀本文に、「八坂瓊(やさかに)の五百箇(いほつ)の御統(みすまる)」と異なっている。他にサガミニカミテの叙述はなく、神代紀第六段一書第一では、「食(を)して生(な)す児(こ)」、同第二では、「囓(く)ひ断ちて」、同第三では、「食(を)して化生(あ)れます児(みこ)」と変奏している。第三に、日神は十握剣を「食して」いるが、素戔嗚尊は五百箇の統(みすまる)の瓊を「含(ふふ)みて」といったまろやかな表現になっている。紀では前言があるから、ウケヒの記述に、サガミニカミテという表現は必ずしも必要なわけではない。紀の本文が記に近いのは、どのようにウケヒの条件要素を入れるかにおいて、折衷、混淆があって、前言を完全に省略するという先鋭的な記の作例に用いられた詞章表現を援用したからであると考えられる。
(注8)辻褄を合わせることで何とかこのウケヒ神話を解読しようとする試みは、他にも、毛利1992.、山田2001.にも見られる。
(引用文献)
青木2015.『青木周平著作集 上巻ー古事記の文学研究ー』おうふう、平成27年。
内田1988.内田賢徳「ウケヒの論理とその周辺」『萬葉』第128号、昭和63年2月。
折口1996.折口信夫全集刊行会編『折口信夫全集11』中央公論社、1996年(大正8年初出)。
金井2010.金井清一「古事記、天の安の河のウケヒ再考」万葉七曜会編『論集上代文学』第32号、笠間書院、2010年。
角川古語大辞典 中村幸彦・岡見正雄・阪倉篤義編『角川古語大辞典 第一巻』角川書店、昭和57年。
岸根2014.岸根敏幸「古事記神話と日本書紀神話の比較研究」『福岡大学人文論叢』第46巻第2号(通号第181号)、平成26年9月。
新編全集本古事記 山口佳紀・神野志隆光校注・訳『古事記』小学館、1997年。
菅野2002.『菅野雅雄著作集 第二巻ー古事記論叢Ⅱ説話ー』おうふう、平成16年。
大系本 坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注『日本書紀(1)』岩波書店(ワイド版岩波文庫)、2003年(1967年初出)。
土橋1988.土橋寛『日本古代の呪禱と説話―土橋寛論文集 下―』塙書房、平成元年。
中川2009.中川ゆかり『上代散文 その表現の試み』塙書房、2009年。
毛利1992.毛利正守「アマテラスとスサノヲの誓約」『記紀萬葉論叢』塙書房、平成4年。
山田2001.山田永『古事記スサノヲの研究』新典社、平成13年。