古事記・日本書紀・万葉集を読む(論文集)

ヤマトコトバについての学術情報リポジトリ 加藤良平

神武紀の「韴霊(ふつのみたま)」について

2019年06月20日 | 古事記・日本書紀・万葉集
 記紀には命名された刀剣類が見られる。「天沼矛(あめのぬほこ)」(記上)、「天之瓊矛(あまのぬほこ)」(神代紀第四段)、「草那芸之大刀(くさなぎのたち)」(記上)、「藂雲(むらくも)」(景行紀四十年是歳)、「十掬剣(とつかのつるぎ)」(記上)、「十握剣(とつかのつるぎ)」(神代紀第五段一書第六)などである。それとは別に、ある特徴を持ったものとして、「韴霊」(神武紀)、「布都御魂」(神武記)という刀があげられている。このフツノミタマという名称について、フツヌシとの関係で述べられることはあっても、どうしてフツと言うのかについて、突っ込んだ議論は行われていない(注1)。本稿では、「韴」という用字にかかる古代人の思いのめぐらせ方を中心に、その難題に立ち向かう。まず、神武記紀の該当箇所と、フツヌシという形で示される神代紀、記上の読み下し文を掲げる。

 時に武甕雷神(たけみかづちのかみ)、登(すなは)ち高倉(たかくらじ)に謂(かた)りて曰く、「予(わ)が剣、号けて韴霊(ふつのみたま)と曰ふ。〈韴霊、此には赴屠能瀰哆磨(ふつのみたま)と云ふ。〉今し汝が庫(くら)の裏(うち)に置かむ。取りて天孫(あめみま)に献れ」といふ。(神武前紀戊午年六月)
 故、天神御子(あまつかみのみこ)、其の横刀(たち)を獲し所由(ゆゑ)を問ひしに、高倉下(たかくらじ)が答へて曰ひしく、「己が夢に云はく、天照大神・高木神の二柱の神の命(みこと)を以て、建御雷神(たけみかづちのかみ)を召して詔(のりたま)はく、『葦原中国は、いたくさやぎてありなり。我が御子等、平らかならず坐(いま)すらし。其の葦原中国は、専ら汝が言向(ことむ)けたる国ぞ。故、汝建御雷神、降るべし』とのりたまふ。爾に答へて曰さく、『僕は降らずとも、専ら其の国を平らげし横刀(たち)有り。是の刀(たち)を降すべし。〈此の刀の名は、佐士布都神(さじふつのかみ)と云ふ。亦の名は甕布都神(みかふつのかみ)と云ふ。亦の名は布都御魂(ふつのみたま)と云ふ。此の刀は、石上神宮に坐すぞ。〉此の刀を降さむ状は、高倉下が倉の頂を穿ちて、其より墮(おと)し入れむ』とまをす。『故、あさめよく、汝、取り持ちて、天神御子に献れ。』といふ。故、夢の教の如く、旦に己が倉を見れば、信に横刀有り。故、是の横刀を以て献る」といひき。(神武記)
 遂に所帯(はか)せる十握剣(とつかのつるぎ)を抜きて、軻遇突智(かぐつち)を斬りて三段(みきだ)に為す。此れ各(おのもおのも)神と化成(な)る。復(また)剣の刃より垂(しただ)る血、是、天安河辺(あまのやすのかはら)に所在(あ)る五百箇磐石(いほついはむら)と為る。即ち此れ経津主神(ふつぬしのかみ)の祖(おや)なり。復剣の鍔(つみは)より垂る血、激越(そそ)きて神と為る。号けて甕速日神(みかはやひのかみ)と曰す。次に熯速日神(ひのはやひのかみ)。其(か)の甕速日神は、是れ武甕槌神(たけみかづちのかみ)の祖(おや)なり。(神代紀第五段一書第六)
 是の後に、高皇産霊尊、更に諸神を会(つど)へて、当に葦原中国に遣すべき者(ひと)を選ぶ。僉(みな)曰さく、「磐裂〈磐裂、此には以簸娑窶(いはさく)と云ふ。〉根裂神(いはさくねさくのかみ)の子(みこ)磐筒男(いはつつのを)・磐筒女(いはつつのめ)が生める子経津〈経津、此には賦都(ふつ)と云ふ。〉主神(ふつぬしのかみ)、是佳(よ)けむ」とまをす。時に、天石窟(あまのいはや)に住む神、稜威雄走神(いつのをはしりのかみ)の子甕速日神(みかのはやひのかみ)、甕速日神の子熯速日神(ひのはやひのかみ)、熯速日神の子武甕槌神(たけみかづちのかみ)有(ま)す。。此の神進みて曰さく、「豈唯経津主神のみ大夫(ますらを)にして、吾(やつかれ)は大夫にあらずや」とまをす。其の辞(ことば)気(いきざし)慷慨(はげ)し。故、以て即ち、経津主神に配(そ)へて、葦原中国を平(む)けしむ。(神代紀第九段本文)
 是に、伊耶那岐命、御佩(みは)かせる十拳剣を抜きて、其の子迦具土神の頸を斬りき。爾に其の御刀(みはかし)の前(さき)に著ける血、湯津石村に走り就きて、成れる神の名は、石拆神(いはさくのかみ)、次に根拆神(ねさくのかみ)、次に石筒之男神(いはつつのをのかみ)。〈三神(みはしらのかみ)。〉次に御刀の本に著ける血も亦、湯津石村に走り就きて、成れる神の名、甕速日神(みかはやひのかみ)。次に樋速日神(ひはやひのかみ)。次に建御雷之男神(たけみかづちのをのかみ)。亦の名は建布都神(たけふつのかみ)。亦の名は豊布都神(とよふつのかみ)。〈三神。〉。次に御刀の手上(たかみ)に集まれる血、手俣(たなまた)より漏(く)き出でて、成れる神の名は、闇淤加美神(くらおかみのかみ)。次に闇御津羽神(くらみつはのかみ)。(記上)

 現代の解説書を見ると、大系本日本書紀に、「フツヌシは、フツノミタマと関係があろう。……韴は、広韻に、雑と同音、徂合切、dzap の音、断声とある。従って、物を断つ際の、擬態語、ブツ、プツを表わした文字。それゆえ、フツヌシ・フツノミタマのフツは、そういう、物を断つ際の擬態語によって与えられた名とも考えられる。」(370頁)(注2)、新編全集本日本書紀に、「魔物を断ち切る霊剣の名。古本『玉篇』に「韴、断声也」。訓注のフツノミタマと対応させると、フツが断声(ふっつりと断ち切る擬声語)。」(①203頁)となっている。本居宣長・古事記伝では、「物の残(ノコリ)なく清く断(キ)れ離(ハナ)るゝ貌(サマ)を、布都(フツ)と云り、」(注3)と擬態語ととっている。擬声語と擬態語はこの場合、意味が大いに異なる。この「韴」部分は、諸本に異同がある。
(音偏に帀(サウ)、フォントにあり)霊〈霊此云赴屠能瀰多磨〉(熱田本、兼右本、北野本)
(音偏に巿(フツ)、市(シ)とは別字)霊〈霊此云布屠能弥多摩〉(三島本)
(音偏に巿(フツ)の右肩に点)灵〈霊此云赴屠能瀰多磨〉(穂久邇文庫本、玉屋本)
」(北野本、国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1142332(9/32)をトリミング)
」(三島本、三嶋本日本書紀影印刊行委員会編『三嶋本日本書紀 巻第三』国学院大学発行、昭和57年より)
」(玉屋本、東京国立博物館研究情報アーカイブズhttps://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/E0070809をトリミング)
 あまり見かけない字を駆使してフツノミタマのフツを表そうとしている。写本間の異同は書き写す際に間違えたために生じたものではなく、当初の撰上時に日本書紀の筆録者たちが、それぞれ思い思いに書き記して複数本仕上げた名残りを伝えているものと考えられる。中古や中世に作られ現在に残っている日本書紀の写本は、書かれている文字や内容について、検討して誤字を整頓して写していっているのではなく、理解しないままに書き写しているケースが確かめられている。しかも、といった微細な違いを書き分けられているところは、初めの人がそのように書いていたからそれを受け継いでいると考えるのが妥当であろうからである。古本玉篇にある「韴 才巿反、字書断声也。」という説明は、3字のうちの1字の、それも手掛かりを示しているにすぎない。
 3字とも音偏である。現代の研究では、剣にまつわって音で表しているから切れ味の音を擬音化しているとする説が優勢のようである。岩波古語辞典に、「ふつ ものを切断する音。」(1131頁)とある(注4)。これは疑ってかかる必要がある。「韴」字は漢語に断声であるとするが、音はサフである。漢土ではサッと切れる音を表しているというのか、それとも音声が途切れて静かになっていることを表している擬態語なのか。字の構成からすると、音が「帀」(注5)、つまり、めぐること、行って帰って来ることとなると、やまびこのように小さな音となり、さらに反響していくと無限に小さくなっていく。「断声」は「断つ声」ではなく「断ゆる声」である。音の途絶えた状態をサフと言っているらしい。静かにしておいて欲しいと言うとき、ソーっとしておいて欲しいと言う。それをヤマトコトバに「ふつ」と言っていると考えられる(注6)。プッツリと消息が途絶えた、などと使っている。
 漢土にサフという音を、ヤマトに訓みとして「ふつ」としている。少しく微妙な用字である。そして、「才巿反」の「巿」字は、「市(シ、いち)」とは別字の「巿(フツ)」字である。「巿(フツ)」声を生かせば済む話だから、音偏に巿と書いて造字したくなった人が本邦にいたようである。ここでという字が作られている。さらに右肩に点をつけた字は、異体字、俗字の部類かも知れない。「魁帥(ひとごのかみ)」(神武前紀戊午年八月)は、(北野本、国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1142332(11/32))とあって、「帥」の俗字とされている。すると、音偏に巿の右肩に点のある字()は、音偏に巾と書く字()の意と考えられる。つまり、音偏に帀、音偏に巿、音偏に巾とさまざまに書いている。深い考えがあって行われたものであろう。
 翻って「ふつ」という言葉(音声)で表そうとした義が、刃物と関係して音が途絶えているとするなら、すでに切れてしまっていることを示すためであったと理解される。四段活用の他動詞「切る」の已然形「切れ」、ないし、下二段活用の自動詞「切る」から起こった名詞「切れ」のことである。巿(フツ)はひざかけのこと、巾は布切れのことである。切れのことだからというので、“国字”を作ったと考えられる。説文に、「巿 韠也。上古、衣は前を蔽ふのみ。巿は以て之れを象る。天子は朱巿、諸侯は赤巿、大夫は葱衡、巾に从ふ。連帯の形を象る。凡そ巿の属は皆巿〈分勿切〉に从ふ。韍 篆文の巿は韋に从ひ、犮〈臣鉉等曰く、今俗に紱に作るは是に非ず〉に从ふ。」とある。また、巿字は𣎵(注7)に同じく草木の盛んなさまを表す。騒がしい意で、「葦原中国は、いたくさやぎてありなり。」(神武記)、「豊葦原千秋長五百秋水穂国(とよあしはらのちあきのながいほあきのみづほのくに)は、いたくさやぎて有りなり。」(記上)状態を討伐するのに、サハカシの巿をもって対処しようとしている。目には目を、歯には歯を的発想のあらわれである。
 「切れ」という語は、すでに切れてしまったものという意である。切断が完了している。すべて、すっかりを表す副詞に、「ふつに」、「ふつくに」といった語群がある。

 是の時に、海上(わたつみのうへ)に忽に人の声有り。乃ち驚きて求むるに、都(ふつ)に所見(あるかたち)無し。(神代紀第八段一書第六)
 吾田媛を殺し、悉(ふつく)に其の軍卒(いくさびと)を斬りつ。(崇神紀十年九月)
 頓首(をが)みて罪を受(うべな)ひて、尽(ふつく)に其の地(ところ)を献る。(景行紀五十六年八月)
 悉(ふつく)に御調(みつき)を捧げて、且(また)種々(くさぐさ)の楽器(うたまひのうつはもの)を張(そな)へて、難波より京(みやこ)に至(まうでいた)るまでに、或いは哭き泣(いさ)ち、或いは儛(ま)ひ歌ひ、遂に殯宮(もがりのみや)に参会(まゐつど)ふ。(允恭紀四十二年正月)
 朝(みかど)の廷(うち)、悉(ふつく)に異(あや)しがる。(敏達紀元年五月)
 故、今議(はかりこと)者(ひと)をして、朝廷(みかど)に仕へ奉る臣・連・二つの造(みやつこ)〈二つの造は、国造・伴造なり。〉下(しも)百姓(おほみたから)に及(いた)るまでに、悉(ふつく)に皆饒富(にへさ)にして、乏(とも)しみ無からしむべし。(敏達紀十二年是歳(「乏」字、前田本傍訓にタラヌとあるが、「饒富」と前にあれば実際に不足はなく、あり得るのは不足感だけである。「所乏」をミ語法で訓んだ。))
 軍(いくさ)合(こぞ)りて悉(ふつく)に皁衣(くろきぬ)を被(き)て、広瀬の勾原に馳猟(かりするまね)して散(あか)れぬ。(崇峻前紀用明二年七月)
是れ乃ち近く侍(さぶら)ふ諸(もろもろ)の女王(ひめおほきみ)及び采女(うねめ)達、悉(ふつく)に知れり。(舒明前紀)
 片思ひを 馬にふつまに 負(おほ)せ持て 越辺(こしべ)に遣(や)らば 人かたはむかも(万4081)

 白川1995.に、「ふつに〔都……・尽……〕 「ふつ」はすべて。下に打消しを伴うときは、「全く~ない」の意となる。「ふつくに」「ふつまに」の形もあり、みな「ふつ」を語根とする。「ことごとく」と同義。「ことごと」が和文系に用いられるのに対して、「ふつに」などは訓読語に多く用いられる。刃でものを切ることを「ふつに」と形容し、〔神武前紀〕に「韴霊(ふつのみたま)」という剣名がある。……剣でたち切る擬声語であるとみられ、「ふつに」はそれと同系の語であろう。」(662頁)とある。「ことごとく」とが、一つ一つ、一人一人に発して、すべて、全くの意に展開しているのと同様であるとするなら、「ふつ」という語を剣でたち切る音とするのには無理がある。たち切られて音がしなくなった状態を、すべて、全く、の意に捉えていると考えるべきであろう。打消しを伴う例が多いのも、この事情によると考えられる。
 フツノミタマの別名として、佐士布都神(さじふつのかみ)、甕布都神(みかふつのかみ)ともいうとある。今日までのところ、佐士布都神のサジの意は未詳、甕布都神のミカはミ(御)+イカ(厳)の約であるとされている。サジという語は、匙の意かと思われる。日本国語大辞典第二版に、「日本の「サジ」は、……茶の湯の普及以前から存在しており、「カヒ(匙)」に対して俗語的に常用されていた「サジ」が、ふさわしい漢字表記を獲得したのが、「茶匙」であるという可能性もある。」(⑥27頁)とある。サジとカヒとが同様のものであるとすると、古辞書の説明は興味深いものとなる。

 杓 市苦反、入、杯也、又疋約疋消二反、斗柄也、北斗星の斗の柄也、加比(かひ)、又保不利(ほふり)(新撰字鏡)
 匙 説文に云はく、匕〈早履反、賀比(かひ)〉は、飯を取る所以也。兼名苑に云はく、匕は一名、匙〈是支反、疵と同じ、又音提、唐韻に見ゆ〉といふ。(和名抄)
匙(金銅製、奈良時代、または唐時代、8世紀、法隆寺献納宝物N-82、東博展示品)
 匕は借訓仮名とされるが、カヒとサジとが同義とされるなら、サジフツという名称は刃物としてふさわしいものである。柄杓形の北斗七星のことをホフリと呼んでいるが、動詞のホフル(屠)は鳥獣の体を切り裂くことだから、やはり刃物のことと知れる。そして、杓子は、瓢箪の類を縦割りにして柄をつけたもので、ヒサコ(ヒサゴ)(ヒ・ゴ・コの甲乙不明)と呼んでいた。どうしてヒサゴと呼んでわかるかといえば、その凹んだ形が膝(ひざ、ヒは甲類)のお皿の骨の形にそっくりだからである。かくして、サジフツは、膝掛けの意の「巿(フツ)」を彷彿とさせるためにフツフツとダブらせた言い回しであると言えるのである。
 このような語形成の意図があったとすると、甕布都神(みかふつのかみ)も、武甕槌神(たけみかづちのかみ)(神代紀下)、建御雷神(たけみかづちのかみ)(記上)とのつながりからのみ判断されるべき言葉ではないかもしれない。甕(みか)は水や酒を入れて置く大きな瓫(かめ)のことである。口が狭くて腹の太った大きな容器を指す。その形は瓢箪に似ている。完形のまま中身を腐らせて乾燥させ、容器として用いていた。そんな丸いままのものも、ヒサコ(ヒサゴ)、また、ヒサ(瓢)と呼んでいた。完全なるヒサであり、完全にの意は、ふつに(都、悉)、ふつと(都・悉)のフツである。名義抄に、「(https://glyphwiki.org/wiki/n-gtwinppx_kanjishashin-009-111)(https://glyphwiki.org/wiki/zihai-001702))[永の異体字2字] 上通下正、于憬反、ナカシ、ナカウス、ツネニ、ヒタフル、フツニ、和ヤウ」とあり、時間的な意味合いを語義に加えたものである。永久にの意であるから、ヒサシ(久)に同じである。永久貯蔵を目的としたのが、甕(みか)であった。そして、フツツカ(不束)が太束、フツマニが太馬にの転であるかと考えられるように、腹の太いさまはフツと形容し得る。つまり、ミカフツは、ヒサ(永)なるヒサ(瓢)、つまりことごとくにすっかりすべてのことだから、完璧なるフツ(都・悉)をイメージさせていると言えるのである。たち切る際に一時的に起こる音声ではなく、静寂が広がっている状態を表している。擬態語である。
 以上、神武記のフツノミタマのフツについて検証した。

(注)
(注1)いくつか例をあげる。津田1963.に、「フツヌシの神といふ名は、古事記には何処にも見えず、……神武の巻にあるオホナムチの命の国ゆづりの話を聯想させる夢物語にも、タケミカツチの神ばかりが現はれてゐるのであつて、それは書紀でも同様であるから、これも後人の増補したものに違ひない。さうしてそれは、記紀の神武の巻にある如く、刀をフツノミタマ又はフツの神といふところから、古事記のカグツチの神の斬られる段に見えるやうに、先づタケミカツチの神の別名として、タケフツの神もしくはトヨフツの神といふ名が作られ、其の次に同じ段の書紀の注の「一書」に出てゐるやうに、独立の神となつてフツヌシの神となり、それがまた物語に現はれて、タケミカツチの神と協同してはたらくやうになつたのであらう。(書紀の此の段に見える此の神の系譜と注の「一書」に見えるそれとは、何れも刀もしくは血に縁がありながら、少しく一致しない点があるが、かういふことはさまざまに作り得られるので、タケミカツチの神の血統関係も、また書紀のここの記載と古事記及び注の「一書」の説とは違つてゐる。)」(508頁、漢字の旧字体と繰り返し記号は改めた。)とある。倉野1974.に、「フツを名に持つものは刀劔の神格化であるが、建御雷之男神が雷神であると同時に劔神であるとすれば、雷と劔との関係はどういふことになるであらうか。それは天つ日→雷→火→劔といふ関係になるのであつて、雷の運んだ火によつて劔が作られるところから雷と劔が密接に関係づけられてゐるのである。さうして劔光の閃めきは稲妻を聯想させるのである。」(225頁)とある。いずれもどうしてフツというのか、肝心のところに触れられていない。
 三品1971.に、「フツノ神鏡は、大神の「専ら我が御霊なり」とことよさし給えるがごとく、天神の霊(みたま)が降り憑ります霊形であり、一面光を表象した神器であって、この意味において、「真フツノ鏡」は「フツノミタマ」の霊剣と同一の本質を持つものであり、 この共通する本質から、共通する名称「フツ」の意味が解釈さるべきである。ここにおいて、フツは「光の降臨」という宗教的観念と不可分な関係にある言葉であらねばならないという確かな予測を持つことができる。そうして……朝鮮方面よりの金属文化—特に刀剣と鑑鏡をもってその代表とする—の輸入と、「フツノミタマ」の別名蛇ノ韓鋤ノ剣の韓を顧慮するとき、「フツ」「フル」の同系語として、韓語の불 pur(火)・붉 purk(赤・赫)밝 park(明)—借字として古く発・伐・弗などが用いられている—を想起せざるを得ない。」(269頁)(補注1)とある。しかし、朝鮮語由来説に、白川1995.は否定的である。
 さらに中村2000.に至っては、「古代の剣(刀)には、武器もしくは武器的機能のほかに、儀礼的機能・咒術的機能・宗教的機能があると言えそうである。……「十拳釼(とつかつるぎ)を「後手(しりへで)」に振りつ振りつして逃げてきた。武器ならば相手を前面に置くべく、「後手」はありえない。したがってこれは咒術的機能として捉えられる。」(156~157頁)とある。しかし、例えば熊を相手に逃げるとき、熊の方は顧みる余裕もなく刃物を後ろ手に振り回しながら一目散に駆けて行かないだろうか。例えば、花瓶があるとして、それは花を生ける機能のほかに、小銭をためて置く機能もあれば、後頭部を殴打して人を殺す機能もあるし、ガラスケースに入れた状態で鑑賞する機能もある。それは時代の今昔にかかわらない。しかし、もともと花瓶は花を生けるために想念されて作られたものであることに変わりはない。
(注2)大系本日本書紀は、(注1)の三品彰英と津田左右吉の説も紹介している。
(注3)本居宣長・古事記伝に、「○布都御魂(フツノミタマ)、書紀に韴霊と書て、此ヲ云赴屠能瀰哆磨(フツノミタマ)トとあり、韴ノ字、広韻玉篇などに、断声(タユルコヱ)と注せる意を以て、用ひられたるなるべし、今の世の言にも、物の残(ノコリ)なく清く断(キ)れ離(ハナ)るゝ貌(サマ)を、布都(フツ)と云り、【布都理(プッツリ)など云り、狭衣にふつと見はなつともあり、】然れば此剣の利(トク)して、物を清く断離(キリハナ)つ意を以称(タタ)へつる御名なるべし、【上巻に見えたる建布都ノ神豊布都ノ神、又此(ココ)の佐士布都甕布都、又書紀の経津主(フツヌシ)ノ神などの布都、みな一つなり、】神名式ニ、備前ノ国赤坂ノ郡石上(イソノカミ)布都之(ノ)魂(ミタマ)ノ神社、【此ノ神社のことは、伝九の三十四葉にいへり、】阿波ノ国阿波ノ郡建布都ノ神社、壱岐ノ嶋石田ノ郡物部(モノノベ)布都ノ神社などいふも見ゆ、」(漢字の旧字体は改めた。)とある。
(注4)時代別国語大辞典上代編に、「ふつに[臨](副)ぶっつりと。ずばりと。刀剣類で物を切る音を表わす。フツは擬声語。「建借間命令騎士ヲシテ閇レ堡ヲキ、自後襲撃、尽ニ囚種属、一時焚滅、此時痛ク殺スト所ハ言、今謂伊多久(イタク)之郷、臨(ふつに)斬(キレ)所言、今謂布都奈(フツナ)之村」(常陸風土記行方郡)【考】地名「布都奈」から「臨斬」の訓み方をフツニキルと推定でき、フツニという副詞が抽出される。「臨」の字 (版本「段」に作る)は、通常上から下への動きを表わすが、「伐」の意もあるので、激しく剣を振り下ろすことの表記に用いたものであろう。ことごとくの意の次項フツニもこれから転じたものかと思われる。武甕雷神の異名がフツを含み(記神代に「建御雷之男神、亦名建布都(フツ)神、亦名豊布都(フツ)神」)、刀剣の名がフツを持つ(神武前紀に「予剣号曰韴霊(フツノミタマ)〈赴屠能瀰哆磨(フツノミタマ)〉」)のは、よく物を切断し、その勢いが鋭いことによるものであろう。」(637頁)とある。副詞フツニを擬声語由来とすることに無理がある点は、本文に述べている。
(注5)説文に、「帀 周也。反之に从ひて帀也。凡そ帀の属、皆帀に从ふ。周盛説。」とある。
(注6)(注4)の時代別国語大辞典上代編にあげられている用例、常陸風土記行方郡の「臨(ふつ)に斬ると言へるは、今、布都奈(ふつな)の村と謂ひ、」の部分、大系本風土記に、「「臨」は上より下へ向ってする意で(万葉集の臨照(オシテル)の臨に同じ)、剣をふりおろす故に斬の形容としてフツニキルの語にあてたもの。」(61頁頭注)、新編全集本風土記に、「刀剣で斬りおろす時の擬態語か。ぷっつりと。ばっさりと。「臨」は、伐(う)つ意。」(385頁頭注)とある。擬声語ではなく擬態語とする説は正しいと考える。日葡辞書に、「Futçuto.フツト(ふつと) 副詞.根もとからばっさりと切るさま,または,きっぱりと返答するさま.」(286頁)とある。みな擬態語説である。
(注7)説文に、「𣎵 草木の盛んなるは𣎵𣎵然なり。象形。八の声、読みて輩の若し。」とある。
(補注1)三品1971.には、「[朝鮮語の]フル・フツの原義が……「光るもの、赤きもの―神霊」「神霊の降臨すること」などを意味したとすれば、わが「フツノミタマ」「真フツ鏡」の名義も容易に理解するを得べく、すなわち前者は天神タケミカツチノ神の降臨する神体であり、後者は日の神の降臨を迎える霊形であって、ともにその光ることによって神威の発動が観想されており、その点においてこそ等しく共通にフツと呼ばれたのである。」(275~276頁)とある。
 世界的に普遍的なものの考え方が人類にはあり、そして、フツという言葉を神霊のもとに帰することを前提にしているようである。朝鮮半島で仮に、ヤマトの人にフツと聞こえるような音の言葉が神霊の降臨とかかわりがあるとしても、ヤマトに降臨する神は朝鮮半島の神、「他神(あたしかみ)」ではないと考える。何のために天照大神はじめたくさんのヤマト固有の神々を創りあげているのか、とても整合性がとれるものではない。
 「真経津鏡(まふつのかがみ)」とは、「……中枝(なかつえ)には八咫鏡(やあたのかがみ)〈一に云はく、真経津鏡〉(神代紀第七段本文)を懸け、……」(神代紀第七段本文)と注されるものである。大きくてきれいに磨かれた鏡のことを言っているものであろう。鏡の本願は、映すことにある。大きくないと全体が入らず、きれいに磨かれていないとぼやけたり歪んだりする。求められているのは、映すことである。マフツノカガミと聞けば、マ(真)、つまり、まことに本当に、フツであるカガミ(鏡)とわかる。上述のフツノミタマにあったように、フツは静寂が広がっている状態を指す擬態語である。鏡のような水面とは、無風状態の湖面などのことである。ウユニ塩湖の水面に映る写真はインスタ映えしている。よって、鏡にフツという静寂を表す形容語が冠されているのである。

(引用文献)
岩波古語辞典 大野晋・佐竹昭広・前田金五郎編『岩波古語辞典』岩波書店、1974年。
倉野1974.倉野憲司『古事記全註釈 第二巻 上巻篇(上)』三省堂、昭和49年。
白川1995.白川静『字訓 普及版』平凡社、1995年。
新編全集本古事記 山口佳紀・神野志隆光校注・訳『新編日本古典文学全集1 古事記』小学館、1997年。
新編全集本風土記 植垣節也校注・訳『新編日本古典文学全集5 風土記』小学館、1997年。
大系本日本書紀 坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注『日本書紀(一)』岩波書店(ワイド版岩波文庫)、2003年。
大系本風土記 秋本吉郎校注『日本古典文学大系2 風土記』岩波書店、昭和33年。
津田1963.津田左右吉『津田左右吉全集 第一巻 日本古典の研究 上』岩波書店、昭和38年。
中村2000.中村啓信『古事記の本性』おうふう、平成12年。
日葡辞書 土井忠生・森田武・長南実編訳『邦訳日葡辞書』岩波書店、1980年。
日本国語大辞典第二版 『日本国語大辞典 第二版』第六巻、小学館、2001年。
三品1971.三品彰英『三品彰英論文集 第二巻 建国神話の諸問題』平凡社、昭和46年。

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