ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト

NGO ひろしま市民によるカザフスタン共和国旧ソ連核実験場周辺住民(核被害者)への支援・交流

9月19日報告会の報道

2011-09-20 09:10:48 | Weblog

9月19日報告会の報道
(1)RCC 中国放送テレビ
http://news.rcc.jp/?i=MTU5NDc=&#a
旧ソ連の核実験場があったカザフスタンのセミパラチンスクを訪問した市民グループが、報告会を開きました。
 参加者は核被害の実態を報告し脱原発を訴えました。
報告会を開いたのは、セミパラチンスクの被ばく者支援など現地との交流を続けている市民グループです。
 平岡敬元広島市長が基調講演で「われわれは広島・長崎の体験を生かした国づくりができなかった。今こそ現実を受け止め原発に依存しない社会を作っていくことが重要だ」と述べました。
 「核兵器と原発は根っこは一緒、私たちは福島の子どもの未来にもっと手を差し伸べないといない」(平岡敬元広島市長)
 この後、訪問団に加わった大学生が現地で専門家や被ばく者から聞き取りした内容を報告。旧ソ連時代に核実験の情報公開がなかったため被害が広がった実態や住民が今も後遺症に苦しんでいる現状に衝撃を受けたと話しました。
 「カザフで悲劇があったにもかかわらず、原発を作った。福島での事故も含め、核をなくしていくべきだと思う」(参加した学生)(9/19 19:09)【写真中】

http://news.rcc.jp/?i=MTU5MzA=&#a
 旧ソ連の核実験場があったカザフスタンとの交流を、広島市の市民団体などが続けています。
 被ばく者支援などを目的に毎年訪問団を派遣していますが、最近は若い世代も参加して、被爆地として連携を深めています。
 福島の原発事故が起きたことし、遠く離れた同じ被ばく地で何を感じたのか―。ことしの訪問団に参加した広島の大学生に聞きました。(9/16 19:36)【写真左】

(2)TSS 新広島テレビ
http://www.news.tss-tv.co.jp/news_html/1109190110.html
2011年 9月 19日(月)
セミパラチンスク訪問学生が報告会
旧ソ連の核実験場があったカザフスタン共和国のセミパラチンスクを訪ねた学生たちが報告会を開き、現地で目の当たりにした被ばく後の実態を語りました。会の冒頭、元広島市長の平岡敬さんが基調講演を行い、福島第1原発事故について「正しい情報から正しい対策を立てることが大切」と情報公開の重要性を訴えました。続いて、大学生たちがおよそ470回の核実験が繰り返されたセミパラチンスクの現状について「『カザフスタンの人々は強いです、頑張っています』という言葉を聞きました。そこから核実験が行われている時、そこに住む人々がどれほど我慢を強いられてきたのかを想像させられました」などと報告しました。病院で医療支援の状況を見学し、被ばく体験の聞き取りをした学生は「本当に私たちが耳を傾けるべきなのは、こういった被害に遭われて支援を受ける側の人たちの声だと思うので、そういった声が聞けたというのが今回すごくよかったと思います」と話していて、核廃絶への想いを新たにしたようでした。

(3)中国新聞社 地域ニュース
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201109200016.html
セミパラでの平和活動報告
 旧ソ連最大の核実験場があったカザフスタン・セミパラチンスクで8月に平和活動をした市民団体「CANVaS」の帰国報告会が19日、広島市中区の原爆資料館であった。参加した学生は、現地の農村部では被曝(ひばく)者の医療体制が十分でないとし、支援の必要性を訴えた。
 日本大国際関係学部(静岡県三島市)の学生4人が登壇。農村部ほど、被曝者向けの医薬品や医療機器が不足していると報告し、物資や医療技術の継続支援を呼び掛けた。
 また、福島第1原発事故について現地の関心が高かったとして「被爆国の日本がどのように事故に対峙(たいじ)するのか世界が注目している」と話した。
 報告会は、市民団体ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクトなどが主催し、市民や学生約80人が参加した。【写真説明】カザフスタンでの平和活動について報告する大学生たち
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“ザマナイ~時代よ!~”の歌に出会って

2011-09-20 08:07:53 | Weblog
“ザマナイ~時代よ!~”の歌に出会って
                            2011年9月 福田美知子
 ちょうど昨年の今頃のことでした。(2010年晩夏)ラジオから流れてくる歌。なんだかとても重たくて心の底を揺さぶるような・・・。歌っている人の名前も、歌の背景も、そして、聴いたはずの歌の題名も覚えられなかったので、探しようもなく時間が経ちました。
 その年の晩秋、親しくしている方のご紹介で知り会った写真家の石河さんとの歓談中、なんと、この歌のことが話題になったのです。「ザマナイ~時代よ!~」一そう、「ザマナイ」という題名だったんだ・・.
心の廣の廣に眠っていたあの歌が一気によみがえってきました。「ちょうど持っているから」と頂いたCD発売のパンフレットに、CDは平和記念資料館で販売していると書いてあったので翌日求めにいきました。今思うと、本当に不思議昼出会いでした。
 歌を聴き、そして、インターネットで歌の背景を調べるうちに、過去に旧ソ連によって秘密裏にセミパラチンスクで行われた450回以上の数の核実験のこと、ヒロシマ・才ガサキ以外のたくさんのヒバクシャの存在、「ザマナイ」の歌が核実験場閉鎖を求める市民運動のよりどころとなって現在があること、などを初めて知りました。知ったときの驚き!それまでわたしは、セミパラチンスクのことを知りませんでした。他の人にも知ってほしい、と思いました。わたしが、最初にこの歌を聴いたとき興味を抱いたように、この歌を聴いた人たちが関心を持ってくれたらと思うようになりました。
 5年位前に「想いを風に」という歌に出会って「平和を願うこの歌を歌いたい」と無課にも合唱団を立ち上げたときと同じ気持ちがして、「ザマナイ」を合唱で歌いたいと強く望みました。しかしこのときはまだ、望めば歌える、としか書えていませんでした。
 いろいろ悩んだ末、今年に入って、まず、「ザマナイ」に関して大本であるヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクトの小畠さんに連絡しました。「合唱で歌ってもいいですか?」と。「いいですよ。」と言われて喜んだのですが、「楽譜はありません。」とのこと。え~っ??楽譜がないの?それでは「採譜してもいいですか?」rいいですよ。」と許司していただきましたが、採譜を頼める人がいるかしら??困って、パーチェの指導者の竹本先生に相談しました。「心当たりがある。」と彼女の先生の熊谷ゆかりさんにすぐ連絡を取ってくださったら、なんと「即OK」とのお返事!
 熊谷先生ががんばってくださったお陰で、予定よりずっと早く出采上がりました。2部合唱譜と伴奏譜が手元に届いたときの嬉しさ。ただ、みんなに手渡すのに、手書きのままではなくて、きちんとした楽譜にしたいのだけど、どうすればいいかわからなくて、大阪のピアニストの山田紗耶加さんに問い合わゼだところ、なんと、「わたしがやってあげるよ」と言ってくださいました。忙しいのに申し訳ないなと思いながらもご厚意に甘えることにしました。紗耶加さんもまたがんばってくださって、数日うちには、手元に立立派な楽譜が届きました。完成した楽譜を見て、わたしはなんと恵まれているんだろう、と不思議な気持ちでした。
 小畠さんが動いてくださって、著作権の問題もクリアして、楽譜も配ってもいいとのことになり、多くの方々の善意で、歌える環境が整いました。さあ、あとは、合唱団パーチェが歌うことで、「ザマナイ」の歌やその背景を、いかに多くの人たちに伝えていくか、です。
 合唱団パーチェは、「歌うことで活動」をしてきましたが、7月31日には、平和公園慰霊碑前で行なわれる、「平和の灯の集い」で、「ザマナイ~時代よ!~」を歌わせていただく機会にも恵まれました。
もっと多くの方々にこの歌を聴いていただいて、そして、この歌の持つ背景を知っていただけたら活動の意味がさらに増すでしょう。
「歌のカ」って、すごいものがあると思います。偶然ラジオで聴いたことから発した「ザマナイ」という歌との出会いから、実際に歌えることに蔵るまでの数ヶ月間。いろいろな出会いがあり、幸運があり、多くの方の善意に支えられてここまで来られたこと、ついに念願かなって合唱団パーチェで歌えたことに、心から感謝し感動していまず。
「想いをつたえるコンサート」に釆て聴いてくださった多くのみなさま、快く出演してくださったみなさま、裏方でがんばってくださったみなさま、本当にありがとうございました!!
      「想いをつたえるコンサート実行委員会」事務局
      「合唱団パーチェ」代表 福田美知子


”ヒロシマと東北をつなぐ” 小さな交流会
 3月11日に起こった東8本大震災から、半年が経ちました。
ガレキも少しずつ片付けられ、家をなくした方々も仮設住宅などに入居し、被災地は一見落ち着いてきたように見えます。復興をめざし、多くの方々が、今目も前を向いて精一杯生きています。ですが反面、被災当初の困難とは形を変えた様々な問題や課題が山積しているのも事実です。
 今回、いろいろな用を兼ねて、岩手県釜石市で被災された宝来館女将岩崎昭子さんと、わたくし、子どもの本の作家・指田和が、ヒロシマヘ出かけることになりました。(もし、ヒロシマの方々と、東北で被災された方との小さな心の交流ができたら、どんなにいいだろう)......わたしの小さな思いを、ヒロシマの大切な知人・友人が叶えてくれました。
平日の夕方ということもあり、お忙しい方も多いと存じますが、もしお時間がありましたら、会場まで足を運んでいただければ幸いです。
           ヒロシマと東北が心でつながることを願って。2011、9月 指田 和
◆日時 2011年10月4日(火)午後6時半~8時
◆会場(下記)は午後6時から開場(会費は無料)
 被災地の写真や絵本の原画などをこ覧になれます。
◆場所広島市中区地域福祉センター:5階大会議室1
 広島市中区大手町四丁目1番1号 大手町平和ビル(市役所前)
◆交流会の内容
 被災地の写真や臓の紹介。宝来館女将さんのお話
 交流/平和の音色(コーラス)
問い合わせ te1 090-6430-8110(福田美知子)
         090-5440-5346(指田 和)
 参加していただいたみなさんが気軽に声をかけあい、交流を深められるような会になればと思っています。
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