父と母の結婚生活
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父と母は水と油
幸せなんてあっただろうか。
些細なことで一方的に怒る父
それに立ち向かい喧嘩を買う母
幼い私にはそういう構図に見えて
父の繊細さや苦悩が見えずにいた。
母は父が理想の夫ではないことに見切りをつけていたし、父の優しさを受け付けなかった。
結婚してはいけない2人が結婚し
兄と私が生まれたとしか思えない。
父が母に悪く言う度
母が父の愚痴を私たちに言う度
私は大好きな人を悪く言われて傷ついていました。
それでも私が仲を取り持てば幸せな時もあるはず。
そうやって、父と母が離婚しないように見張っていました。
誤魔化していた日々の末、父のアルコール依存症が増してしまい、父が母にはじめて手をあげてしまいました…
私は早く離婚をさせてあげればよかったと後悔しました。
まずは、アルコールを断たせて
父の残りの人生は父に責任をもってすごしてもらおうと思いましたが…
アルコールが抜けた父はひどい認知症だったということがわかったのです。
あれだけ父に苦労をした母は、
父が認知症だと知ると毎日泣いて
父を精神病院から退院させて私(母)が面倒を看ると言っていました。
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父と母は水と油
そう思い込んでいた私ですが
離れて暮らす2人をみていると
案外幸せな日々もあって
そんな日々がまだ2人を繋ぎ止めているのかもしれないと思うようになりました。
救急病院に運ばれた日も、
父は母に「死にそう」と言いましたが、
母は父に「大丈夫 死なへん。こんなんで死なへんから。」と言いました。
すると父は苦しみながらも頷いていました。
また右手の手のひらを母の前に出して
「お金くれ」とジェスチャーをし、
母はその手のひらを上から叩いて、
2人で笑っていました。
昨日の面会時も、父は母のことを真っ直ぐみて安心していました。
帰り間際に母が父の車椅子を押して
真っ白になった父の髪の毛を触っていました。
こんな時に
こんなところに
幸せはやってくるんだと思いましたが
だったらお父さんが元気なときに幸せがほしかったと思ってしまいました。
病院からの帰り道、
「お父さんのこと、見捨てられへんねん。
最後までみてあげなあかんねん。
身内兄弟みんな縁を切ってるから、1人はかわいそうやろ」
と母が言っていました。
施設に入ることになっても沢山会いにいってお父さんは1人じゃないって思えるようにしてあげないとねって話をしました。
漠然とした不安はいつどんな時も側にあります。
でも結局、なるようになっていくのを見守るだけなのでしょう。
夜、オトと散歩をしました。
「今日 じーちゃんとこ行っててん。
じーちゃん なんやかんやでばーちゃん来たら安心してたわ。」
そうオトに伝えると
「よかったやん。長年一緒にいてるから安心するんやな。」と言ってくれました。
「でも、ちょっとしか続かんで。
長いこと一緒にいるとまた喧嘩とかしそうやわ。」と私
「じゃあ、これからも会うのはちょっとだけにしたら?」とオト
「そんなんでええの?」と私
「ちょっとずつが積み重なればいいんちゃう。」とオト
「なるほどね。
点と点が集まれば線になるみたいな?
それってめっちゃ目を細めて遠くから見ないと線にならないんじゃない(笑)?」
そう私が言って
2人で笑いながら夜の散歩をしました。