自分の意思で自分の人生を生きているか

2022-01-15 15:22:07 | 日記
私は私の人生を送れているだろうか



自分の人生を誰かのせいにしてなかっただろうか…



親と子どもとの真ん中に私

父を見て

あんな風になってはいけない
反面教師だ
そう思って生きてきた

子どもに

あんな大人にならないようにと
『もっと積極的に』『もっと自分から』
『嫌なことも受け入れて』

『人を恨まず人のいいところを見つけて』

そう理想を植え付けます


その真ん中で私は、
だんだんと父に似てきてきます。


子育てをしながらだんだんと父を知る。

『思い通りにならないと怒る』には
『わかってくれなないから真剣に伝える』感情が含まれていて、
一方的なモラハラだと思っていた中には
愛情があるものもあったんだ…
どうしてわかってくれないんだろう、上手くいかないんだろうと子育てにイライラし、怒ってばかりの日々。

そんな怒ってばかりの私はモラハラな『父』そのものではないか。

耳を患ってからは、特に自分の感情には正直になっていく…

めまいが起きるくらないなら、自分の想いを正直に表して、『優しいママにならなくてもいい』と自分を正当化させていたんです…。



ある日

娘は学校に行けなくなりました。


そんな時、
『こんな大人にはなってはいけない』のと
『こんな大人になってほしい』の
フィルムを通してしか我が子を見ていなかった私は

“娘が変わってしまった”


と、そう思ったのでした。



母子関係が不登校の全てではないし、
私の愛情が不足していたわけじゃない。

むしろ、私からの愛情は深かったと思います。

だけど、オトが求めていた愛情では無かったのかもしれない。

愛情はオトの苦手を克服させることに集中し、オトがどうしたいかを見ていないものでした。

そして 苦手を克服するために必要なことに
親の力は必要ないということに気づいていなかった私です。


苦手にぶつかり

落ち込み

動けなくなり

そして自分なりにまた動く


それは誰も代われないし手助けしてはいけないことでした。

私が死んでしまっても
続いていく娘の人生は、娘の力で立ち上がり進んでいかなくてはいけませんから。




今、1番大切な『動けない』時期を過ごしているオト。


動けない時間は自分自身で立ち直る時間だと考え直します。

ママは何度もオトの立ち直る時間を奪っていました。

今度は奪ってはいけない。

オトの人生をオトが歩めるように。






















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