☆ 今日は2016年2月21日(日) 日刊新聞創刊の日 ☆
☆ 1872(明治5)年の今日、日本初の日刊新聞「東京日日新聞」(現在の毎日新聞)が創刊された。創刊号は和紙の片面刷りで、1部、1銭4厘とかなり高価なものだった。近代新聞はドイツで17世紀から始まったとされているが、その頃の日本は、事件が起こった時「瓦版」と呼ばれるビラが発行されているだけだった。日本国内のニュースが新聞にされたのは、明治に入ってからといわれている。
日本初の日刊新聞は1870(明治3)の『横浜毎日新聞』であるが他社に吸収されているため、現存する中では最古とされている。ただし、毎日新聞は自身のことを「東京で最初の日刊紙」と表現している。 ☆
☆ お早うございます、今日もお立ち寄りありがとうございます。 ☆
☆☆ 2016年 2月21日 松下幸之助 一日一話
人事を尽して天命を待つ
「人事を尽して天命を待つ」ということわざがある。これは全く至言で、私はいまも自分に時どきその言葉を言い聞かせている。日常いろいろめんどうな問題が起きる。だから迷いも起きるし、悲観もする。仕事にも力が入らないことがある。これは人間である以上避けられない。しかしそのとき私は、自分は是と信じてやっているのだから、あとは天命を待とう、成果は人に決めてもらおう……こういう考え方でやっている。
小さな人間の知恵でいくら考えてみても、どうにもならぬ問題がたくさんありすぎる。だから迷うのは当たり前である。そこに私は一つの諦観が必要だと思うのである。 ☆☆
☆☆☆ 【コラム】 筆洗
2016年2月20日 東京新聞 TOKYO WEB
▼作家の津島佑子さんは、いまどきの東京では珍しい井戸のある家に住んでいたという。母の美知子さんが井戸に執着し続けたからだ
▼井戸さえあれば、土の底から湧き出る水が、失った時間を取り戻してくれる。そこで母は、亡き人々の声に耳を傾けていたのではないか。そんな想像をしつつ、津島さんは時折、井戸の水に手を浸していたという(書簡集『山のある家 井戸のある家』)
▼津島さんには、十五歳で逝ったダウン症の兄がいた。言葉を十分に操れなかった兄といるとき、「世界は魔法に充ち満ちているように」感じられたという
▼言葉や時間、場所の感覚に縛られないからこそ見える世界を示してくれた兄。家族の中では、暗くて重い「秘密」だった父・太宰治。早くに逝ってしまった息子…。津島さんにとって井戸は、生と死に思いをはせ、言葉をくみ出すための特別な場所だったのだろう
▼小説の象徴的な舞台装置として井戸を繰り返し使った村上春樹さんは「井戸が示しているのは、たとえとても深い穴の中に落ちてしまったとしても、全力を振り絞って臨めば堅い壁を通り抜け、再び光のもとに帰れるということ」と語っている。小説を書くこと自体、「井戸」を掘り進んで壁を越え、ほかの人とつながることだと
▼おととい六十八歳で逝った津島さんがのこした作品を読めば、そんな井戸をのぞけるはずだ。 ☆☆☆
☆☆☆☆ 今日の雑記
今朝はくもり空ですが、午後からは晴れるみたいです。
昨日は、朝から雨でした。朝買い物に出ましたが少し寒かったです。
色々整理していますが中々進まないです。
狭い部屋がいろんなもので溢れてきました。紙類が増えてきました。
すぐに捨てられない自分です。
今朝も目覚ましていただき感謝です。
今日も皆様にとって良い一日でありますように、心穏やかにして元気に過ごしましょう。 ☆☆☆☆
☆ 1872(明治5)年の今日、日本初の日刊新聞「東京日日新聞」(現在の毎日新聞)が創刊された。創刊号は和紙の片面刷りで、1部、1銭4厘とかなり高価なものだった。近代新聞はドイツで17世紀から始まったとされているが、その頃の日本は、事件が起こった時「瓦版」と呼ばれるビラが発行されているだけだった。日本国内のニュースが新聞にされたのは、明治に入ってからといわれている。
日本初の日刊新聞は1870(明治3)の『横浜毎日新聞』であるが他社に吸収されているため、現存する中では最古とされている。ただし、毎日新聞は自身のことを「東京で最初の日刊紙」と表現している。 ☆
☆ お早うございます、今日もお立ち寄りありがとうございます。 ☆
☆☆ 2016年 2月21日 松下幸之助 一日一話
人事を尽して天命を待つ
「人事を尽して天命を待つ」ということわざがある。これは全く至言で、私はいまも自分に時どきその言葉を言い聞かせている。日常いろいろめんどうな問題が起きる。だから迷いも起きるし、悲観もする。仕事にも力が入らないことがある。これは人間である以上避けられない。しかしそのとき私は、自分は是と信じてやっているのだから、あとは天命を待とう、成果は人に決めてもらおう……こういう考え方でやっている。
小さな人間の知恵でいくら考えてみても、どうにもならぬ問題がたくさんありすぎる。だから迷うのは当たり前である。そこに私は一つの諦観が必要だと思うのである。 ☆☆
☆☆☆ 【コラム】 筆洗
2016年2月20日 東京新聞 TOKYO WEB
▼作家の津島佑子さんは、いまどきの東京では珍しい井戸のある家に住んでいたという。母の美知子さんが井戸に執着し続けたからだ
▼井戸さえあれば、土の底から湧き出る水が、失った時間を取り戻してくれる。そこで母は、亡き人々の声に耳を傾けていたのではないか。そんな想像をしつつ、津島さんは時折、井戸の水に手を浸していたという(書簡集『山のある家 井戸のある家』)
▼津島さんには、十五歳で逝ったダウン症の兄がいた。言葉を十分に操れなかった兄といるとき、「世界は魔法に充ち満ちているように」感じられたという
▼言葉や時間、場所の感覚に縛られないからこそ見える世界を示してくれた兄。家族の中では、暗くて重い「秘密」だった父・太宰治。早くに逝ってしまった息子…。津島さんにとって井戸は、生と死に思いをはせ、言葉をくみ出すための特別な場所だったのだろう
▼小説の象徴的な舞台装置として井戸を繰り返し使った村上春樹さんは「井戸が示しているのは、たとえとても深い穴の中に落ちてしまったとしても、全力を振り絞って臨めば堅い壁を通り抜け、再び光のもとに帰れるということ」と語っている。小説を書くこと自体、「井戸」を掘り進んで壁を越え、ほかの人とつながることだと
▼おととい六十八歳で逝った津島さんがのこした作品を読めば、そんな井戸をのぞけるはずだ。 ☆☆☆
☆☆☆☆ 今日の雑記
今朝はくもり空ですが、午後からは晴れるみたいです。
昨日は、朝から雨でした。朝買い物に出ましたが少し寒かったです。
色々整理していますが中々進まないです。
狭い部屋がいろんなもので溢れてきました。紙類が増えてきました。
すぐに捨てられない自分です。
今朝も目覚ましていただき感謝です。
今日も皆様にとって良い一日でありますように、心穏やかにして元気に過ごしましょう。 ☆☆☆☆