新聞を読んで

いろんな、新聞を読んで感じたことを書いて見たいと思います。

今日のコラム

2013-11-30 06:21:10 | 日記


☆ お早うございます、今日もお立ち寄りありがとうございます ☆

11月30日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

精神大国をめざして

 今日、わが国は経済大国と言われるまでになりましたが、人びとの心の面、精神面を高めるということについては、とかくなおざりにされがちだったように思います。これからは経済面の充実とあわせて、お互い国民の道義道徳心、良識を高め、明るく生き生きと日々の仕事に蹄みつつ、自他ともに生かしあう共同生活をつくりあげていく。あわせて日本だけでなく海外の人びと、ひいては人類相互のための奉仕、貢献ができる豊かな精神に根ざした国家国民の姿を築きあげていく。そのような精神大国、道徳大国とでも呼べる方向をめざして進むことが、今日、国内的にも対外的にも、きわめて肝要ではないかと思うのです。


【コラム】筆洗

2013年11月29日東京新聞TOKYOWeb

▼本名とペンネーム。二つの名を使い分ける人は数多(あまた)いるが、その二つの名前がいずれも抜群の存在感を放つ人はまれだろう。「無印良品」などで日本の消費文化に新風を吹き込んだ経営者・堤清二。小説や詩で活躍した辻井喬

▼二つ顔を持つこの人はある時、たまたま会った財界の大物に誘われ、用件も知らぬまま新聞社の幹部に会いに行く。その新聞は、米国による北ベトナム空爆を批判する社説を載せていた。財界人らは偏向報道だと非難し、圧力をかけた。「このままでは、広告出稿ができなくなる」と

▼堤さんは用件も聞かずに同行した軽率さを悔やみつつ言った。「僕はあの社説は偏向しているとは思いません。北爆を続けてもアメリカは国際的に孤立するだけで、勝つことはできないと思います」

▼日々、実利を追う経営者の世界と、精神性を大切にする芸術家の世界。堤さんは回顧録『叙情と闘争』(中央公論新社)で記している。この二つの世界の<音信不通と言ってもいい断絶>こそは自分が直面し続けた断絶であり、堤清二と辻井喬の分裂でもあると

▼その葛藤の末たどり着いたのは、どんな世界だったのか。回顧録はこんな詩で結ばれている。<もの総(すべ)て/変りゆく/音もなく/思索せよ/旅に出よ/ただ一人/鈴あらば/鈴鳴らせ/りん凜(りん)と>

▼凜とした響きを残しつつ、堤さんは人生の幕を閉じた。


☆ 今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆


11月29日(金)のつぶやき

2013-11-30 03:00:12 | 日記

ユナイテッドピープル基金 協賛企業の東日本大震災 緊急支援クリック募金 clickbokin.ekokoro.jp/139.html @ekokoroさんから


ブログを更新しました。 『今日のコラム』 amba.to/1aa5Hgz



今日のコラム

2013-11-29 06:18:34 | 日記

☆ お早うございます、今日もお立ち寄りありがとうございます ☆

11月29日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

値引く以上のサービスを

 商人は、自分の信念なり事業観に基づいて適正利潤というものを確保し、顧客を大事にしつつ商人としての社会的責任を果たしていくことが肝要で、それが社会共通の繁栄に結びつく望ましい姿だと思います。

 そして、そうした望ましい商売をしていくためには適当にかけ引きをして値段をまけるというのではなく、最初から十分勉強した適正な値段をつけて、それは値切られてもまけない、逆にお客さんを説得し納得していただくということでなければいけません。その上で“あの店は値引く以上に価値あるサービスをしてくれる”という評判をお客さんからいただくような商売をすることが大事だと思います。


【コラム】筆洗

2013年11月28日 東京新聞TOKYOWeb
 
▼昔の親は、子どもに対し、ずいぶんひどい言い方をしたものだ。「お前は実は橋の下で拾われた子だ」。女の子はともかく、男の子は悪さをした時に、親からこんなことをよく言われたものである

▼事実ではないから、言える親の軽口なのだろうが、言われた方はそれなりに心配になる。自分はこの家の子どもではないのかもしれない…

▼なぜ親が「橋の下で拾ってきた」と言うのか。由来ははっきりしない。生後間もない子を道や橋の下に捨てるふりをする古来の「子捨て」という儀式と関係があるという説もある。いったん捨てて、拾われることによって、丈夫で健康に育つという親の願いが込められているという

▼心底驚き、お気の毒にと思った。六十年前、病院で出生直後に別の新生児と取り違えられた男性(60)の話である。本来、育つはずだった家庭は裕福だったが、誤って引き取られた先の家庭はそうとはいえず、苦しい生活を送ることになったという

▼六十年前といえば一九五三(昭和二十八)年生まれ。生活保護を受けて母親に女手ひとつで育てられたそうだが、ダッコちゃんやフラフープは買ってもらえただろうか、長嶋選手を見に後楽園球場に連れて行ってもらえただろうか。男性の六十年を考えてしまう

▼もちろん、橋の下で拾われた人ではないが、丈夫で健康に暮らしてほしいと願うばかりである。

☆ 今日も皆さまにとって良い一日でありますように。
  今朝は寒い朝です。風邪など引かないように気をつけましょう。☆
 


11月28日(木)のつぶやき

2013-11-29 03:04:57 | 日記

今日のコラム

2013-11-28 07:05:36 | 日記


☆ お早うございます、今日もお立ち寄りありがとうございます ☆

11月28日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

とどめを刺す

 日々のお互いの仕事の中で、もうちょっと念を入れておいたら、とあとから後悔することが少なくないような気がする。

 一生懸命に努力して、せっかく九九%までの成果を上げても残りのわずか一%の「止め」がしっかりと刺されていなかったら、それは結局はじめからやらなかったと同じことになる。いや中途半端にやっただけ、むしろマイナスになる場合が多いのではあるまいか。念には念を入れよ、である。
仕事を完全にやり通すのに念の入れ過ぎということはないのである。とどめを刺さない仕事ぶりがあったら、お互いにその不徹底を大いに恥とするほどの厳しい心がけを持ちたいものである。


【コラム】筆洗

2013年11月27日東京新聞TOKYOWeb
 
▼内田百間(ひゃっけん)さんは相当に頑固な人で一九六七年十二月、芸術院の会員を辞退した時の口上メモはその一端をうかがわせる。実に様子がいい▼「御辞退申シタイ/ナゼカ/芸術院ト云(イ)フ会に這入(ハイ)ルノガイヤナノデス/ナゼイヤカ/気ガ進マナイカラ/ナゼ気ガ進マナイカ/イヤダカラ」

▼作家の山口瞳さんは「首尾一貫していて、辞退の口上としていたれりつくせりの感がある。稀(まれ)にみる名文であると思う」と書いた。会社員なら一度はこんな文句を口にしたいと思うだろう

▼政治は別である。国民の声や野党の言い分に耳を傾けるのは当然であって「イヤダカラ」では済まない。自民、公明両党は、野党の反対を押し切って、特定秘密保護法案の衆院通過に踏み切った。成立が遅れるのが「気ガ進マナイカラ/イヤダカラ」である

▼前日二十五日の福島市での地方公聴会では公述人全員が慎重審議か反対を主張した。だれも賛成していない。それでも、採決に踏み切ったあたり、安倍首相の政治姿勢としては、なるほど「首尾一貫」しているのかもしれない。都合の悪い秘密は国民に教えないまま、閉じ込めてしまえ。都合の悪い議論も閉じてしまえ。そう疑われても仕方がないやり方だろう

▼やっぱりこの法案、「気ガ進マナイカラ/イヤダカラ」。国民にそんな思いを強くさせたとしたら、その責任は安倍首相と与党にある。


☆ 今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆