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12月31日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)
総決算
十二月は総決算の月。このときに当たり、一年の歩みをふり返り、お互いの心のケジメもつけたいものです。この一年、よかったことはよかった、悪かったことは悪かったと、素直に自分で採点しなければなりよせん。
そしてこの一年は、決して自分ひとりの力で歩んだものではありません。自分で気づかないところで、人びとの協力を得、また思わぬところで迷惑をかけていることもあると思うのです。そんな周囲の人びとの協力に対しては、ありがたく感謝し、迷惑をかけたことに対しては謙虚に謝罪したいと思います。そうした素直な自己反省こそ、次の新しい年の自分の成長にプラスする何かを、必す与えてくれると思うのです。
【コラム】筆洗
2013年12月30日東京新聞TOKYOWeb
▼じゃんけんで決める。大人の社会でもよくある。寒い中、コーヒーを誰が買いに行くのか。嫌な仕事は誰が。大人が子どものように「最初はグー」とやっている。悪い光景ではない
▼じゃんけんの歴史は平安期からというが、紙、はさみ、石などの「三すくみ」を利用した現在のじゃんけんが広がったのは江戸期と比較的新しいようだ
▼『拳の文化史』(セップ・リンハルト著)によるとじゃんけんの「じゃ」は蛇。大当たりを取った、歌舞伎の「天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべえいこくばなし)」の大ガマの人気で、蛇、カエル、ナメクジのじゃんけんが流行したそうだ
▼誰だって勝ちたいと思うが、必勝法はない。緊張すると拳を握りやすいのでパーが有利とも聞くが、当てにならない。気分が悪いのは後出しである
▼東京都知事選は辞職した猪瀬直樹さんの後任選びで全国的に注目されるが、出馬を表明したのは宇都宮健児さんだけで、噂(うわさ)の人物たちは沈黙し後出しを狙っている。都知事選にとどまらない。後出しは選挙戦術として、定着しつつある
▼早く手を挙げるとあら探しをされる。遅い方がインパクトが大きい。先に出た候補の主張を分析する時間が稼げる…。知名度がそこそこある人なら、後出しにはいろいろ利点がある。一方、有権者は、出る人の考えを早く知りたい。吟味したい。戦術とはいえ後出しには器の小ささを見せる危険もある。
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12月30日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)
静思の時
何事も合理的でスピーディなものが尊ばれる昨今、それがスピーディであればあるほど、一方で静思の時というか、ゆったりしたものがほしくなる、これが人情というか、人間の本能的とも言える一つの姿でしよう。だから、これを押さえることは人間の身体や生活を、とんでもなくゆがんだものにしかねないと思います。
ですから、夜やすむ前、床の上に坐って静かに一日を反省する。やり方はどうあれ、そういう時を持って、一日のケジメをきちんとつけてこそはじめて、そこに安らぎが生まれ、明日ヘの新たな意欲が湧いてくるのではないか。世の中が騒々しくなるほど、そういう静思の時が必要になると思うのです。
【コラム】筆洗
2013年12月29日東京新聞TOKYOWeb
▼昨日は門松を飾る人をよく見かけた。門松を立てるのは十三日から二十八日までの間が望ましく、二十九日は、「苦を待つ」「苦立て」につながるので、見合わせた方がいいという
▼三十一日も一夜飾りで望ましくない。三十日も二十九日と三十一日の間で良くないそうで、となると、二十八日が門松を立てるのに適した最後の日ということになる
▼縁起が良いに越したことはないが、忙しい中、本寸法にはいかぬ。<門松を三十日(みそか)の夜に立てしかな>。高浜虚子の句もある。「私の家では、正月の設けというものも、とかく大三十日の晩ぐらいにする…」(『俳句の作りよう』)
▼「紙の門松」。門松の絵を印刷した紙を玄関先に張る。岐阜出身の筆者は子どもの時、門松といえばあれだったが、全国共通ではない。東京では見かけぬ。名古屋、大阪出身者も知らぬという。逆に千葉では「今もある」。高知や岡山では紙の方が一般的と聞く。不思議な分布である
▼高知のある印刷所は昭和二十九年から紙の門松を製作している。松林の保護が目的と説明するが、あの頃、本物はぜいたくだったのか。紙の門松に豊かになりたいと願う、かつての日本人の前向きな熱を思う。しかもあの時の方が幸せだったような気さえする
▼破れやすい紙。気にしない。二十九日でも「苦を絶つ」と読めば、それほど後ろめたくないだろう。
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12月29日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)
理想ある政治を
政治には理想が大事です。日本をこうするんだという一本筋が通ったものがなければいけない。そういうものがいまは見られません。その場を適当におさめてやっている、そういう状態です。
いまだ日本が世界で二、三十番目ということであるなら、追いつけ追いこせということで目標もできてきますが、すでに世界で一、二位を争うようになっている以上、そこにより高い目標、理想を打ち出す必要があると思います。たとえ世界で一番ということになったとしても、日本にはもっと大きな役割があるんだからということで、より高い理想を持ち、力強い政治を行なっていくことが必要だと思うのです。
【コラム】筆洗
2013年12月28日東京新聞TOKYOWeb
▼昔むかし、牛はお母さんと一緒に、森で暮らしていた。ある日、お母さんは人間に狩り殺されてしまう。「仇(かたき)をうたなくちゃ」
▼牛が考え付いた復讐(ふくしゅう)の手口は、思いも寄らぬものだった。人間に降参し、その乳で人間たちを養ってやるというのだ。「そしたら、やがてわたしたちのありがたさが身にしみてわかるから、仲間同士でけんかをはじめて、殺し合うってわけ」
▼兄弟同士、氏族同士が、民族同士が牛という富をめぐって争い、血を流し続ける。これこそが、牛が仕掛けた復讐。こんな昔話が南スーダンのディンカ族には伝わるという(『ライオンの咆哮(ほうこう)のとどろく夜の炉辺で』青娥(せいが)書房)
▼この不気味な伝説は、かの国の現実を言い当てた予言のようだ。四十年に及ぶ内戦の末、一昨年の夏に南スーダンは独立した。だが、今月始まった政府軍と反政府勢力の戦闘は、もともと牛の牧草地などをめぐり対立していた部族間の憎悪を煽(あお)った。数々の虐殺が起き、すでに千人を超える命が消えていったとされる
▼双方が激しく争うのは、現代産業の乳ともいえる石油の利権だ。人口一千万半数が貧困層というこの国には、豊かな資源がある。国家歳入の98%を石油収入が占め、その多くを軍事費に充てる、そのいびつさ
▼牛の復讐が続く国・南スーダン。私たちが使う石油にも、かの地からの油が含まれているという。
【社説】東京新聞TOKYOWeb
一票の不平等 司法の責任を自覚せよ
2013年12月28日
参院選での一票の不平等をめぐる高裁レベルの判決は、「違憲状態」が大半だった。「国会の裁量権」に大幅譲歩すれば、議員は安住する。司法はもっと責任を自覚し、厳しく臨むべきだと考える。
五・〇倍の格差を是正しなさいといわれ、四・七七倍にした。これを一般の人々は是正とは言わない。努力をしたとも感じられない。格差はほぼ変わらないと思うのが普通だろう。どうやら、その感覚が裁判官にはないらしい。
格差とは、選挙のときに生じる選挙区ごとの一票の重みの違いだ。七月の参院選では、最大四・七七倍あった。鳥取の有権者が「一票」とすると、北海道の有権者は「〇・二一票」しか持たなかった。
全選挙区で提訴され、十四の高裁・高裁支部で、計十六件の判決が出た。十三件は「違憲状態」判決で、「違憲」は、東京と大阪、岡山だけだ。岡山が「選挙無効」としたことは特筆される。
違憲状態とは、著しい不平等は認めるけれど、国会が是正するまで、「合理的期間」が経過していないとする意味だ。その期間は裁判官のさじ加減で決まる。約五倍の格差で推移していた参院選について、二〇〇九年の最高裁は「定数を振り分けるだけでは格差縮小は困難」と抜本是正を求めた。
昨年の最高裁では「都道府県単位で選挙区を設定する現行方式を改めるなどの立法措置が必要」とも踏み込んだ。つまり、〇九年から数えると、三年九カ月もの長い時間があったのだ。
だが、違憲状態判決を書いた高裁の裁判官は、いまだに「抜本的な制度見直しには相応の時間が必要」などという。これほど国会に甘い裁定はなかろう。
衆院選を審査した昨年の最高裁も同じだ。国会の裁量権を大幅に認めて、違憲状態とした。衆院の〇増五減を「見直しが行われた」と評価した。参院は四増四減だったから、高裁の裁判官も、国会の“努力”を追認したわけだ。
常識のある人々は、四増四減を小手先とか、弥縫(びほう)策と呼ぶだろう。是正といっても、国会は何の痛みも伴わないからだ。そもそも、利害の当事者である議員に是正を求めることの方に無理があるのかもしれない。
それならば、司法権こそ、毅然(きぜん)としなければならない。裁判官は良心に従い、独立して職権を行う。拘束するのは、憲法と法律だけだ。誰かの顔色をうかがうような司法では、失望を買う。
☆ 今日も寒いですが、皆様にとって良い一日でありますように ☆