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2月28日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)
感謝の心は幸福の安全弁
感謝の念ということは、これは人間にとって非常に大切なものです。見方によれば、すべての人間の幸福なり喜びを生み出す根源とも言えるのが、感謝の心とも言えるでしょう。したがって、感謝の心のないところからは、決して幸福は生まれてこないだろうし、結局は、人間、不幸になると思います。
感謝の心が高まれば高まるほど、それに正比例して幸福感が高まっていく。つまり、幸福の安全弁とも言えるものが感謝の心とも言えるわけです。その安全弁を失ってしまったら、幸福の姿は、瞬時のうちにこわれ去ってしまうと言ってもいいほど、人間にとって感謝の心は大切なものだと思うのです。
【コラム】東京新聞TOKYOWeb
筆洗
2014年2月27日
▼<ああわからない わからない 今の浮世はわからない>。明治、大正期の演歌師、添田唖蝉坊(そえだあぜんぼう)の「ああわからない」。抵抗の歌い手はこの二月で没後七十年になる
▼「ああわからない」は一九〇八年。世の中は理解できないことばかりだと政治家、役人、拝金主義をこき下ろしている
▼この歌が頭から離れないのは「ベースロード電源」のせいである。二十五日に決まった政府のエネルギー基本計画案。原発を「ベースロード電源」と位置付けている。これがどうにも分からない
▼昨年十二月時点で原発は「ベース電源」と書いていた。そのまま解釈すれば基盤となる電源。今回その表現が消え、聞き慣れぬ「ベースロード電源」が登場した。「ベースロード」とは常時継続的に供給を求められる電力量。それを供給する発電所などが「ベースロード電源」ということになる
▼原発を電源の種類や性格として説明し、基盤とか基盤ではないという判断を隠している。それでは政府は原発を基盤となる電源と考えていないか。そんなことはなくて原発は常時、一定量の電力を供給する、「ベースロード電源」なのである。事実上意味は同じだろう
▼煙(けむ)に巻いてやったとしたり顔のお役人へ。似た英語に「BASES LOADED」という表現がある。意味は野球の満塁。こんな説明では信用を失い、大ピンチになると忠告する。
【社説】東京新聞TOKYOWeb
大川小被災検証 遺族の願いに応えたか
2014年2月27日
東日本大震災の津波で多くの犠牲者が出た宮城県石巻市立大川小学校の外部検証委員会が避難の遅れが被災の主因とする最終報告をまとめた。だが遅れの“謎”は未解明。踏み込み不足は否めない。
大川小は河口から約四キロ上流にあり、津波の予想浸水域からは外れ、むしろ近隣の避難所に指定されていた。
だが津波は川をさかのぼって襲い、全校児童百八人のうち七十四人と教職員十人の計八十四人が死亡、行方不明になった。学校で被災し、助かったのは児童四人と教師一人だけだった。
検証委の最終報告書は▽避難開始の決定が遅れたこと▽津波を免れた(学校の)裏山ではなく、危険な河川堤防近くを避難先に選んだこと-が、被災の直接の要因と結論づけた。
遺族は、そうしたことは、すでに知っていた。地震発生から避難を始めるまでの約五十分間、裏山がすぐ近くにあるのに、児童らは校庭にとどまっていたという。
「なぜか」
遺族が求め続けていたのは、その“空白の五十分間”の真相解明に尽きる。核心が解き明かされない限り、最終報告書として納得して受け入れられるはずもない。
そもそも被災後の市教委のずさんな対応が、遺族との間に溝をつくり、検証を遅らせてきた。
唯一の生還教諭の報告メールが削除されていたり、聞き取り証言の記録メモが廃棄されていたり。それらをしぶしぶ認めた市教委の説明そのものが二転三転した。
たまりかねた文部科学省などの主導で、震災から約二年後に検証委が動き始めたのが実情だ。この市教委の体質は、大津市のいじめ自殺の問題を連想させる。
最終報告書で検証委は遺族の要望に応え、被災後の市教委などの対応に言及し「遺族に不信感を抱かせた」と指摘。さらに検証委立ち上げの遅れで「調査に一定程度の限界があったことは否めない」とも認めざるを得なかった。
防災教育の充実など二十四項目の提言を示したが結局、大川小被災の真相には迫り切れぬまま。一部遺族は提訴も辞さないようだが、本来は前例のない惨事の検証を今後の学校防災に生かし、遺族たち自らが前を向いて進みたいとの願いがあったはずだ。
何が生死を分けたのか-。先の大震災では、そんなきわどい被災例は多い。三月一日に市に手渡される予定の最終報告書。受け取った市の姿勢こそが問われる。
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2月27日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)
誠意あればこそ
先般、部品の一つに不良のある商品をお得意さんにお送りしてしまったときに、その方が厳重に注意しなければ、ということで会社に出向いてこられたことがあった。しかし、実際に会社へ来てみると、社員の人びとが一心に仕事に打ち込んでいる姿を見て、憤慨もせず、かえって信用を深めて帰られた、という話を聞いた。
このことから私は、誠実かつ熱心に日々の仕事に力強く取り組むということが、いかに大きな力を持っているかということを、つくづく感じさせられた。そういう態度というものは、見る人の心に何物かを与えるばかりでなく、仕事そのものの成果をより高める原動力にもなると思うのである。
【コラム】筆洗
2014年2月26日 東京新聞TOKYOWeb
▼寄席に連日通ってくるおじいさんがいる。変わった人で絶対に笑わない。若い落語家二人が勝負した。どっちが先に笑わせるか
▼最初に上がった方は笑いどころいっぱいの大ねたをこれでもかと熱演した。笑わない。もう一人が高座に上がる。「桃太郎」。大人びた子どもが出てくるたわいもない話を選んだ
▼サゲにかかる。見ると老人がにっこりと笑っている。老人には大切な孫がいた。「桃太郎」に孫を思い、温かい気持ちになって思わず頬をゆるませた。誰かに聞いた話だが、分かる気がする。子どもの仕草(しぐさ)、愛犬の表情。時に情愛は強引な滑稽よりも、笑い顔をつくる
▼この人もある時、ねたに困った。先代の柳家小さん師匠。一九三六(昭和十一)年、陸軍青年将校による二・二六事件に加わるはめになった。当時二等兵。「意味も分からないで連れてかれた」
▼占拠した建物の中。上官に「みんな元気がないから、一席やれ」と命令された。困った末、演じたのは「子ほめ」だった。隠居に教えてもらった子どものほめ方を八五郎が間違えるという話
▼誰も笑わなかった。笑えなかった。皆、高ぶっている。事件はこの先どうなっていくのか。緊張と不安。「笑えやしませんよ。本当に馬鹿(ばか)な話」と当時を書いている。情愛もへったくれもない状況では、その後の「名人」が演じようとも、人の心は解けない。笑えない。
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2014年2月26日(水)
前半 夜 8時05分~8時55分/後半 夜 9時05分~9時30分
里見浩太朗
長山洋子
原田悠里
前半
長山洋子 「たてがみ」
「捨てられて」
「じょんから女節」
原田悠里 「夢ひとすじ」
「木曽路の女」
「津軽の花」
里見浩太朗 「あゝ人生に涙あり」
「流星~いにしえの夜空へ~」
「花冷え」
瀬口侑希・
山岡秀明 「ひばりのマドロスさん」
瀬口侑希 「不知火情歌」
後半
瀬口侑希 「夢灯籠」
長山洋子 「もう一度・・・子守歌」
原田悠里 「秋月の女」
里見浩太朗 「口笛の彼方に」