新聞を読んで

いろんな、新聞を読んで感じたことを書いて見たいと思います。

3月23日(月)のつぶやき

2015-03-24 12:29:17 | 日記

ユナイテッドピープル基金 協賛企業の東日本大震災 緊急支援クリック募金 clickbokin.ekokoro.jp/139.html @ekokoroさんから


ブログを更新しました。 『今日のコラム』
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ブログを更新しました。 『笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ 今週も聴いています。』
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笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ 今週も聴いています。 blog194867.blog48.fc2.com/blog-entry-151…


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今日のコラム

2015-03-24 06:24:34 | 日記
☆3月24日は世界結核デー

1882年(明治15)年、ロベルト・コッホ博士が結核菌を発見したことを記念して、世界保健機関(WHO)が制定。現在でも、結核はエイズやマラリアとともに世界的に最大級の健康問題となっている
日本では9月24日~30日を「結核予防週間」としている。☆


☆お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆


☆ 3月24日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

協調性を持つ

みなさんが、それぞれの会社の社員である以上は、多数の同僚と相接して仕事をしなければならないということになりますから、人の立場を重んじない、いわゆる協調性の少ない人は困ると思うのです。

自分はこう思うが、あの人はああ思うのだな、それも一つの考え方だろうな、というように人の言に耳を傾けるというところに、協調性が成り立つのです。もちろん、自己というものを卑屈にして協調せよというのではありません。けれども自己にとらわれた主張は協調性を欠きます。この点は、どのような立場にいようと考えなければならない、非常に大事な問題ではないかと思います。


☆【コラム】筆洗

2015年3月23日 東京新聞TOKYOWeb

▼三月も下旬だが、卒業をテーマにした古い歌謡曲をまだ耳にする。会社の近くの定食屋さんは来し方を何かと振り返りたがる世代を狙ってか、こんな曲ばかり流している

▼「卒業式で泣かないと冷たい人と言われそう」。斉藤由貴さんの「卒業」(作詞松本隆、作曲筒美京平)は一九八五年発表。三十年前である

▼最近は知らないが、当時、卒業式で泣くのは「女子」だった。あんなに泣けるものなのか。「男子」には一種の謎だったが、あの歌詞でそういうことかと納得した方もいるのではないか

▼いい曲である。歌詞の中の、その「女子」は別れの季節にも冷めている。仲の良かった男子は卒業を機に東京へ行く。二人はやがて連絡も取らなくなるだろう。仕方がない。ずいぶん突き放した見方をしている。当時のアイドル曲としてはかなり冷たい

▼そう思わせておいてやがて本心が現れる。卒業式で泣かないのは、もっと悲しい瞬間=その同級生との別れに取っておきたいからという。あれは悲しみを抑えた強がりだったのである

▼この春、友人たちと悲しい別れの式を済ませた若い人へ。「卒業って、出会いだ」。コピーライター佐倉康彦さんの広告作品。本当にその通りで「まだ、なにもはじまっていない。まだ、なにも終わっていない。新しい空の下にいる」。卒業おめでとう。しんみりするのはずっと先のことである。


☆ 今朝は晴れていますが寒い朝です。彼岸の明けです。今朝も目覚ましていただき感謝です。今日も皆様にとって良い一日で有りますように。☆


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今日のコラム

2015-03-23 07:08:50 | 日記
☆3月23日は世界気象デー

世界気象機関(WMO)が、発足10周年を記念して1960(昭和35)年に制定されました。
国際デーの一つ。 1950(昭和25)年、世界気象機関条約が発効し、WMOが発足しました。 WMOは、加盟諸国の気象観測通報の調整、気象観測や気象資料の交換を行っている世界組織です。日本は1953(昭和28)年に加盟しました。 ☆


☆ お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆


☆3月23日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

即断即行

 昔から「兵は神速を貴ぶ」という言葉がある。一瞬の勝機を的確につかむかどうかに勝敗の帰趨がかかっている場合がある。そういうときにいたずらに躊躇逡巡していたのでは機会は永遠に去ってしまう。だから大将たる者は、即断即行ということがきわめて大事である。

これは何も戦にかぎらず、一国の運営、会社でも同じである。情勢は刻々とうつり変わっていく。だから一日の遅れが一年の遅れを生むというような場合も少なくない。もちろんきわめて慎重に時間をかけて事を運ぶことが必要な場合もある。しかし、大事にあたって即断即行できる見識と機敏な実行力は、指導者に不可欠の要件だと言えよう。


☆【コラム】筆洗

2015年3月22日 東京新聞TOKYOWeb

▼<牡丹餅(ぼたもち)で頬べたをたたかれる>とか、<牡丹餅で尻をたたかれる>ということわざは、最近ではあまり聞かないが、楽しい日本語である。昨日の春分の日、牡丹餅、おはぎを召し上がった方もいらっしゃるに違いない

▼いずれのことわざも良いことが舞い込んでくるという意味である。牡丹餅ならばどんなにぶたれても痛くはなかろう。まさに<棚から牡丹餅>で牡丹餅もおはぎも「良いこと」「幸せ」を運ぶ食べ物である

▼牡丹餅とおはぎの違いは春が牡丹餅で秋がおはぎと季節によるらしいが、よく分からぬ。年中、おはぎと呼んでいる土地もある

▼おはぎにせよ牡丹餅にせよ、かつては春と秋のお彼岸の時期にそれぞれの家庭でこしらえて、隣近所に配っていた。幸せを分け合った。さほど昔でもない。今も配っている家もあるかもしれぬ

▼正岡子規は「牡丹餅をやりて牡丹餅をもらう。彼岸のとりやりは馬鹿なことなり」と書いたが、その習慣が消えた現代を見れば、牡丹餅を好んだ子規も寂しがるのではないか。牡丹餅もさほどありがたがられなくなったし、何よりも牡丹餅をお互いにやりとりするほどに強く温かい関係は今の隣近所、地域コミュニティーにはない。地域のつながりはやせ細った

▼スーパーでパックに入った牡丹餅を見る。おいしいに違いないが、あれでお尻をたたかれたら、何となく痛い気がする。


☆今朝は晴れています。昨日、近くのイオンモール高の原に沢村一樹 トークイベントを見て来ました、たくさんの人が見に来ていました。夜は、ラジオ90時間を聴いていました。最後の2時間は良かったです。今朝も目覚ましていただき感謝です。今日も皆様にとって良い一日で有りますように。☆

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3月22日(日)のつぶやき

2015-03-23 03:18:22 | 日記

ユナイテッドピープル基金 協賛企業の東日本大震災 緊急支援クリック募金 clickbokin.ekokoro.jp/139.html @ekokoroさんから


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今日のコラム

2015-03-22 07:18:10 | 日記
☆3月22日は放送記念日

1925年(大正14年)の今日、東京・芝浦に設けられた東京放送局仮スタジオから日本初のラジオ仮放送が行なわれたことを記念して、NHKが1943年(昭和18年)に定めた日。
東京・芝浦にある東京高等工芸学校の仮スタジオから第一声が流れたのは午前9時30分。
 京田武男アナウンサーの「アー、アー、アー、聞こえますか。JOAK、JOAK、こちらは東京放送であります。こんにち只今より放送を開始致します」が第一声。☆


☆ お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆


☆3月22日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

迷いと判断

私は極小の商売から今日までの間、たとえば“新しい仕事をすべきか否か”を決める場合、全部自分一人で決断してきたかというと、決してそうではありません。自分はやりたいと思うけれども、それだけの力があるかどうか自分で判断がつかないというときも実際ありました。

そういうときにはどうしたかというと、第三者にすっかり打ち明けて「いまこういうことで迷っているんだ、君ならどう思うか」と尋ねました。すると、「それは松下君、あかんで」「君の力やったらやれる」といろいろ言ってくれる。迷ったときには、私は得心のいくまで他人の意見を聞いてみるということをやりながらだんだん大きくなってきたのです。



☆【コラム】筆洗

2015年3月21日 東京新聞TOKYOWeb

▼地獄にも歓楽街があり、芝居小屋もあれば寄席もある。あの世の芸に触れれば、この世の芸など見られなくなる

▼それはそうだろう。歌舞伎で忠臣蔵をやれば、初代から歴代の団十郎が勢ぞろい。寄席の看板を見れば、三遊亭円朝に文楽、志ん生、円生。上方なら先々代と先代春団治の親子会、そして桂米朝…

▼「…米朝という名前で死んだ噺(はなし)家はおまへんが、あらまだ生きてんと違いますか」「よう見てみなはれ。肩のところに近日来演と書いてありまんがな」。上方落語の大ネタ『地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)』で、そうくすぐって観客を笑わせていたのは、桂米朝さんその人である

▼上方落語は滅びるといわれた時代に噺家となり、多くの噺を掘り起こし、つくり直して、命を吹き込んだ。米朝師匠なくば、『地獄八景…』も地獄の寄席に行かねば聞けない噺になっていたのだ

▼<春の雪誰かに電話したくなり>。品格と知性があり、艶もある。そんな芸風と人柄は「八十八」の俳号で詠み続けた句にもにじむ。長男の米団治さんらによると、米寿を迎えたころから「きれいに枯れていき」、最期も実に「きれい」な大往生だったそうだから、逝き方もまた芸風そのものだったのだろう

▼あの世の寄席では早速「本日来演」の看板が出ているだろうか。先立った愛(まな)弟子の枝雀さんらとの競演に、地獄の鬼も涙が出るほど笑い転げるはずだ。


☆ 今朝もよく晴れています。太陽が眩しいです。花粉もたくさん飛んでいるそうです。目がかゆいです。今朝も目覚ましていただき感謝です。今日も皆様にとって良い一日で有りますように。☆



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