新聞を読んで

いろんな、新聞を読んで感じたことを書いて見たいと思います。

今日のコラム

2015-09-17 06:56:28 | 日記
☆ 今日は9月17日(木)  モノレール開業記念日 ☆

☆ 1964(昭和39)年のこの日、日本初の旅客用モノレールが浜松町~羽田空港間で開業しました。
これを記念して、東京モノレールが記念日に制定しました。

 モノレールの開業は、東京オリンピック準備の一環だったそうです。 ☆


☆ お早うございます。今日もお立ち寄り有難う御座います。 ☆


☆ 9月17日 松下幸之助一日一話 (松下幸之助.COM)

愚痴の言える部下を持つ

憤慨したときに憤慨できる相手があったら一番楽ですな。つまり早く言えば最高首脳者として、愚痴を言える部下が必要だということです。それが副社長でも専務でも、あるいは秘書でもいい、そういう人があれば幸せですな。

どんなにえらい人でも愚痴のはけ場がなかったら鬱積しますわ。そうするとあやまちをします。太閤秀吉でも、石田三成をかわいがったといいますけど、あれはやっぱり愚痴を石田三成に持っていったんだと思います。そうすると三成はそれを適当にうけて、うまい具合に機嫌をとったんですわ。

そうすると太閤さんは頭がすっとして、またいい知恵を出したということでしょう。  ☆


☆【コラム】 筆洗

2015年9月16日 東京新聞TOKYOWeb

▼色が複雑に絡み合うマーブル柄について作家の川上未映子さんが子ども時代の思い出を書いている

▼母親とスーパーへ行った。ワゴンセールでフリル付きのトレーナーを見つけた。欲しくて握りしめていたが、経済的余裕のない母親がこれを見れば、買ってやれないことを悲しむだろうと、母親に目撃される前にワゴンの一番下に押し込んだという

▼話は続く。数日後のクリスマスの朝、目が覚めると、そのトレーナーが枕元に置いてあった。「うれしい気持ちと、お母さんが無理したのではないかという気持ちがマーブル状の竜巻になってなって、涙が後から後からあふれてきた」。良いことでも心は単色とは限らぬ

▼関東・東北水害で行方不明とされた茨城県常総市内の十四人の無事が確認された。もちろん、「よかった」の色が大半を占めるのだが、確認に手間取った常総市の対応への「心配」の色も少々混じる、マーブル柄である

▼電話回線の復旧のおかげと聞くが、先日発見された二遺体は安否不明者には含まれていなかったというから混乱もあろう。なお、把握できていない不明者もいるかもしれぬ。大変だろうが、落ち着いて対応していただきたい

▼現地では空き巣が相次いでいるという情けない話を聞く。その半面善意のボランティアが集まっている。被災地の喜と悲のマーブルは圧倒的に明るい色が勝ってほしい。 ☆


☆ 今朝は小雨が降っています。一日雨模様のようです。気温も低いみたいです。体調管理も大変です。

今朝も目覚ましていただき感謝です。

今日も皆さまにとって良い一日でありますように。 ☆


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9月16日(水)のつぶやき

2015-09-17 03:39:52 | 日記
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今日のコラム

2015-09-16 06:57:15 | 日記
☆ 今日は9月16日(水) マッチの日 ☆

☆1948年(昭和23年)のこの日、それまで配給制だったマッチの自由販売が認められたことに由来。
 日本のマッチは、フランスに留学していた清水誠が1875(明治8)年に東京で黄燐マッチを製造したことが始まりです。
 また、安全マッチ(マッチ箱の摩擦面に擦らないと発火しないマッチ)は、1879(明治12)年から製造し、翌年からは輸出するまでになっていました。 ☆


☆ お早うございます。今日もお立ち寄り有難う御座います。 ☆

☆ 昨日のカープVメール
15日マツダスタジアム、カープ1―0巨人、勝ち投手ジョンソン12勝7敗、セーブ中崎6敗24S 詳しくは中国新聞朝刊で ☆


☆ 9月16日 松下幸之助一日一話 (松下幸之助.COM)

一人の責任

会社が発展するのも失敗するのも、結局はすべて社長一人の責任ではなかろうか。というのは、もし社長が「東へ行け」と言えば、「いや私は西へ行きます」と言って反対の方向に行く社員はまずいないからである。ほとんどの社員は、社長が「東へ行こう」と言えば、みな東へ行く。

だから、「東へ行け」と言って、もし間違ったとしたら、それは社長一人の責任に他ならないわけである。同じように、一つの部、一つの課が発展するかしないかは、すべて部長一人、課長一人の責任である。

私は、いままでいかなる場合でも、そう考えて、自問自答しながら事をすすめるよう努めてきた。  ☆


☆【コラム】 筆洗

2015年9月15日 東京新聞TOKYOWeb

▼「行徳の俎(まないた)」。漱石の「吾輩は猫である」の中に出てくるシャレ言葉である。その意味は、千葉の行徳周辺にお住まいの方には申し訳ないのだが、「バカで擦れている」。行徳はかつての「バカ貝」の名産地。その貝で俎が擦れてしまうことに由来するという

▼江戸期から続くシャレ言葉もあろうが、最近ではほとんど聞かない。生き残っている「作品」としては「白犬の尾っぽ」で「おもしろい」、「秋の夕暮れ」で「(物を)くれぬうちからほし(星)が(あ)る=(欲しがる)」などが有名か

▼これも関西ではまだ使う人がいる。「うどん屋の釜」。口先ばかりの人の意で「湯(言う)ばっかり」からきているが、同じ内容でも地域で異なる。「県別罵詈(ばり)雑言辞典」によると熊本県では「阿蘇と同しこつ(こと)」というそうだ。阿蘇周辺に温泉(湯)が豊富なことに掛けている

▼警戒レベルが3の「入山規制」になったと聞けば、呑気(のんき)なことも言っていられぬ。その阿蘇山の噴火である。高さ二千メートルまで達した黒い噴煙に交じって噴石も確認されている。マグマ水蒸気噴火の可能性もある

▼昨年の御嶽山以来、箱根山、口永良部島、浅間山、桜島など、山の神の機嫌を損ねている日本列島である

▼警戒を強めるしかあるまい。自然の脅威を前に「やかんの蛸(たこ)」(手も足も出ない)で被害を大きくしてはそれこそシャレにならぬ。 ☆ 


☆ 今朝はくもり空です、午後からは時々雨の予報です。

☆ 昨日午前中は良い天気でしたが、午後からは曇ってきました。少し、蒸し暑かったです。

今朝も目覚ましていただき感謝です。

今日も皆さまにとって良い一日でありますように。 ☆

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9月15日(火)のつぶやき

2015-09-16 03:37:51 | 日記
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今日のコラム

2015-09-15 06:29:52 | 日記
☆ 今日は9月15日(火) 老人の日 ☆

☆ 2002年1月1日改正の「老人福祉法」によって制定。2003(平成15)年から「祝日法」の改正によって「敬老の日」が9月第3月曜日となるのに伴い、従前の敬老の日を記念日として残す為に制定された。

国民の間に広く老人の福祉についての関心と理解を深めるとともに、老人に対し自らの生活の向上に努める意慾を促す日。 ☆



☆ お早うございます。今日もお立ち寄り有難う御座います。 ☆


☆ 9月15日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

精神的大家族

核家族の風潮というのは、いい悪いは別にして、天下の大勢です。大きな流れです。けれどもそれは形の上でそうなのであって、精神の上では核家族になってはいけないと思います。

あたかも大家族のごとく、年老いた老人には、家族の人たちが絶えず心を通わせるようにしなければなりません。たとえば、三日に一ペんは電話で声をかけてあげるとか、そういうつながりがなければいけないと思います。

世の中が進歩したら、それぞれ活動する場所が増えますから、どうしても離れ離れになって、大家族という形はとれません。だから一方でそれを集約する精神的なつながりが一層必要だと思うのです。  ☆


☆【コラム】筆洗

2015年9月13日 東京新聞TOKYOWeb

▼「大学へ入ったのは太宰九年であり、東京オリンピックの入場パレードに泣いたのは、太宰十七年秋ということになる」。作家の久世光彦(くぜてるひこ)さんが書いている

▼久世さんには、三つの年号があった。西暦と元号に加え<太宰暦>。太宰治と関係がある

▼太宰元年は一九四八(昭和二十三)年。その年に太宰は自殺しているが、元年としたのは久世さんが太宰作品に初めて触れた年だからである。「優しくて凶暴な太宰に蹂躙(じゅうりん)された年」。中一の久世さんをそれほどに魅了した

▼太宰六十八年は不思議とこの作家の話題が絶えぬ。太宰ファンを公言する又吉直樹さんの芥川賞受賞もあった。太宰が一時期、住んだ「碧雲(へきうん)荘」(東京都杉並区)の保存を求める声も高まっている。先週は太宰が、師でもあった佐藤春夫に宛てた芥川賞の受賞を懇願する新たな手紙が公表された

▼「芥川賞は、私に下さいまするやう、伏して懇願申しあげます。御恩は忘却いたしませぬ」。和紙の手紙は四メートル超という。その長さは、いつの時代の若者のだれもが抱える抑制の利かぬ熱、焦りと苦しみの量かもしれぬ

▼受賞できなかった現実と太宰のその後を考える時、四メートル超の手紙が太宰六十八年においても胸に迫る。青年期とは野望と、それがかなわぬ痛みの連続か。痛みを分かち合う存在として太宰がいる。今年が「太宰元年」になった若者もきっといる。 ☆

☆ 今朝も良い天気です。太陽が眩しいです。

今朝も目覚ましていただき感謝です。

今日も皆さまにとって良い一日でありますように。 ☆


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