今、これを書いている机から、顔を上げればスーパームーン(今年一番大きく見える月)が、窓の外に見えています。見るたびに、少しずつ、右上に移っています。
今年の夏、暑かった。都心での猛暑日は22回を数え、最多記録を更新中。
それでも今月は83キロ走った。これは朝ランができるようになったことが大きいです。
7時前くらいに出ても、気温27度、湿度90%だったりもしますが。
今日は風が涼しく感じられました。ほんの少しだけかもしれないけど、確かに秋は近づいている。
私は冬生まれ、東北人ということもあり、暑いのは苦手です。7月から8月は、ほんと魔のときと言ってもいいくらい。
今年の東北に北海道も暑かった。まだまだ続いていますが、心身ともに堪えている人たち多いのではないでしょうか。
私は都会の夏が本当に嫌いだった。
私にとっての都会は、新宿や池袋になりますが、コンクリートジャングルの照り返しに冷房の排熱、車の排気ガス、それに満員電車。「オラこんな村イヤだ!」みたいな感じで、大学は仙台に決めました。でも、涼しいはずの仙台も過酷な暑さに見舞われるようになってしまいました。
思い出すのは18歳の夏。池袋の予備校に通う浪人時代。
やっぱりこの机を前にして、コンビニかどっかで買った小さなノートに日記をつけ始めたときのこと。
「君たちはどう生きるか」を読んだからか(コペル君も書き始めるようになります)、やたらとあのときの気持ちを新たに味わっています。
夏は、私にとってピンチなのです。実際、うつ病を患って危なかったときもありました。
それは22歳の夏。しっかり座ることすらできなかったけれど、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」と、河合隼雄の「大人になることのむずかしさ」を読んで救われたこともありました。
東日本大震災のあった2011年、34歳の夏には「走ること」が始まった。
2006年、29歳の夏、このブログが始まった。
必要は発明の母と言います。
何かが始まって、それが続いているのなら、それはその人の生存にとって必要なこと。
「生存」よりもっと深い次元からの要求かもしれません。
言葉でうまく掬うことは難しい。でも、私にとって必要な「それ」が、適切で配慮に満ちた言葉で掬われて保存されていたらありがたい。
自分もまた一つの海なのかもしれない、と思うようになりました。
豊かな生き物が住み、美味しい食べ物もたくさんある。
だけど、海底火山が噴火するときもあれば、巨大津波もまた発生する。
暑すぎれば台風が発生して、底の冷たい海水を引き上げようともする。
凪のときもある。潮の満ち引きもある。
海の豊かさは、山の豊かさによって育まれてもいます。
山からの栄養が豊富なほど、私の大好きな牡蠣も大きく育ってくれます。
私にとって、山の栄養とは、やっぱり本なのでしょう。
栄養を補給しつつ、自分という海を、まず知らなくてはなりませんでした。知らなければ、溺れもするし、流されもする。
やっと、この海で、陸にあげるだけの価値あるものが見えるようになったということでしょうか。
今、書いている小説は、2021年の夏に着想したもの。
書く前に自分の中で温めて、一年以上も書かずに発酵させて。
前半のクライマックスまで来ました。
その場面というのも、夏のある一日です。
主人公にとっては忘れがたい一日。
その場面と、私の夏たちが共鳴して、しばらく前に進むことができませんでした。
そして思うのは、私にしか、主人公のその後を追うことはできないのだということ。
いつまでもこのままでいさせてほしい、と願うときもあります。でも、そのときにも終わりはある。
その物語を終わりまで書けるのも私しかいません。
そんな、今まで感じたことなかったような責任感を覚えています。
暑すぎて、力が出ない。出せない。それもあった。
生きてあるだけで精一杯。そんなときもあります。
ただ、もう、その物語を書き始めています。
書きたい、書き抜きたい、と切望する自分がいてこそ物語も進んでいく。
最後には、この書く自分を信じるしかありません。
書き進むその文を、大事に見つめ続けることしかできません。
そのことで、「これは違う」という文に気づくことができるようにはなりました。
一つ一つ、乗り越えていくしかないんだなと、改めて思います。
ときには波に乗って、ときには荒波に抗って。
そしてときには「グチ」を吐かせてください。
どんなに強く、自立し、どこまでも走れるようになったように見えても、弱い自分もまた、いつまでも自分の中に住んでいますから。
「評価」に縛られない居場所が、人には必要ですから。
今年の夏、暑かった。都心での猛暑日は22回を数え、最多記録を更新中。
それでも今月は83キロ走った。これは朝ランができるようになったことが大きいです。
7時前くらいに出ても、気温27度、湿度90%だったりもしますが。
今日は風が涼しく感じられました。ほんの少しだけかもしれないけど、確かに秋は近づいている。
私は冬生まれ、東北人ということもあり、暑いのは苦手です。7月から8月は、ほんと魔のときと言ってもいいくらい。
今年の東北に北海道も暑かった。まだまだ続いていますが、心身ともに堪えている人たち多いのではないでしょうか。
私は都会の夏が本当に嫌いだった。
私にとっての都会は、新宿や池袋になりますが、コンクリートジャングルの照り返しに冷房の排熱、車の排気ガス、それに満員電車。「オラこんな村イヤだ!」みたいな感じで、大学は仙台に決めました。でも、涼しいはずの仙台も過酷な暑さに見舞われるようになってしまいました。
思い出すのは18歳の夏。池袋の予備校に通う浪人時代。
やっぱりこの机を前にして、コンビニかどっかで買った小さなノートに日記をつけ始めたときのこと。
「君たちはどう生きるか」を読んだからか(コペル君も書き始めるようになります)、やたらとあのときの気持ちを新たに味わっています。
夏は、私にとってピンチなのです。実際、うつ病を患って危なかったときもありました。
それは22歳の夏。しっかり座ることすらできなかったけれど、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」と、河合隼雄の「大人になることのむずかしさ」を読んで救われたこともありました。
東日本大震災のあった2011年、34歳の夏には「走ること」が始まった。
2006年、29歳の夏、このブログが始まった。
必要は発明の母と言います。
何かが始まって、それが続いているのなら、それはその人の生存にとって必要なこと。
「生存」よりもっと深い次元からの要求かもしれません。
言葉でうまく掬うことは難しい。でも、私にとって必要な「それ」が、適切で配慮に満ちた言葉で掬われて保存されていたらありがたい。
自分もまた一つの海なのかもしれない、と思うようになりました。
豊かな生き物が住み、美味しい食べ物もたくさんある。
だけど、海底火山が噴火するときもあれば、巨大津波もまた発生する。
暑すぎれば台風が発生して、底の冷たい海水を引き上げようともする。
凪のときもある。潮の満ち引きもある。
海の豊かさは、山の豊かさによって育まれてもいます。
山からの栄養が豊富なほど、私の大好きな牡蠣も大きく育ってくれます。
私にとって、山の栄養とは、やっぱり本なのでしょう。
栄養を補給しつつ、自分という海を、まず知らなくてはなりませんでした。知らなければ、溺れもするし、流されもする。
やっと、この海で、陸にあげるだけの価値あるものが見えるようになったということでしょうか。
今、書いている小説は、2021年の夏に着想したもの。
書く前に自分の中で温めて、一年以上も書かずに発酵させて。
前半のクライマックスまで来ました。
その場面というのも、夏のある一日です。
主人公にとっては忘れがたい一日。
その場面と、私の夏たちが共鳴して、しばらく前に進むことができませんでした。
そして思うのは、私にしか、主人公のその後を追うことはできないのだということ。
いつまでもこのままでいさせてほしい、と願うときもあります。でも、そのときにも終わりはある。
その物語を終わりまで書けるのも私しかいません。
そんな、今まで感じたことなかったような責任感を覚えています。
暑すぎて、力が出ない。出せない。それもあった。
生きてあるだけで精一杯。そんなときもあります。
ただ、もう、その物語を書き始めています。
書きたい、書き抜きたい、と切望する自分がいてこそ物語も進んでいく。
最後には、この書く自分を信じるしかありません。
書き進むその文を、大事に見つめ続けることしかできません。
そのことで、「これは違う」という文に気づくことができるようにはなりました。
一つ一つ、乗り越えていくしかないんだなと、改めて思います。
ときには波に乗って、ときには荒波に抗って。
そしてときには「グチ」を吐かせてください。
どんなに強く、自立し、どこまでも走れるようになったように見えても、弱い自分もまた、いつまでも自分の中に住んでいますから。
「評価」に縛られない居場所が、人には必要ですから。
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