泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

遠野物語

2010-11-16 11:59:27 | 読書
 おじいちゃんから引き継いだ一冊。
 『遠野物語』は、名前だけ知っていた。読むことになるとは思っていなかった。読もうとも思っていなかった。おじいちゃんの家の本棚を見るまでは。
 箱入りの愛蔵版。巻末には祖父の署名も入っている。
 祖父は岩手出身だと知っていた。主にお米を売るのが仕事で、戦時中にはその仕事が優秀だったそうで、たくさんの感謝状が額縁に納められている。
 成り行きでなのか、岩手から少し下の宮城県の気仙沼に居を構えた。
 故郷を思う気持ちが、祖父に『愛蔵版 遠野物語』を買わせたのだろうか? その強い気持ちが、僕にまで伝わったのだろうか?
 血と同様に物語もこうして引き継がれていくのだと実感する。
 さて、中身は、おなじみの座敷童、河童、雪女、天狗、山姥、化狸、化狐、大蛇などが続々登場。それらを単純に楽しむこともできるのですが、透けて見えるのは住民たちの生活の貧しさ。窓税というものがあって、窓を作ることすらできなかった。馬が生活の要になっており、共に暮らしている。馬の頭をしたオシラサマという神様がいる。昔、父と娘が馬とともに住んでいた。娘が馬に恋をし、気づいた父が逆上して馬を殺してしまう。娘は悲しみに暮れ、馬の首にすがり付いていると、父は馬の首を切り落としてしまう。たちまち馬の首は娘もろとも天に昇る。この時からオシラサマは生まれた。馬を大切にしようということでしょうか。娘は馬とできてはいけないということでしょうか。またコンセサマ(金精様)という神もいる。それはまったく男のもの(勃起した陰茎とタマ)であって、とても立派。豊穣の神だという。中上健二の世界を思い出した。
 電気も、もちろんパソコンもケータイもない。冬は雪が降り積もる。暗くて寒い季節が長い。米が不作だったらすぐに飢え死にする人々も出る。生きるのに過酷な環境がお話を生んだ。座敷童などのキャラクターは、確かに極限状態の人間が見た幻覚なのかもしれない。しかし、お話こそが生きるだけで必死の貧しい市民が解放される世界だった。八百万の神が部屋のあちこちにいることが自然だった。薄暗い屋敷の中で、囲炉裏を中心にして、いったいいくつのお話が語られてきたのだろう。人間は現実だけで生きているのではない。非現実の豊かさが、この『遠野物語』に凝縮している。
 作者である柳田國男もまた名前だけ知っていた存在でした。『遠野物語』は確かに彼が書いたものだけど、佐々木喜善という口述者がいた。佐々木は鏡石という文筆名を持ち、泉鏡花のファンだった。遠野に生まれ育った彼は、多くの物語を聞き知っていた。しかし彼の書く文章は、多分に創作が含まれていた。素材を自分流に料理してそれが自分の作品だというように出す癖があった。柳田は「もっと文章を簡潔にするように」と佐々木に注意していた。だから『遠野物語』がこんなにも知れ渡り、引き継がれているのは柳田の文章によるところが大きい。特徴として言えるのが、「私」が一切出てこないこと。簡潔極まる文章が、日本全国に分布する物語とも共鳴して広がった。『遠野物語』は、まだ現実に生きている物語でもあった。
 それにしても人間には言葉が必要不可欠なのだと改めて思った。物語ることによって事実を把握しないと不安でたまらないのだ。ユダヤ教にキリスト教、仏教に神道。宗教もすべて物語で成立している。日本という国の成り立ちにも古事記が必要だった。沖縄にも神話があった。
 翻って現代。いったいどんな物語が必要なんだろう。共同体は薄れ、個人が個室を持ち、テレビもインターネットもお金で買える。
 小説を書くことは自分のみの物語を紡ぐことだけではない。もちろん、一人の人がその人となり、その人の人生を進むためには語ることがどうしても必要。その作業を、僕もカウンセリングの中で行ってきた。カウンセリングを通過した僕の前に開けたのは、インターネットを通じたこのブログの小宇宙。そして小説は、もう一段異なる層にある。より深く、より社会的な、より脱自分のみんなのものとしての物語。
 僕を成す一本の線の懐に、この『遠野物語』がある。この本をおじいちゃんから受けることができてよかった。ものすごく深いところに届き、僕をぴんと立たせる重しとなった。
 遠野の様々な物語が、僕の書くものにどう影響してくるのかわからない。ただ、しっかりと消化して自分のものにしたいと願う。

柳田國男著/大和書房/1972

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