泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

骸骨ビルの庭

2009-08-28 00:39:13 | 読書
 やはり安心して、任せ切って読むことができました。
 この作家への信頼感は、なんなのでしょうね?
 心技体、すべてそろっているというのか。
 宮本輝さんの新刊です。
 「骸骨ビル」とは、戦前、語学学校のために作られた頑丈なビルの名で、複数の要因によってそう言われるようになった。戦中戦後は、アメリカのGHQによって使用され、撤退とともに建設者の妾の子(阿部轍正)が引き継いだ。彼は戦地で10数回も死にそうになった。光としか言いようのないものに守られて、彼は帰還した。そして唯一の所有物であるビルに戻ると、すでに小さな戦争孤児が住んでいた・・・。困った、役所に届けなきゃ、と思っている間もなく、親を失った、あるいはほとんど捨てられた子どもたちが、1人、また1人と増えていく。
 阿部の友人、茂木泰造は、結核で死に瀕していた。兄に縁談があり、骸骨ビルに移る換わりに裕福な網元であった茂木の親の支援を受ける。死にに来た骸骨ビルでしかし、後に開発された特効薬によって、茂木は健康を取り戻す。
 2人の若い、既に何度も死んだ男。彼らは孤児たちと接していくうちに、自分たちの産まれてきた、死ななかった意味を見出していく。
 時間は経ち、阿部は、かつて骸骨ビルで育てられた女子の狂言(性的虐待されていた)による世間の中傷の中で死んだ。残った茂木と一緒に暮らす骸骨ビルの子たちが、円満に立ち退いてもらうために(取り壊しとマンション建設は決まっていた)、不動産会社から委託された会社の社員(八木沢省三郎)が、なぜ立ち退かないのか調査のために骸骨ビルに住み込みとして派遣される。その八木沢が、住人との交流の中で聴いた話が、この物語の中心になっています。
 外へ、外へと物語は展開していきます。例えば外を歩いていて、西から老婆が歩いてくる。隣の家の玄関を叩いているが留守だ。気になって話しかけてみる。すると彼女は、かつて骸骨ビルの隣人だった。というような。
 これが宮本輝さんの小説の特徴だと思う。そして、まったく感心してしまうほどに、どんなに新しい人が入ってきても、物語の中心からはずれていかない。むしろ1人ひとりの語りが、中心をより豊かに、具体的にしていきます。よくも細部を間違えないなと思うほどに。切れずにどんどんつながっていき、流れが合流し加速し、読む者をぐいぐい引き込みます。
 大阪弁のおもしろさ、また登場する料理のなんておいしそうなこと。ナナちゃんや比呂子姉ちゃん、チャッピーやヨネスケ、登場人物のそれぞれが生きて動いています。
 心に残ったのは、他人のために働く、ということでしょうか。最後になって、阿部のつけていたノートが現れます。そこ書かれていたのは、子どもたちへの祈りの言葉ばかり。心から、誰かのことを心配するということ。自分のこととしてではなく、他人のこととして。その連続性によって、他人であるその人に、祈っている彼が永遠の存在として生き続ける。いつも僕は誰かに守られている。愛されている。どんなことをしようと、彼/彼女は僕の側に立ってくれる。そう僕が信じられること。そう僕が僕を信じられることによって、初めて僕はひとり立ちできるようになった。一人で動けるようになった。
 僕の感覚では、先ほども書いたように、宮本輝は外へ外へ行く。村上春樹は内へ内へ行く。僕にはその正反対の方向性を持ちながら、物語を確かに紡ぐ両極の作家が必要なようです。師と仰ぐにはあまりにも大きい存在ですが、現役の日本の作家で、心から共感し尊敬する作家として、お2人はこれからも僕の中に存在し続けるだろうと思います。
 表現しがたい、目に見えない、人として大切なところに、言葉を通じて、確かに届くのです。人として、活性化する何かが、小説にあるのです。

宮本輝著/講談社/2009

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