今回は「信頼」がテーマだったように思います。
取り上げたくなるのはやはり太宰治の『走れメロス』でしょうか。何十年か振りの再読。
人を信じられない王がいて、次々に人々を殺している。その街を訪れたメロスは激怒し、王を改心させようと試みる。
あっさり捕らえられてしまうが、三日の猶予をもらい、妹に結婚式を挙げさせ、また帰ってくると約束する。
約束を守れなかった場合、身代わりの親友セリヌンティウスを殺せ、と。
メロスは走る。途中の川が大雨で激流となっていようとも、飛び込んで泳ぎ切る。
で、どうなるか。この設定ではらはらさせて、「ざんねーん、間に合いませんでした」なわけがない。
一瞬、メロスはもう走るのはやめて逃げようとし、セリヌンティウスもメロスは来ないと思う。
生きて再会を果たし、互いに互いを疑ったことを白状し、殴り合ったのち抱擁。
王も手のひらを返し、仲間に入れてくれと懇願する。
ウィキペディアによると、太宰の遺書には「小説を書くのがいやになったから死ぬのです」と書いてあるそうです。
しかし、入水した玉川上水の現場検証によると、入水を拒む下駄で踏ん張った後がはっきりあった。
結果亡くなったのは1948年の6月13日。激動の時代。
信じ切っていたものがあっけなく覆った時代。
愛することのできる奥さんを得て、自殺願望も薬物中毒も克服したように見えた安定期に書かれた『走れメロス』。
発表されたのは1940年。戦意高揚の真っ只中とも言える。
寺山修司はメロスを「無神経な自己中心性・自己陶酔の象徴」と言っている。
そもそもこの話は古代ギリシャの伝承とドイツの詩人シラーの『人質』が素材になっている。
本物の人間信頼への憧れが、太宰にこの作品を書かせたのかもしれません。
信頼できるはずの家族がいながら太宰も愛人の死のささやきに抗い切れなかった。
心の弱さは誰にでもある。とにかく、考えさせてくれる作品であることに違いありません。
もう一つ、新見南吉の『嘘』も心に残った。
転入生の太郎左衛門は一見きれいな顔をしているけど、嘘ばかりついていた。
だから誰からも信じられず、孤立するようになっていった。
田舎の町で暇で面白いことがない時、その子は海岸に愛国号が来て、いろんな曲芸を見せていると言う。
みなはつい信じてしまい、海岸まで歩く。もう日も落ちて、へとへとになって、やっぱり海に愛国号はいない。
太郎左衛門は平気な顔のままだけど、みなは泣く。
そこでまた彼は言う、近くに親戚がいるから助けてもらおうと。
また嘘かと思うけど、それしかないのでみなついていく。
すると、親戚のおじさんおばさんは確かにいて、家まで帰してくれた。
「嘘吐きの太郎左衛門も、こんどだけは嘘をいわなかった、と久助君は床にはいったときはじめて思った。死ぬか生きるかというどたんばでは、あいつも嘘をいわなかった。そうしてみれば太郎左衛門も決して訳のわからぬやつではなかったのである。
人間というものは、ふだんどんなに考え方が違っている、訳のわからないやつでも、最後のぎりぎりのところでは、誰も同じ考え方なのだ、つまり、人間はその根本のところではみんなよく分りあうのだ、ということが久助君には分ったのである。すると久助君はひどく安らかな心持になって、耳の底に残っている波の音をききながら、すっと眠ってしまった」(302頁4行-11行)
日本ペンクラブ編/福武文庫/1987
「長く暗いトンネルを抜けることができた」とのこと、よかったね!
私も、この夏で、一皮むけた感があります。今までのしがらみを吹っ切ることができた。未解決の関係を清算できた。
心の成長も、季節の移ろいに似て、揺り戻しがあります。でも、確実に更新されています。
一歩一歩、前に進んでいきましょう。
9月30日、また仙台で一泊してきます。
菊田君はいかがお過ごしでしょうか。
僕は精神的には、ようやく長く暗いトンネルを抜けることができました。
後は、全てが順調に行くとは考えていませんが、あきらめずに進めば自分なりの人生を切り開けそうです。
菊田君の『児童文学名作全集』読書感想シリーズは、とてもすばらしいと思います。
分かりやすい内容紹介と感想から、菊田君自身の純粋な価値観を垣間見ることができます。
お互いかんばりましょう。
銘々の個が、普遍に至ることを信じて。