
この本は、「せんだい3.11メモリアル交流館」で出会った一冊です。

「せんだいメモリアル交流館」は、地下鉄東西線荒井駅と隣接しています。
2度目の訪問でしたが、早朝に出発していた今回は時間に余裕があり、館内を見回すことができ、この本棚を発見することができました。
その後、仙台の大学の先輩が営業している古本とコヒーのお店「マゼラン」で上の写真を見せると、「潮の音、空の青、海の詩」はあるとのこと。
ただし、仙台の老舗の書店「金港堂」で開催されている古本市に、売れてなければ。
で、歩いて金港堂へ。
ありました。
そんな流れで出会って、手に入れた本。旅に出たからこそ出会えたと言えます。
たぶん、まだ文庫になってないから、その存在自体を知りませんでした。熊谷さんの作品はよく読んでいるのに。
仙台から帰って、読みかけの本を読み終えてからすぐに読み始めました。
ああ、やっぱり熊谷さん。
3.11の日から物語は始まり、次に50年後が描かれます。そしてまた震災後に戻って未来へつながっていく。
主人公の聡太は気仙沼の出身。
大学進学のため東京に出て、就職も東京で、でも訳あって仙台まで戻って、仙台での生活を送る中で被災した。
仙台で2度目の失業を味わう。幼馴染と仙台で再会したこともあり、何より気仙沼の両親と連絡がつかないままで、車に集められるだけ集めた支援物資を積んで気仙沼へ帰郷。
変わり果てたふるさとの姿。けんか別れをしていた同級生の思いがけない優しさ。
避難所と化した母校を包む静寂。その静寂は、亡くなった人、また遺族たちへの思いの表れでした。
また、どんな言葉を持ってしても、目の前のことをつかむことができないのでした。
この本を読み進めていくうちに、今自分が書いている小説のあちこちに手を入れました。
決定的な事実誤認がいくつかあったので。
読むことによって、自分が書いた前のページが変わっていく。
そして当然未来も変わっていきます。
やっぱり、行ってよかった。行きたいところに行って、出会いたい場所や人や作品と出会う。そうすることで自分もより充実する方に変わっていける。
そんなことを思いました。
小説に戻ると、「空の青」の部分が50年後で、最初は「あれ、違う作品かな」と思った。
でも、読み進めると、50年後に重要な出会いがあり、そのことで過去が変わる可能性が示されます。
50年後の気仙沼が出てくる(作品では、あくまでも「仙河海」です)のですが、かなり衝撃的な姿になっています。
巨大な防潮堤が立ち並び、大島には核の処分場が作られ、唐桑も含めて無人化されている。
遠洋漁業は衰退し、マグロの養殖が行われている。
内陸では長大な中性子の加速装置が稼働している。そして、理論的に過去への介入が可能になっている。
おじいちゃんとなった聡太が、呼人(よひと)という少年と、巨大な防潮堤の上で出会う。
その出会いが、過去を変え、未来を変えていく。
「変えたい現実」があるということ。聡太が人生をかけて開発した知識や技術も、家族を失った痛みが起点となっている。
聡太の試みは、作者の企みでもあります。
ただ事実を描いていくだけが小説じゃない。そこにはやはり何か伝えたいことがある。
伝えたいことが作品を描かせるとも言えます。
熊谷さんの仙河海シリーズは、本当に私のアイデンティティーに近寄ってくれる。
私の奥深くにある大事なものと触れる。
それを「救う」というのかもしれません。
作品は愛であり、創作は救いだと、よりよく感じます。
有難い、私を変えてくれた一冊になりました。
熊谷達也 著/NHK出版/2015

「せんだいメモリアル交流館」は、地下鉄東西線荒井駅と隣接しています。
2度目の訪問でしたが、早朝に出発していた今回は時間に余裕があり、館内を見回すことができ、この本棚を発見することができました。
その後、仙台の大学の先輩が営業している古本とコヒーのお店「マゼラン」で上の写真を見せると、「潮の音、空の青、海の詩」はあるとのこと。
ただし、仙台の老舗の書店「金港堂」で開催されている古本市に、売れてなければ。
で、歩いて金港堂へ。
ありました。
そんな流れで出会って、手に入れた本。旅に出たからこそ出会えたと言えます。
たぶん、まだ文庫になってないから、その存在自体を知りませんでした。熊谷さんの作品はよく読んでいるのに。
仙台から帰って、読みかけの本を読み終えてからすぐに読み始めました。
ああ、やっぱり熊谷さん。
3.11の日から物語は始まり、次に50年後が描かれます。そしてまた震災後に戻って未来へつながっていく。
主人公の聡太は気仙沼の出身。
大学進学のため東京に出て、就職も東京で、でも訳あって仙台まで戻って、仙台での生活を送る中で被災した。
仙台で2度目の失業を味わう。幼馴染と仙台で再会したこともあり、何より気仙沼の両親と連絡がつかないままで、車に集められるだけ集めた支援物資を積んで気仙沼へ帰郷。
変わり果てたふるさとの姿。けんか別れをしていた同級生の思いがけない優しさ。
避難所と化した母校を包む静寂。その静寂は、亡くなった人、また遺族たちへの思いの表れでした。
また、どんな言葉を持ってしても、目の前のことをつかむことができないのでした。
この本を読み進めていくうちに、今自分が書いている小説のあちこちに手を入れました。
決定的な事実誤認がいくつかあったので。
読むことによって、自分が書いた前のページが変わっていく。
そして当然未来も変わっていきます。
やっぱり、行ってよかった。行きたいところに行って、出会いたい場所や人や作品と出会う。そうすることで自分もより充実する方に変わっていける。
そんなことを思いました。
小説に戻ると、「空の青」の部分が50年後で、最初は「あれ、違う作品かな」と思った。
でも、読み進めると、50年後に重要な出会いがあり、そのことで過去が変わる可能性が示されます。
50年後の気仙沼が出てくる(作品では、あくまでも「仙河海」です)のですが、かなり衝撃的な姿になっています。
巨大な防潮堤が立ち並び、大島には核の処分場が作られ、唐桑も含めて無人化されている。
遠洋漁業は衰退し、マグロの養殖が行われている。
内陸では長大な中性子の加速装置が稼働している。そして、理論的に過去への介入が可能になっている。
おじいちゃんとなった聡太が、呼人(よひと)という少年と、巨大な防潮堤の上で出会う。
その出会いが、過去を変え、未来を変えていく。
「変えたい現実」があるということ。聡太が人生をかけて開発した知識や技術も、家族を失った痛みが起点となっている。
聡太の試みは、作者の企みでもあります。
ただ事実を描いていくだけが小説じゃない。そこにはやはり何か伝えたいことがある。
伝えたいことが作品を描かせるとも言えます。
熊谷さんの仙河海シリーズは、本当に私のアイデンティティーに近寄ってくれる。
私の奥深くにある大事なものと触れる。
それを「救う」というのかもしれません。
作品は愛であり、創作は救いだと、よりよく感じます。
有難い、私を変えてくれた一冊になりました。
熊谷達也 著/NHK出版/2015
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