泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

死者の贈り物

2011-02-04 10:34:36 | 読書
 かつて共に机を囲み、宴席も共にし、大学院の臨床心理学科を出て、今は福祉施設で働く知人お勧めの本。気の合う友人の勧める本には「はずれ」がないことを改めて思う。口コミの力とは、友の力のことだった。友とは、ぼくの立場に立って物事を考え、行動し語ることのできる人のことではないか。彼/彼女の立場に立って、ぼくは行動できているか。
 『死者の贈り物』には詩が20編収められている。どの詩も、どの言葉も、いちいち胸の奥の方まで来た。いずれも親しかったものの記憶にささげる詩として書かれた。長田弘さんは「あとがき」も読ませる。
「現に生きてあるものにとっての現在というのは、死者にとっての未来だ。それだからこそ、親しいものの喪から、わたしが受けとってきたものは、一人の現在をよりふかく、よく生きるためのことばだったと思える」(79-80ページ)
 再読した時、やっとこの文章に目が留まり、その意味が具体的に迫ってきた。多くの、数え切れない、星の数ほどの死者がいる。死者の立場に立ってみれば、どんな人のどんな人生だって、今生きてさえいればそれは未来なのだ。死者は、どんなに生を願っていたことか。死にたくないと思ったか。それでも等しく命あるものには死が訪れる。未来を託して。未来を信じて。今生きてあるものに譲って。責任ということを思う。どんな人生であっても、それを引き受けることがその人の人生だ。大切なのは正しさじゃない。人は曲がった木のように生きる。すべては隠されておらず、透きとおっていく。糸くずのような記憶だけ残して、去っていく。
 一つだけ、詩を紹介させてください。


 わたし(たち)にとって大切なもの

何でもないもの。
朝、窓を開けるときの、一瞬の感情。
熱いコーヒーを啜るとき、
不意に胸の中にひろがってくるもの。
大好きな古い木の椅子。

なにげないもの。
水光る川。
欅の並木の長い坂。
少女たちのおしゃべり。
路地の真ん中に座っている猫。

ささやかなもの。
ペチュニア。ベゴニア。クレマチス。
土をつくる。水をやる。季節がめぐる。
それだけのことだけれども、
そこにあるのは、うつくしい時間だ。

なくしたくないもの。
草の匂い。樹の影。遠くの友人。
八百屋の店先の、柑橘類のつややかさ。
冬は、いみじく寒き。
夏は、世に知らず暑き。

ひと知れぬもの。
自然とは異なったしかたで
人間は、存在するのではないのだ。
どんなだろうと、人生を受け入れる。
そのひと知れぬ掟が、人生のすべてだ。

いまはないもの。
逝ったジャズメンが遺したジャズ。
みんな若くて、あまりに純粋だった。
みんな次々に逝った。あまりに多くのことを
ぜんぶ、一度に語ろうとして。

さりげないもの。
さりげない孤独。さりげない持続。
くつろぐこと。くつろぎをたもつこと。
そして自分自身と言葉を交わすこと。
一人の人間のなかには、すべての人間がいる。

ありふれたもの。
波の引いていく磯。
遠く近く、鳥たちの声。
何一つ、隠されていない。
海からの光が、祝福のようだ。

なくてはならないもの。
何でもないもの。なにげないもの。
ささやかなもの。なくしたくないもの。
ひと知れぬもの。いまはないもの。
さりげないもの。ありふれたもの。

もっとも平凡なもの。
平凡であることを恐れてはいけない。
わたし(たち)の名誉は、平凡な時代の名誉だ。
明日の朝、ラッパは鳴らない。
深呼吸しろ。一日がまた、静かにはじまる。


 深呼吸を、二つ、してみる。
 また、詩が書きたくなってきた。
 身をかがめて言葉を拾え。
 何をすべきかではなく、何をすべきではないかを考えろ。
 この本が、必要とする人の懐へ、届くようにと願います。

長田弘著/みすず書房/2003




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