泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

世界の中心で、愛をさけぶ

2012-11-28 18:37:08 | 読書
 まったく今更ですが読みました。
 三鷹に住む友人が秋田(横手)に引っ越すことになり、蔵書から分けていただきました。ただで。
 まったく興味本位でした。300万部以上売れたという小説がどういう内容なのか?
 すらすらと読んでいました。それは悪い意味でです。
 ぐっと来ない。腹に来ない。共感できない。立ち止れない。入る隙がない。
 氷の上を滑っているみたい。
 「泣きながら一気に読みました」という帯が付いて売れたのだけど、私からは一滴も涙が出なかった。
 頭で考えられたことなんだよなあという感覚。設定ありきで自分(著者)の興味ある領域(おそらく死生観)について語りたかったのだろうなあと思えてしまった。
 中学から高校にかけて付き合った男女の話としては、ませすぎているんじゃないとも感じた。特に会話。ぼくは奥手だったから(今もか?)余計に共感できなかった。
 男の子の名前は朔太郎で、友人は龍之介でって、あからさますぎる。比喩が、ことごとくわざとらしい。いやらしい。
 「世界の中心で、愛をさけぶ」というタイトルにしては厭世的、浮世離れしている感覚が全体を通していた。離れ小島が夢島なんて。夢島で二人きりで一夜を明かすなんて。
 ああ、やっぱりこの小説はぼくにはダメだと思わせたのは第5章。なぜ第5章を付けたのかわからない。
 恋人の死を経て10年後らしいのだが、今付き合っているらしい彼女が出て来ることに幻滅。
「しかしそれが確かな記憶であるのかどうか、もうわからなかった(206ページ)」って何? 
 アキという彼女の名前を「秋」だと勘違いしていたことを最期になってわかるのもわからない。えっ、「亜紀」だったのって。
 ぼくはしっかりと覚えていますよ。初恋の人の名も次の人の名もその次の人の名も。わずかな付き合いの詳細も。それは年を重ねるごとに鮮明になるものなので、もう体質的にこの著者の物語には入り込めないのだと了解した。
 で、最後、著者のプロフィールを見て、この読書一番の驚き。著者は文學界新人賞を受賞していたのでした。

片山恭一著/小学館/2001

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