泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

秋海棠

2019-10-31 18:59:50 | 写真
 
朝晩は冷えるようになりました。昨日朝の濃霧には驚きました。それも寒さのせいだそうです。
 と言いながら、明日の昼はまた暑くなりそうです。服装の調整が難しいですね。
 今日も朝走っていたのですが、小学校の体育館脇を通ったとき、男子のでかい掛け声が聞こえてきました。
「前へならえ!」
 これを聞いたときから大きな違和感を覚えています。
 私もやらされていた。何も考えずに。
 小さいときから正しいとされるやり方を覚えさせられること。
 でも、それって本当に正しいの?
 そもそも、「ならう」は「〜へ」と結びつかない。正しくは「〜にならう」です。これが違和感の一つ。
 もう一つは、管理しようとする魂胆が丸見えだから。
 なぜ、学校で号令? 命令? 人を人として扱っていない。
 この辺の疑問を書いていたのは、少しネットで調べた限り、不登校新聞に載っていた元教師の記事だけ。
 海外では、そもそも朝礼がない。
 私の違和感は、もう一つ前から抱いている疑問と結びつきます。
 それは「天皇陛下万歳!」
 この前もやっていました。国会が閉会するときは、万歳三唱まだやっている。
 どうしたって戦争を思い出す。なぜ、伝統を頑なに保持するのか?
 ここに、不快な思いをしている人(私)がいるのに。
 大学の自習室に掲げられていた「書」もまた思い出します。
 そこには「温故知新」と、デカデカと墨で書かれていた。
 古きをたずね、新しきを知る。
 古きをたずね、古きのままよしではない。
「前へならえ!」やってない小学校はないのかな?
 本当、気持ち悪くなった。あらゆる問題が凝縮しているように感じています。
 あの、安っぽい朝礼台って、何だったのだろう?
 私の中に、「良かった記憶」は何も残っていない。「早く終われ」とか「話長い」とか。
「背の順」も大嫌いだった。いつも前で、劣等感を植え付けられるだけで。
 一つ一つ、書いて、言葉にして、ほぐしていくしかないのだろうけど。

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