泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

月の満ち欠け

2023-01-22 18:38:55 | 読書
 遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いいたします。

 新年一冊目は、昨年末には読み終えていたのですが、映画も観たくなり、タイミングがなかなか合わず、やっとこの前の水曜に映画館に行くことができました。
 映画を観て、また読みたくなりました。が、再読はまだしていません。
 それほど深くて、噛めば噛むほど味が出るような作品です。
 嘘に嘘を重ねて、真実を掘り当てる。そんな小説ならではの芸が存分に発揮されています。
「生まれ変わり」の話です。それだけ聞くと「えー、嘘でしょー」と思うのも当然。主人公の一人、小山内も、最後の最後まで認められない。
 だって、小山内にとって大事な一人娘。正真正銘の「私の娘」。なのにその子は、他の人間の生まれ変わりに利用されたのか? そんなこと認められるわけがない。
 私が真心込めて愛してきたことはなんだったのか? 「私の娘」ではなく、「誰かの生まれ変わり」だなんて、人を馬鹿にするのもいい加減にしろ、という具合。
 当然の反応だと思います。この小山内の抵抗があって、物語にリアルさも生み出されています。
 映画を観て思ったのですが、この話は大事な人を突然失った人のその後の話でもあるのだなと。
 小山内の娘は「琉璃」と名付けられました。実際には、その前にも「琉璃」がいて、その後にも「琉璃」が生まれる。
 なぜ、そうなったのか? 動機が一番肝心だと思われます。
 初代「琉璃」は、早くに両親を亡くし、おばあちゃんに育てられましたが、どこにも居場所を感じられず、半ば人生を諦めていた。
 そこに結婚を迫る男が現れ、思わず琉璃は承諾してしまう。期待をして。
 しかし、その男は、自分の人生プランと合わなくなった(子どもができない)琉璃に辛くあたる。それでも離婚はしない。
 そこに、ぴったりの男が現れた。自分を心底愛し、大事にしてくれ、必要ともしてくれる人。
 琉璃は、惑います。心では、本物の人と一緒にいたい。だけど、私は人妻だ。
 旦那から別れる決断をした琉璃は、原作と映画で若干表現は違いますが、電車に轢かれて死んでしまう。
 しかし死ななかった。いや、死んだからこそ生まれ変わった。
 2代目も3代目の琉璃も、会いたい人に会うために。
 生まれ変わった琉璃は、当然赤ちゃんから生き直すので、肉体の年齢は若くなっていく。最後、恋人と再会するときは、相手はいいオジサンで、自分は小学生ということになっている。それでも会うことの意味は何か? 待っていた男の希望は何か?
 最後まで読むと、もうこれは恋愛の話に収まらなくなっています。ニーチェの「永劫回帰」すら想起されます。
「永劫回帰」は、私の理解ですが、生まれ変わってもこの人生を生きたいと願うような人生を生きろ! ということ。
 そもそも、みんな誰かの生まれ変わりなのだ、という説も否定できません。
「先祖のたたり」とか言う人たちもいましたが。それがあったとしても、もちろん金で解決できる話ではありません。
「叶えられなかったことを叶えること」 それしか突破口はありません。
 ここまで感じ入ると、もう好きな人に会いたい! だけでなく、もちろんそれもありますが、自分は本当に何をしたいのか? 先祖代々、何をしたかったのか? そんな人生の目的に触れてきます。
 そして、大切な人を失って立ち直れずにいた人たちにも、新しい視点が生まれます。「生まれ変わりは一人だけじゃない」
 確かに、人は一人だけじゃない。もちろん、固有性を持った一人ですが、記憶や物語や価値観を共有して、遺伝子や環境や知恵も受け継いで生きている。
 大切なつながりの一つが断たれたのは痛ましく、癒えるまでに時間のかかること。だけど、断たれたままで終わらないのが人生。
 映画で、生まれ変わって子どもになった瑠璃の発言に、涙を誘われ堪えることはできませんでした。
 溢れる涙こそが、この物語が真心に触れている証拠なのかもしれません。
 小説では、最後の一行で鳥肌が立ちました。
 それにしても久々の映画。年始に観に行ってよかった。
 やっぱり、引かれたものには何かがあります。
 その何かを集めて、私は私に、あなたはあなたになっていく。
 それが叶ったとき、人は深い満足を覚える。
 そんな生きる上で必要な何かがある原作であり映画でした。
 月を見上げるのは、自分がここにいるのを確かめるためでもあり、同時に同じ月を見上げている誰かを思うため。
 その誰か、は、軽々と時間と空間も越えていく。
 月が満ちては欠けることを繰り返してきたように、人も生きては死んでを繰り返してきた。
 月に見守られながら、この私は、限りある人生の中で、何を叶えたいのか。
 今、誰に、一番に会いたいのか? 誰が、心から好きで、必要なのか?
 静かに研ぎ澄まされていくお話でもありました。

 佐藤正午 著/岩波書店/2019

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