荻窪鮫

元ハングマン。下町で隠遁暮らしのオジサンが躁鬱病になりました。
それでも、望みはミニマリストになる事です。

世代論の巻。

2016年10月17日 | 聖なるブログに名も無きカテゴリを




*今回は、2011年に別んトコで書いていたブログに加筆・修正したモノをお送りします。



古来より、

『今の若い奴らはダメだ』

というフレーズがあります。

世相風俗全般として言うのか、あるいは仕事上の若者への苦言なのかは、いろいろとあるでしょう。

『年長者は若者に対して小言を言うのが努めである』

と、白洲次郎や遠藤周作も言っていた気がします。

年長者が自身の生き様、考え方を鑑みたうえでの苦言・提言であれば、若者も甘受するでしょう。

しかしながら、正直

『あんたさぁ、偉そうに言ってるけど自分はどうなの?』

と言いたくなるオッサンが実に多い。

断言しますが、年長者というだけで高い人格になることは決してありません。

よく、年齢を重ねると

『人間が丸くなる・思慮深くなる・人格者になる』

と言いますが大きな間違いです。

人間が丸い奴は若い時から丸いです。

思慮深い奴はもともと思慮深いです。

人格者は・・・言わずもがなですね。

ことほど左様に世代論というものは、意味をなさないように感じるのです。

己の若い頃というのは、美しい歴史であります。

おそらく、今を生きる若者を認める事は、己の美しい歴史を否定される気がするのではないでしょうか。

だからこそ、己を正当化させるために若者を否定してみせる・・・。



約二十年前、当時50代なかばのオッサンと飲む機会がありました。

酒もすすみ、オッサンは酔い、こう言いました。

『今の若い奴らはダメだ』

僕は当時30歳そこそこ。

まぁ、まだ若者の範疇です。

当然、聞きました。

『何がダメなんですか?』

そしたら、そのオッサンは

『今の若い奴らは学園紛争をしないからダメなんだよ』

と言います。

翌日、そのオッサンを知るヒトに聞きました。

『あの人の職業はなんですか?』と。

そのオッサンを知る人が答えました。

『市役所勤務』

・・・体制に反旗を翻した人間が、その体制の根本である税金を食んで生きる。

当時、僕には理解出来ませんでした。

50歳近くなった今でも理解出来ません。

永遠に理解出来ないでしょう。

多分。



どんな時代にも年長者がいて若者がいます。

意味のない世代論は捨て、おのおのが手を取り合い、次代を目指す。

理想論かも知れませんが、出来ない事ではない。

僕はそう思っています。



『新しい世代が、しばしば、当たり前のこととして受け取っているものは、実は、前の世代の厳しい戦いの成果であることが忘れられるものである』ジャワハルラール・ネルー(インドの首相・1889~1964)