以心伝心 from Bolivia

青年海外協力隊として2年間、ボリビアの小学校で活動。

一日一歩

2011年10月08日 | 日記
今日お休みだろうと期待しないで学校に行ってみると、ちらほらと子どもたち

がいた。

「おおっ!学校がある!やったーーーーー♪」

と思ったら、4、5人の先生たち。

やっぱり48時間ストに同調する先生たちは、来ていないようだった。

その少人数の先生たちで、今日は学校をやるのかやらないのかを議論してい

た。

いまさらかいっ!!(呆)

わたしは、「休校って言ってないんだからやりましょう。でも先生たちがみん

ないないなら、時間を短縮してやりましょう」と言った。

少人数で熱い議論が起こり、結局1時間目までやることになった。

来ていない担任の生徒たちは、せっかく来たのに帰るという不平等な教育。

今回の労働組合のストライキは、インディヘナのデモに便乗している。

手当ての支払い、そして労働基準法の遵守を国に求め、教員や鉱山の労働者が

ストに賛同している。

確かに、先生たちの給料は低すぎる。もう少し上げるべきだ。

でもちゃんと交渉の場に持っていかないと、いつまでもデモをして学校が休み

になり、困るのは子どもたちだ。

政府は、またやってるよって見て見ぬふり。

今はインディヘナの強制排除の批判で、政権を保つことが精一杯なようす。



今日のクラスは・・・時間割を見ると3のA。

「オラー!!」

教室に入ると、子どもたちは5人。

なんだか離島の先生になった気分だ。

こんなときは、かけざんの特訓!

かけざんの意味をみんなで復習してから、8と9の段のビンゴをした。

そのとき、あわてて担任が登場。

「ケイコー!今日学校あったのね。ないと思ったけど、来てよかった。」

ほんと、ないと思ってでも来てくれてよかったです。

担任の登場に、子どもたちも嬉しそう。

それから袋に入ったかけざんカードを配り、2人組で式の答えの大きさ比べ。

対戦ごっこって子どもたち大好きだし、少しずつ早く言えるようになる。

サンドラは、「今度それを作りたいから原本をちょうだい」と言った。

先生たちがつくれるものをもっと提案してみよう。

ないならない中で、できるものを。

作るのが大変じゃないものを。


学校が終わった帰り道、またメルカド(商店)に寄った。

どうしてもロールキャベツが食べたくなったのだ。明日つくろっと。

豚と牛肉を挽いてもらい、次は月桂樹とナツメグを買いに。

香辛料だけを売っているコーナーがある。

しかし、月桂樹とナツメグがスペイン語で分からない。

とりあえず、月桂樹っぽいのを買った。

ナツメグは全くわからなくて、あきらめた。


その後、教員養成所の先生の家を訪問し、面積の授業について話し合った。

図形のスペイン語は長くて難しい。

けれど3月まで、どんどんコラボしようということになった。


そして夜。最近は毎日、ボブディランを聴きながら一日が終わる。

ハーモニカが心地いい。

蚤にかまれた足には、キンカンが気持ちいい。

自分の立場

2011年10月08日 | 日記
「立場は人を変える」と以前働いていた日本の小学校の校長が言っていた。

その時は「そんなもんかな?」なんて半信半疑で聞いていたが、本当にそうか

もしれない。

いまわたしは、「ボランティア」という立場である。

日本では職員室に机を一つもらい、校長から発表されたクラスを一つ受け持

ち、系統だったカリキュラムのもと、学校内での役割が用意されていた。

自分で一から生み出さずとも、提案はパソコンの中に叩き台が用意されてい

る。

会議で自分が発言をしなくても、誰かが発言をする。

いつの間にか、クラスのことにいっぱいで全体の話なんてどうでもよくなり、

その流れにぼけっとのってたりして。

それをあたりまえと思わないぐらいあたまえになっていた。

ここではまるっきり違う。

先生たちには机がなく、集まる場所は椅子のみの事務室。

教科書も決まったものはなく、学年で決めなければならない。

行事は、5日前ぐらいに話し合う。

子どものことをゆっくり話し合う時間もない。

それが日常。

さぁ、そんな中でボランティア。

根本から何かを変える立場でもない。あれもこれも自分にはできやしない。

自分は算数を通して、子どもや先生に学ぶ楽しさ、わかるように伝えていくの

が役割。そこに絞ってやっている。

この子たちが分かるようにするには、どうしたらいいか。

試みる度、新たな手立てが必要だと感じる。

これは、日本で教えていたときの手立ての想像をはるかに超える。

日本の子は日本語が話せる。そして生活のなかで、入学までに色んな経験をし

ている子が多い。

しかしボリビアは、言語が一つではないし、都会から田舎まで生活経験が全く

違う。

「どうしたら分かるかな、どうしたら引き付けられるかな」といつも考える。

うまくいかないからこそ考える機会が与えられる。

一人ひとりを大切にすることは、

きっとどれだけ、先生が一人の子どもたちを知ろうとしているか、向き合おう

としているかだと思う。

わたしは担任の立場ではないけれど、算数を通して向き合いたい。

それにしても、嬉しいのは去年ドタバタ劇場だった一年生が、二年生では落ち

着いて授業を受けていることだ。

みんな同じ先生はいないが、ずっと同じことを言い続け、愛情を持って接して

いる心の豊かな先生は、やっぱり伝わる。

子どもの小さな成長を見ていると、やる気がでる。

一方、五年。

わたしがしゃべってんだから、リュック投げあうな!こま回すな!ってのも、

よくある話。

「なんでできないの!」なんて言葉は、感情の押し売りだ。

生活経験違うんだから、その言葉はないよなって思う。

現実は現場にある。

少しずつ広げていくしかない。

誰も教えてはくれない。

いつも自分でやってみて失敗して、もう一度考えてやってみて、の繰り返し。

ボブディランの歌うように、答えは風の中。あーごもっとも!

先生たちに対しても。「こうやって日本では教えています」と紹介したところ

で、よいものは、出会った先生の心に継続していくはず。残らなければそれま

でだったということ。

だからって嘆くこともない、精一杯やることに価値がある。

今は、自分が新たに創っていくことにこだわりたい。

このクラスの子どもたちに、目の前にいるその子に必要なもの、最善のものを

創ることにこだわる。

よいと思うものに向かって走る。

暇な時間は、教材研究、子どもらを思い描いて。

絶対日本よりやってるし。笑

ボリビア上等!

やるならとことんやれ。できないならやるな。

中途半端な詩人にならないように。