インディヘナ(先住民)の団体はおよそ2ヶ月をかけて行進し、政府機関のある
ラパスに今日辿り着きました。
参加者は女性とこどもを含む6百人ほどのモホ族先住民で、先祖代々、国立公
園先住民地域で生活しています。モホ族という少数民族を主体に1万数千人が
暮らし、狩猟採取と自給農業を営んでいます。
彼らは、高速道路建設のために開拓者が入り込み、自然破壊が進み河川が汚染
され、生態系を含む生活環境が急変することに反対しています。
この道路はブラジルを結ぶ大陸横断道路となり、ブラジルから多額の資金援助
を受けていて、政府側としては中断できない立場なのです。
しかし、モホ族の一部たった600人の行進が、一時はエコロジストや他の先
住民の参加によって2000人に膨れ上がったそうです。
道中、集落で警察による野営の強制撤去で政府が批判を浴び、閣僚2人が辞任
に追い込ました。また、ウイルス性の下痢や高熱の症状が出る者が続出しなが
らも、歩き切りました。やっと辿り着いたラパスで大統領と代表者との直接
対話が行われるそうです。
ラパスに入ると、ラパス市民は拍手喝采で迎えたといいます。
そこがボリビアらしい。
放課後、サッカーをして子どもたちと汗だくになり、お腹が空いて立ち寄った
食堂のテレビからは、先住民の代表が声を荒げて道路建設反対を訴えていまし
た。
ボリビアは、国全体としては南米最貧国の発展途上国ですが、都市と田舎では
雲泥の差です。
ラパスには欧米化を追いかけるかのようにビルが立ち並び、会社で働く人で溢
れています。ここはボリビアか?と目を疑うような光景。
しかし自分の見たこともない世界に住んでいる人のことを、その人たちがど
のように稼ぎどのような暮らしをしているのかを、豊かなものに囲まれ、自
分と同じような暮らしをしている人としか関わらない生活をしている人々は、
考えようとはしないでしょう。
私も、学生時代まではそうでした。しかし最初のカルチャーショックは、教師
になって訪れました。自分の想像とは違う場所で、しかも「先生」と呼ばれ、
全くどうしたらよいか分からずおどおどしていました。
そしてインドを旅したときに、なぜ教育が貧富の差によって平等ではないの
か、子どもたちは等しく学ぶ権利があるはずだ、と感じました。その前に、国
境なき医師団の映像を見たことが発展途上国に目を向けるきっかけでしたが、
やはりインドのストリートチルドレンの子どもたちとの出会いが、協力隊を目
指す原動力になりました。
最近、アメリカンインディアン(アメリカの先住民)の本を読みました。
アメリカンインディアンは、小さな花にも、空飛ぶ鳥にも、そして木にも、草
にも、光にも教えを請います。
大自然に息づく「生」の営みを感じることで、自分たちの生きる「知恵」とし
て生かされています。
権利というのはマジョリティのためだけにあるのでもなけれ
ば、マイノリティのためだけにあるものでもない、人間のためにある、それが
原点だと思うのです。
人は時代と共に、どんどん変わっていきます。
昨日まで味方だった人が、今日はう~んと顔をしかめています。
マイノリティの意見は、効率化のじゃま。
マイノリティの意見は、非現実的。
そんな声が現代では、あちらこちらで聞かれます。
日本の教育現場もそうではないですか?
もちろんマイノリティの中には、権利と称して自分の意見ばかり言ってる人も
います。
ただの暴れ馬で哀れな姿です。
自分もまだまだですが、相手の意見を聞くことがまず大事なことなんだと思い
ます。
どうせ○○したって、無駄やーん。
無駄なんてことを最初から考えている、そこの現代っ子!
それぞれの人間が、それぞれの想いで必死に生きている。
たとえ少数でもそれを見聞きし、考える。
自分の意見を持つ。
行動に移す。
それが人間の権利の過程だと思うのです。
悲しいのは、無関心がマジョリティになるということです。
指をくわえて見てても、見て見ないふりをしても、世の中は変わりません。
ボリビアの先住民はガッツがあります。
600キロの距離を2ヶ月も歩いて、政府まで抗議に行くのですから。
単純に計算して一日平均10キロ。
一日に平均7キロ歩いたといわれている伊能忠敬もビックリです。
一方、こちとら日本の組織。
かれこれ1ヶ月近く、移動禁止が続いとうったい。
日本は、安全第一やもんね。やんわり軟禁、隠居生活。
日本のお偉いさん→何かあったら責任取りたくねぇからよ、動くなよ。
欧州のお偉いさん→何があっても自分の責任だからな、動いていいぜ。
なーんてね。
ラパスに今日辿り着きました。
参加者は女性とこどもを含む6百人ほどのモホ族先住民で、先祖代々、国立公
園先住民地域で生活しています。モホ族という少数民族を主体に1万数千人が
暮らし、狩猟採取と自給農業を営んでいます。
彼らは、高速道路建設のために開拓者が入り込み、自然破壊が進み河川が汚染
され、生態系を含む生活環境が急変することに反対しています。
この道路はブラジルを結ぶ大陸横断道路となり、ブラジルから多額の資金援助
を受けていて、政府側としては中断できない立場なのです。
しかし、モホ族の一部たった600人の行進が、一時はエコロジストや他の先
住民の参加によって2000人に膨れ上がったそうです。
道中、集落で警察による野営の強制撤去で政府が批判を浴び、閣僚2人が辞任
に追い込ました。また、ウイルス性の下痢や高熱の症状が出る者が続出しなが
らも、歩き切りました。やっと辿り着いたラパスで大統領と代表者との直接
対話が行われるそうです。
ラパスに入ると、ラパス市民は拍手喝采で迎えたといいます。
そこがボリビアらしい。
放課後、サッカーをして子どもたちと汗だくになり、お腹が空いて立ち寄った
食堂のテレビからは、先住民の代表が声を荒げて道路建設反対を訴えていまし
た。
ボリビアは、国全体としては南米最貧国の発展途上国ですが、都市と田舎では
雲泥の差です。
ラパスには欧米化を追いかけるかのようにビルが立ち並び、会社で働く人で溢
れています。ここはボリビアか?と目を疑うような光景。
しかし自分の見たこともない世界に住んでいる人のことを、その人たちがど
のように稼ぎどのような暮らしをしているのかを、豊かなものに囲まれ、自
分と同じような暮らしをしている人としか関わらない生活をしている人々は、
考えようとはしないでしょう。
私も、学生時代まではそうでした。しかし最初のカルチャーショックは、教師
になって訪れました。自分の想像とは違う場所で、しかも「先生」と呼ばれ、
全くどうしたらよいか分からずおどおどしていました。
そしてインドを旅したときに、なぜ教育が貧富の差によって平等ではないの
か、子どもたちは等しく学ぶ権利があるはずだ、と感じました。その前に、国
境なき医師団の映像を見たことが発展途上国に目を向けるきっかけでしたが、
やはりインドのストリートチルドレンの子どもたちとの出会いが、協力隊を目
指す原動力になりました。
最近、アメリカンインディアン(アメリカの先住民)の本を読みました。
アメリカンインディアンは、小さな花にも、空飛ぶ鳥にも、そして木にも、草
にも、光にも教えを請います。
大自然に息づく「生」の営みを感じることで、自分たちの生きる「知恵」とし
て生かされています。
権利というのはマジョリティのためだけにあるのでもなけれ
ば、マイノリティのためだけにあるものでもない、人間のためにある、それが
原点だと思うのです。
人は時代と共に、どんどん変わっていきます。
昨日まで味方だった人が、今日はう~んと顔をしかめています。
マイノリティの意見は、効率化のじゃま。
マイノリティの意見は、非現実的。
そんな声が現代では、あちらこちらで聞かれます。
日本の教育現場もそうではないですか?
もちろんマイノリティの中には、権利と称して自分の意見ばかり言ってる人も
います。
ただの暴れ馬で哀れな姿です。
自分もまだまだですが、相手の意見を聞くことがまず大事なことなんだと思い
ます。
どうせ○○したって、無駄やーん。
無駄なんてことを最初から考えている、そこの現代っ子!
それぞれの人間が、それぞれの想いで必死に生きている。
たとえ少数でもそれを見聞きし、考える。
自分の意見を持つ。
行動に移す。
それが人間の権利の過程だと思うのです。
悲しいのは、無関心がマジョリティになるということです。
指をくわえて見てても、見て見ないふりをしても、世の中は変わりません。
ボリビアの先住民はガッツがあります。
600キロの距離を2ヶ月も歩いて、政府まで抗議に行くのですから。
単純に計算して一日平均10キロ。
一日に平均7キロ歩いたといわれている伊能忠敬もビックリです。
一方、こちとら日本の組織。
かれこれ1ヶ月近く、移動禁止が続いとうったい。
日本は、安全第一やもんね。やんわり軟禁、隠居生活。
日本のお偉いさん→何かあったら責任取りたくねぇからよ、動くなよ。
欧州のお偉いさん→何があっても自分の責任だからな、動いていいぜ。
なーんてね。