雨が降っています。これから、もっと降るそうです。
日々草が、雨に打たれて、耐えています。
そろそろ寒さに枯れる頃。
それでも一日一日、一生懸命咲いています。
今日、父が入院しました。認知症の高齢者を対象にした、精神科の閉鎖病棟。
家で介護をする限界を訴えて、涙を流して訴えて、受け入れ施設を探す余裕も無いと訴えて、やっと入院の手続きとなりました。入院が決まってから、ベッドが空くまでの一週間。精神薬を処方され、父はとうとう、歩けなくなりました。それでもベッドから降りて、床を這って、押し入れに頭を入れて隠れようとしていました。この家から引きずり出されると、分かったのでしょうか?何かを恐れ、何かから逃げて、いつも不安に包まれている。朦朧とした表情で、眠っているような状態なのに、汚れたオムツやシャツを取り変える時には、相変わらず抵抗をしていた。どこにそんな力が残っているのだろうと思う程、腕力も握力も蹴飛ばす足の力も、こちらが怪我をしそうなほどの威力で抵抗する。脳みそは、トロトロになっているはずなのに、そこだけは弱らないのだから、本当に不思議。
あと5日、あと3日、とうとう明日!そうやって、耐えて耐えて、待って待って・・・まるで父を追いだす日を夢見ているような日々だった。そして、そんな自分が苦しくて、悲しくて、毎日毎日泣いていた。
そして、母も。
夜、父の様子が気になって、ここしばらくは熟睡出来ていない。日中は、食事を食べさせたり、おしっこの始末をしたりと忙しく、自分がご飯を食べるのを忘れるほど、疲れ果てて髪の毛を洗うことが出来ないほど、父に振り回されていたのに、「もう、無理だね。」と限界を訴えていたのに、入院が決まって、心の底から悲しんでいる。これで良いと、この方が父のためだと分かっていても、心のどこかに罪悪感があるのだろう。あの夫婦の姿は何だろう?母は、愛に溢れた人なのだろうか?それとも、責任感に溢れた人なのだろうか?私から見たら、父は母に苦労ばかりかけていた。私なら、あんな夫を愛し続ける事など出来ないだろう。そして、そんな夫があんな風にボケてしまったら、優しく介護するなんて絶対無理だ。けれど、母は、最後まで優しかった。施設を探し始めた時も「施設の方が、たくさん人が居るから、きっと楽しいよ。ここは、私しか居ないから、お父さん、つまらないでしょう?」と、もうそんなこと理解出来ない父の耳元で大きな声でいい訳を叫んでいた。入院が決まった時も「看護婦さんがお世話してくれるからね!私より上手だよ。」と、表情の無くなった瞳に語り語りかけていた。
ドクターは、とても穏やかな人。優しい語り口調で説明してくれる。看護婦さんも優しく丁寧だった。「大丈夫ですよ、任せてください。」と言ってくれた。担当のケースワーカーは大学出たばかりかと思う程、若く可愛らしいお嬢さん。父が入院して解放された母娘に「休んでくださいね。ご家族が体を大事にすることも大切ですよ。」と言ってくれた。これは、泣きそうになって困った。
家に帰っても、母も私も何もしなかった。父の部屋はオムツやら、おしりふきやら、毛布やら、枕やら、いろんなものが散乱しているけれど、「片付けは、ゆっくりやろう。」と二人、のんびりとしていた。
明日は、母を眼科に連れて行く。白内障の手術をしているので目薬が必要だし、今少し目が痛いという。父の事があって、自分のことは後回しにして、我慢していたのだ。私が「眼科の帰りに、お見舞い行こうね。」と言ったら、母は「連れて行ってくれる?」と喜んでいた。
80を過ぎた両親。これから先、いつ何があるか分からない。でも、出来るだけ寄り添ってあげたい。きっと、私は、そのためにここに帰って来たのだろう。
故郷のすり鉢の底。
雄大な自然に囲まれた、ちっぽけな人間の、些細な人生。
それでも、ただ一つの、一度しかない、貴重な時間の流れ。
頑張ろう、輝かせよう・・・そう・・・自分なりに・・・