この漂流も終わりに近づいてきたのであとがきとしたい。
旅は帰るまで終わらないのでこれは帰国前編ということで。
3月17日でシアトルに来て丁度1年経った。何度も書いてきたが1年はあっという間であった。
そのあっという間の1年の為に12年働いた会社を退社してここに来た。ただアメリカをこの目で見たいということの為だけにいろんな理由をくっつけて来た。それを許してくれた家族に感謝したい。帰国すれば現実は厳しいのは分っているが、シアトルに来た事を後悔はしていない。
春、大勢の若者に混じって到着したシアトル。付け焼刃の英語力で生活出来るのかと心配したがDavid達のお陰でなんとか生活を始めることが出来た。UWで出会ったトルコ人のCenkはどうしているか。台湾人で元スチュワーデス(今はそうは言わないかw)のベッキーはまだいるのか。サウジから来たモハメッドは。気なる奴はたくさんいる。連絡してみよう。
夏、最高の季節。英語の授業はここからついていくのがやっととなった。それ以外では思う存分アウトドアを楽しんだ。一緒に遊んでくれた友人には感謝したい。そして母と妻と行ったラスベガス、グランドキャニオン、ヨセミテ、サンフランシスコ。
秋、シアトルは乾期から雨期へ。授業は完全にビジネス英語一色になり、休まず出席することだけが唯一の自慢となるくらいついていくのがやっとだった。同時にインターンシップの準備も始まって、ChoさんやT氏に出会った。サンクスギビングやクリスマス、ニューイヤーというアメリカのビックイベントを経験したのもこの時期だ。
冬、設計事務所でのインターンシップ開始。改めて英語力のなさを実感する。結局この実感は1年続いたわけだが・・・・ww
MG2のチームのみんなには本当に良くしてもらった。2ヶ月ちょっとではあるが良い経験が出来た。フレンドリーで良い会社だった。
アメリカは広かった。国土は日本の25倍、人口は約2倍もある。ワシントン州にしたって広さだけでも日本の半分もあるから当たり前で、バックパッカーのような旅をしなければとても見て廻れるものではない。そして人種のるつぼはそのまま文化のるつぼで、これを実感するのも1年ではとても足りない。ということが分った。
また、アメリカの物の豊かさには圧倒された。建設現場で使われている天然資材、スーパーで見られる品物の数、レストランで出される料理の量、トイレで使われるペーパータオル、etc。日本が経済大国だと言ってもそれはアメリカあっての日本だ。日本では新聞を見ればアメリカの一挙手一投足が報じられるが、残念ながらアメリカではそうではない。シアトルでは車イスの人を街中至る所で見られるし、バスにも普通に乗ってくる。その為にバスは平気で遅れるしそれが当たり前。ハイウェイはタダでいくらでも走れる。そんなインフラ整備ひとつとっても日本とは全く違う。
そして日本もまた広い。行った事のない所や知らない所があるのはもちろんだが、自分が如何に日本のことについて知らないか。歴史、政治、宗教、など他の国の友人に「日本てどんな国?」と聞かれたらどう答えたらいいのか。単に英語力の問題ではない。まぁ日本の中だけで一生を終わればいい人には関係ないだろうが、私にとってはそれではあまりにも寂しい人生だ。勉強することは山ほどある。ということが分った。
国際人とは、広く世界に活躍している著名な人。教養や語学力があって、世界に通用する人。と大辞林では言っている。国際人である為にはきちんとした日本人であることが大前提であることだと思う。無国籍人ではだめなのだ。
筆不精の私がシアトルでの生活を家族や友人に知らせる為にと始めたブログだが私にとっても良い記録となった。そして如何にきちんと日本語を使うことが出来ないかということも。ハリーポッターの日本語翻訳をした通訳者が言っていた。「英語を使えるようになりたければ、その前にきちんとした日本語を使えなければならない」と。全くその通りだと思う。
帰国まであと 1日 (39時間)
シアトルでの更新も明日と帰国日の朝、そしてチャンスがあればSea-tac空港での3回となった。
旅は帰るまで終わらないのでこれは帰国前編ということで。
3月17日でシアトルに来て丁度1年経った。何度も書いてきたが1年はあっという間であった。
そのあっという間の1年の為に12年働いた会社を退社してここに来た。ただアメリカをこの目で見たいということの為だけにいろんな理由をくっつけて来た。それを許してくれた家族に感謝したい。帰国すれば現実は厳しいのは分っているが、シアトルに来た事を後悔はしていない。
春、大勢の若者に混じって到着したシアトル。付け焼刃の英語力で生活出来るのかと心配したがDavid達のお陰でなんとか生活を始めることが出来た。UWで出会ったトルコ人のCenkはどうしているか。台湾人で元スチュワーデス(今はそうは言わないかw)のベッキーはまだいるのか。サウジから来たモハメッドは。気なる奴はたくさんいる。連絡してみよう。
夏、最高の季節。英語の授業はここからついていくのがやっととなった。それ以外では思う存分アウトドアを楽しんだ。一緒に遊んでくれた友人には感謝したい。そして母と妻と行ったラスベガス、グランドキャニオン、ヨセミテ、サンフランシスコ。
秋、シアトルは乾期から雨期へ。授業は完全にビジネス英語一色になり、休まず出席することだけが唯一の自慢となるくらいついていくのがやっとだった。同時にインターンシップの準備も始まって、ChoさんやT氏に出会った。サンクスギビングやクリスマス、ニューイヤーというアメリカのビックイベントを経験したのもこの時期だ。
冬、設計事務所でのインターンシップ開始。改めて英語力のなさを実感する。結局この実感は1年続いたわけだが・・・・ww
MG2のチームのみんなには本当に良くしてもらった。2ヶ月ちょっとではあるが良い経験が出来た。フレンドリーで良い会社だった。
アメリカは広かった。国土は日本の25倍、人口は約2倍もある。ワシントン州にしたって広さだけでも日本の半分もあるから当たり前で、バックパッカーのような旅をしなければとても見て廻れるものではない。そして人種のるつぼはそのまま文化のるつぼで、これを実感するのも1年ではとても足りない。ということが分った。
また、アメリカの物の豊かさには圧倒された。建設現場で使われている天然資材、スーパーで見られる品物の数、レストランで出される料理の量、トイレで使われるペーパータオル、etc。日本が経済大国だと言ってもそれはアメリカあっての日本だ。日本では新聞を見ればアメリカの一挙手一投足が報じられるが、残念ながらアメリカではそうではない。シアトルでは車イスの人を街中至る所で見られるし、バスにも普通に乗ってくる。その為にバスは平気で遅れるしそれが当たり前。ハイウェイはタダでいくらでも走れる。そんなインフラ整備ひとつとっても日本とは全く違う。
そして日本もまた広い。行った事のない所や知らない所があるのはもちろんだが、自分が如何に日本のことについて知らないか。歴史、政治、宗教、など他の国の友人に「日本てどんな国?」と聞かれたらどう答えたらいいのか。単に英語力の問題ではない。まぁ日本の中だけで一生を終わればいい人には関係ないだろうが、私にとってはそれではあまりにも寂しい人生だ。勉強することは山ほどある。ということが分った。
国際人とは、広く世界に活躍している著名な人。教養や語学力があって、世界に通用する人。と大辞林では言っている。国際人である為にはきちんとした日本人であることが大前提であることだと思う。無国籍人ではだめなのだ。
筆不精の私がシアトルでの生活を家族や友人に知らせる為にと始めたブログだが私にとっても良い記録となった。そして如何にきちんと日本語を使うことが出来ないかということも。ハリーポッターの日本語翻訳をした通訳者が言っていた。「英語を使えるようになりたければ、その前にきちんとした日本語を使えなければならない」と。全くその通りだと思う。
帰国まであと 1日 (39時間)
シアトルでの更新も明日と帰国日の朝、そしてチャンスがあればSea-tac空港での3回となった。
様々な人との出会いは間違いなくあなたの財産になるでしょう。
気をつけて帰って来てください。
第一歩に。気をつけて。
一足先に帰国してまったく同じことを感じています。
あと一日ですか?気をつけて帰ってきてくださいね。
帰国されてからもよろしくお願いします☆
会社は12年か・・・オレはあと少しで11年。
シアトルで過ごした時間は少なくとも人生の1%くらいか。
年は取るものじゃなく重ねるものだとどこかで聞いた。
1%の経験・・・今後に活かせるとよいな。
気をつけて帰ってくるように。