中国観光 西安(2013年8月)
2013年 中国の会社の社内旅行(社員の家族同伴も可能です)で西安に行きました。
4月に中国(江蘇省、南通市)に赴任して来た時、西安の兵馬俑と万里の長城には行ってみたいと思っていましたので、社内旅行の行先が西安と決まった時から大変楽しみにして待っていました。
8月24日(土)
西安には上海の虹橋空港から飛行機で向かいました。
大勢の中国人の社員は列車で(乗車時間は約17時間)前日に西安に向かいましたが、私たち数人は仕事の関係で前日には出発できず、飛行機(約2時間)で行きました。
列車の中では宴会状態だったようです。
1.華清池
西安の飛行場から向かったのは、西安市街から東へ約30キロ行った郊外の驪山(りざん)のふもとにある有名な温泉池、華清池です。
周の時代から三千年以上の歴史がある温泉地で唐代の玄宗皇帝と楊貴妃が入浴したことで有名です。
<華清池の入口近くにある踊る楊貴妃>
<楊貴妃の像>
<楊貴妃が一人で入った温泉の跡。3.6m×2.7mのサイズです。「海棠の湯」と命名されており、海棠の花の形をしています>
<蓮華湯 10.6m×6m 蓮華湯は玄宗皇帝のお風呂です>
西安事件
張学良は1936年12月に西安にやってきて華清宮の五間庁に泊まっていた蒋介石を襲い監禁し、内戦の停止と一致して抗日の闘いに立ち上がるよう促した事件です。
その後国共内戦から(第二次)国共合作へと転換させることになる中国史上画期的事件です。
12月12日午前五時、張学良の部下たちが五間庁の蒋介石を襲います。
蒋介石は着替えもせず窓を乗り越え山腹に逃亡しますが、岩間に隠れているところを発見した護衛兵が捕らえ、蒋介石は西安の招待所に幽閉されることになります。
蒋介石が過ごしていた部屋や建物の銃弾跡を見学できます。
<蒋介石が使用した ベッド>
<華清池の入口にあるモニュメント 踊っているのは玄宗皇帝と楊貴妃 バスの中から撮りました>
華清池から兵馬俑を目指します。距離にして約10Kmで車で10分で到着します。
2.兵馬俑
兵馬俑は西安から北東へ40kmに位置し、1987年に兵馬俑と始皇帝陵(兵馬俑から1.5Km離れている)と抱き合わせで世界文化遺産になりました。
兵馬俑は1974年、地元の農民が井戸を掘った時に、変わった陶器の破片を見つけました。
鑑定により、ここに始皇帝の地下近衛軍団が配置されていることがわかりました。
兵馬俑の博物館は一号坑、二号坑、三号坑、秦銅馬車陳列館から構成されています。
「抗」は中国語で(坑道、たて穴、生き埋めにする)などの意味があります。
一号坑は、東西230m、南北62m。規模は一番大きく約6000体の兵馬俑が並んでいます。
圧倒される俑の数です。これらが2000年以上地中に埋まっていたのですね。
二号坑は、東西96m、南北84m。戦車、馬、兵士などの俑があります。
三号坑は、東西18m、南北22m。
規模は一番小さいですが兵馬俑の最高指揮部隊と言われています。
17時に兵馬俑を出発して、西安のレストランで全員で食事をして、ホテルに行きました。
<ホテルでの失敗>
ホテルについて数人でビールを飲みにホテルの屋上のガーデン行きました。
この時、部屋を出る前に備え付けのポットに水を入れ電源を入れておきました(ホテルの水は日本と違い、一旦沸騰させてから飲まないと危険です。
ポットの水が沸騰すれば自動で電気が切れるので、帰ってきたときはちょうどいい温度になっていると思っていました。)。
ビールを飲んで部屋に帰ると、ポットの水は既に常温まで下がっていました。
飲みすぎ用に持ってきた胃腸薬をこの水で飲みました。
しかし、夜中に急にお腹が痛くなり、下痢となりました。
朝になっても治まりません。
昨日何か悪いものでも食べたのかと思いましたが、心当たりはありませんでした。
ひょっとしたら、昨夜の水が沸騰していなかったのではと思いました。
そして部屋の電気は電源カードを差し込んでいるときだけ生きている、ことを思い出しました。
部屋のキーカードと電源カードは兼用になっており昨夜部屋を出るときにカードを抜いて持って行ったため、電気ポットの電気が切れ、水は沸騰していなかったのです。
夜明けまで頻繁にトイレに行きました。
8月25日(日)
朝の食事はとりましたが、体調はあまり思わしくありません。
今日の予定は市内の陝西省歴史博物館と市外の法門寺に行く予定です。
ホテルで休もうかと思いましたが、出発時間が近づくにつれだんだん良くなってきたので観光に行くことにしました。バスの中ではズーット寝ていました。
1.陝西省歴史博物館
陝西省歴史博物館(Wikipediaより)
秦始皇帝陵・唐代の帝王陵にまつわるお墓からの出土品や、前漢に始まる本格的な生活品の陶器など(唐三彩は一応は東都洛陽産)、展示品の質・量ともに中国国内有数の所蔵を誇る。
唐代伝来の壁画の人物像・楽器・瑠璃・ガラス製品などの宮廷用品にシルクロードの終点を見ることもできよう。
大雁塔・小雁塔・碑林とならぶ西安市内観光のトップスポットといってよく、地方の博物館からの拝借リクエストも多岐にわたる。
城外の半坡博物館とともに、開館した当初は雰囲気も久遠の昔に浸るのに最適であった。
ちなみに省レベルの歴史民俗博物館で匹敵する外見のユニークさを持つといえるのは、スケールがはるかに小さい上海博物館(青銅器と江南文人の書画でほかの追随を許さない)
<入口の狛犬>
<兵馬俑から発掘された俑の一部>
<唐の時代はふっくらした女性が美人とされていたようです>
2.西安の城壁
1370年代(明の時代)にレンガを積み重ねて作られた、一周14Kmの城壁は壮観でした。
3.法門寺
西安市の西150km程のところにある、東漢時代に建てられたお寺。
1987年塔の修復作業時に大規模な仏塔地下宮殿が発見され、殿内には唐代とそれ以前の2400点余りの金銀器、琉璃器、磁器、珠玉と紡績品が納められていました。
中でも八重宝箱に大切に納められた4枚の仏舎利の発見は歴史的文物的にも非常に価値があります。(中国駐大阪観光代表処より)
広い中庭、参道が続いています。
参道沿いには金ぴかの観音菩薩像や文殊菩薩像が並んでいます。
その先にはとても奇妙な建物(合十舎利塔)が見えました。
合十舎利塔まで遠いのでカートで運んでもらいました。
<写真下部の寺南から写真上部の合十舎利塔までは約2Kmです>
<合十舎利塔>
<合十舎利塔の隣にある仏舎利塔(1800年に歴史があると言われる仏舎利塔)です>
体調も段々良くなって無事観光出来ました。
<旅行後のこと>
南通に帰ってからも体調は復調しないので、念のため上海(南通から車で2時間)の病院に行き診察を受けました。
診察結果はやはり食あたりでした。
この処置として食後に飲めと3日分の薬をもらい飲むように言われました。
貰った薬を飲んだら案外早く良くなりましたが、体が痒くなり、蕁麻疹の症状がでてきました。
ひょっとしたら薬のせいかと思い、症状も良くなったので2回飲んだだけで薬の服用を止めました。
このことを中国人の知人に話したら、「中国の薬はよく効くが、副作用も大きいので病状が治まったらすぐ薬は止めなければならない」と教えてくれました。
日本では病状が治まってもしばらく薬の服用が必要と言われていただけに驚いたものです。
<中国観光 西安 完>
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