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旅日記

望洋−63(終戦直後の宮古島(第一中隊長の体験談))

36.終戦直後の宮古島(続き)

 

36.3.第四戦隊第一中隊長の回想

第四戦隊第一中隊長が挺進隊の体験・思い出を伝えたいと、「船舶特幹一期生会々報」に投稿したり、第四戦隊員の回想集で語っている。

それらの記事の中から、入隊時と終戦後に関する部分を要約して紹介する。

中隊長は、豊橋第一陸軍士官学校から選考され志願して、海上挺進戦隊に入ったが、この要員選考は個人の意志を尊重したものだったと、述べている。

また、終戦後に第四戦隊から唯一人、沖縄の収容所に収監され戦犯の有無等を取り調べられた。

その後、昭和21年3月31日に解放され、横須賀の浦賀に復員したという。

 

36.3.1.特攻志願

当時戦局も深刻になって来たので、教育総監系統で救国の特攻隊を編成して、師弟の固い絆を基盤に、精鋭部隊を錬成して、必成の戦果を挙げようという想定の下に編成作業が進んだ。

豊橋第一陸軍予備士官学校から51期生と55期生三名 (二名は他戦隊へ)並びに10期幹部候補生が選考された。

また特幹隊(船舶特別幹部候補生隊)の隊長だった57期生二人が中隊長に、船舶幹部候補生も群長(小隊長)として要員化された。

また、疾病で途中でリタイヤした船舶幹部候補生の後任として、前橋陸軍予備士官学校から学徒出陣の将校も補充された。

こうして元気溌剌の船舶特幹一期生を母体に海上挺進戦隊が編成された。

余談になるが、豊橋第一陸軍予備士官学校での要員選考は、当時としては大変民主的なものだったと考えている。

先ず、将校全員が将校集会所に集められ、学校付中佐から特攻隊要員募集の趣意が示され、志願の可否を後刻封筒に密封して記名回答せよというものだった。

その後、陸軍省補任課員が個別に面接して要員を決定した。

この面接の時、何か心配事は無いか、親・兄弟のことでも構わない、金銭的なことでも良い、と尋ねられた。

最後に「本当にご苦労です武運を祈ります」と労いの声を掛けられた。

 

36.3.2.宮古島駐屯

沖縄本島上陸の前兆

私が宮古島に上陸して間もなく平良市街地に大空襲があり、街は廃墟と化した。

宮古島に向かう航路の途中で慶良間諸島の座間味島に約1ヶ月間滞在したが、その慶良間諸島に対する米軍の猛砲爆撃が始まったという情報が流れた。

これを聞いて島民と戦隊(慶良間諸島には海上挺進第一、第二、第三戦隊が駐屯していた)の無事を祈ったが、方策はなく無念ながら、ただ祈るだけだった。

その後、イギリス艦隊による宮古島飛行場の高射砲陣地に艦砲射撃などがあり、戦況が危ぶまれていたところ米軍の沖縄本島への上陸が伝えられた。

<英艦隊>

 

   原子爆弾投下の情報

周期律表の、この空白部分の物質だろと、将校仲間で噂しており、凄い被害が想像され、本土決戦が近いと、覚悟していた。

終戦の詔勅の棒読

詔勅の棒読後、停戦命令が下された。

集団司令官納見敏郎中将の将校教育戦後の見通しと対処方法の指導があり、皇室護持を主眼として行動する、との訓示があった。

そして、これ(皇室護持)が達成できるなら、絶対武力行使しない、と言う固い盟約をした。

武装解除

米軍が点検に来るというので、急いで、 武器弾薬・船艇・爆雷の処理をしたが、哀惜の念に堪えず断腸の思いだった。

<刀剣の点検場所。手渡された刀を1本1本数えて番号で点検する日本兵>

進学教室の開設

少年兵の特幹には、進学して祖国復興の為、是非頑張って欲しいと言うことで、 荷川取展望台に、仮設の教場を設置して、基地隊(海上挺進基地隊)の将校を交えて、理科・数学・国語・歴史等の受験科目の特訓を、希望者に対して行った。

復員準備

復員に伴う支給品の折衝、収納袋の作成(ガス防護服のゴム布を、漂流の生ゴムで、接着して作成)

復員折衝

集団司令部から「復員順序を戦闘序列順にしたいが、良いか?」という調整があったので、「同意したいがどうか?」との打診が、戦隊本部からありましたが、次のように回答した。

「不同意」
「理由」

ア、戦傷病者優先
イ、戦闘序列順では、軍直轄部隊は、配属扱いの為、最終になる。
ウ、特幹は少年であり、一日も早く復員 して、進学準備の必要がある。

従って、戦隊は、戦傷病者の次に復させるべきである。

ところが、 返って来た答えは、米軍の指示だから、どうにもならないということだった。

そこで、次のとおり提案した。

ア、米軍に対して、戦隊の主体は、 少年兵である。一日も早く、両親にあわせたい。
イ、自分が早く帰りたいから、要請するのでは無い。
ウ、信用出来ないなら、 自分は残っても構わない。

それに対して、次の回答があった。 

ア、趣意は、判った。
イ、要請のとおり処理する。
ウ、中隊長は、残留せよ。

12月24日のクリスマス・イブの日、焼け残った平良埠頭の砂浜で、帰郷する最後の隊員を見送った。

米軍用船に、ジャコップ(縄梯子)を攀じ登る隊員を見送っていると、俊寛僧正(平安時代後期の真言宗の僧)が、喜界ケ島(鹿児島県大島郡、奄美大島の東)で、手を振られ た心境が、判る気がした。

 

36.3.3.抑留

米軍用船ゲーブル号に乗せられて、着いたところは、那覇の牧港(沖縄県浦添市)だった。

米軍少尉の誘導で、揚陸艇に乗り、上陸後は、軍用トラックに分乗して、舗装道路を走った。

初めてのスピードだったので、内心驚いた。

戦車で、​​40Km/hを体験したことはあるが、凄いと感じたのである。

走る内に、モーター・プールがあり、想像もしなかった多量の自動車・トレーラーが並んでいるのを見て、以前四日市の大煙突で有名な石原産業の石原廣一郎社長から、教えて戴いた米国の物量の凄さに驚き、敗戦も止むなしと、しみじみと通感した。

階級章を付けた軍服姿で、収容所の指定テントに入った。

夕方だったので間もなく、 レーションが支給になり、ローソクの灯りで食事をした。

レーション(英: combat ration)は、軍隊において行動中に各兵員に対して配給される食糧。

私が戦隊から唯一人、米軍極東憲兵司令部に抑留されたとき、収容所には次のよう な人々が既に収容されていた。

 捕虜(これは自らギブアップした人)、停戦後戦場から収容された人、私のように戦場外から抑留された人であった。

その他では朝鮮人編成の水上勤務隊員が別格でおり、「俺達は一等国民、お前達日本人は三等国民だ」というセリフが有名な集団がいた。

収容されていた人達が立ち替わり入り替わり、深夜監視の目を逃れて私のところを訪れてきた。先ず戦線外にあった我が水上特攻隊に敬意を表してくれるとともに、彼らの部隊、彼らの行動を紹介してくれ、決して彼は卑怯で生き残ったのではないことを聞かされた。

 

身辺整理も終わり、一息いれていると、テントの入り口で、手招きしているのが見えたので、何事かと出で行くと、暗がりに案内された。そうして、レーショを差し出して、

これを食べてください。

ここでは、尋問が済むまで、「レーション止め」があって、食事はさせません。

遠慮なく食べて下さい。 私は○○戦隊の者です

と名乗られた。

厚くお礼を言って、ソッとお別れした。

私が軍服に特攻記章と船舶記章を付けていたので、判ったのだと思う。

今も有り難く思っており、しかも監視の目を盗んでの、接触だった訳で、その温かい思いやりを偲んでいる。

 

宮古島から一緒に抑留されたのは、怡戸(いど)歩兵連隊長村尾海軍陸戦隊司令官達だった。

また、ここに以前から収容されていた方には、 戦史で有名な「嘉数の戦闘」の大隊長、 志村常雄大尉 (五十四期生)(終戦まで戦い続けた大隊)や海上挺進第一・二・三戦隊の生存者等で、武兵団の比島転進問題で、大本営に派遣された八原軍参謀もおられた。

ここで、

特幹の方から、決して、尋問の時に、水上特攻だったことを言ってはなりません。

フィリピンから来た米兵は、仲間が水上特攻にやられているので、報復をします。

以前、我々の仲間がウッカリ喋ったところ、ピストルの台座で顎の骨を砕かれた事件がありました。 

また、尋間は、何回も同じことを聞き、もし話が違うと徹底的に容赦なく追求してきます。

と言う大変貴重なアドバ イスを頂いた。

実際、尋問では前後左右から顔面頭部写真を撮影し、同じ内容を、日を変えて尋問された。

指紋採取も、十本の指を全部採取された。

 

収容所内では、懲罰も厳しかった。

規律違反の米兵が、わざわざ我々の収容所の広場の中央に造ったドラム缶の簡易便所横に繋がれて、衆人環視の中で、用便させられ、屈辱を与えられていた、こともあった。

それを旧敵国軍人である我々の前で行ったのである。

これを見て、当時我々が学んでいたデモクラシーの国とは、大変掛け離れているなと感じたこともあった。

 

その内、虱がいて不潔だからという理由で、軍服を脱がされ、焼却され、替わりに米軍の中古軍服を着せられた。

そのうち、最後は、背中に「PW」とプリントした軍服を着ることになった。

 

聞いたところの情報では、我々の顔写真を世界全国に送って、戦犯容疑の有無を調べた模様であった。

嫌疑無しの確認が取れた段階で、放免になるとのことだったが、実情は、嘉手納空軍基地の建設作業指揮官要員として使う予定だったらしい。

だが、米国議会で、機密施設を旧敵国軍人にさせるのは、罷りならぬということになった。

そして、昭和21年3月31日に、抑留時と同じ、「魔のゲーブル」号で、浦賀に復員した。

その際、大尉の俸給として、食費差引のうえ、ドル紙幣で支給された。

 

<続く>

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